電車でよっぱらい、叫ぶオジーがいた。
みんな迷惑そうにしていた。
車両を変えたり、降りたり。
でも、オジーは怒っているわけではない。
実に楽しそうだ。
オジーは一人だが、とても楽しそう。
何を言っているのかは分からない。
分からないが楽しい事は分かる。
ときおり、怒るそぶりを見せるが、すぐに大笑いする。
フラフラしているが、幸せそうだ。
どう見てもお金を持っていなさそうだが、持っている人よりも愉快な感じだ。
たまぁ、こういう人を見かける。
仙人ではないだろうか。
今日は、ピカソ展の続きを見に行った。
雨のせいか人が少なく、快適に鑑賞できた。
内容はなかなか良かったのだが、一つ疑問が。
展覧会の最後には、ショップがある。
そこではポストカードや図録やクリアファイルなどが売っている。
作品のコピーも売っている。
このコピーが疑問だ。
いくつかは、数万円程度と格安で、この展覧会の為にコピーされたものだという事がわかる。
画としての価値はなく、あくまでも観賞用なのだ。
その為に、コピーも普通のコピーではなく原画に近い色を再現した、最先端のコピーとなっている。
そこまでは分かる。
ずーっとそうしたコピーを眺めていると、数十万というのが出ている。数百万というのも出てくる。
説明もあったので読んでみると、生前ピカソ公認でコピーされたものだという。
ただし、部数限定。
だから価値があるのだと。
あやしい。
あのピカソの作品だぞ。
そんなものが、そう簡単に手に入ってたまるかっ!
一生のあいだにピカソの画を一つは買おうと決めている。
その決意をそう簡単にかなえてもいいのか?
いいや、だめだ。
この画は偽者だっ!
その話が本当なら、そのコピーをいつか買いたい。
昨日モニタを注文した。
速達にしたので、今日届くという。
しかし、夕方6時になってもまだこない。
追跡したいが、パソコンを起動させてもモニタがないので、追跡サービスを利用できない。
そろそろ、子供をお風呂に入れなければならない。
その時、配達員が来ないとも限らない。
どうしたらいいだろう。
そうだ!
ケータイで追跡すればいいのだ!!
そっそく、amazonで追跡を行う。
すでに、千葉からお近くの配達店まで届けたという。
そこから先が分からない。
ヤマトで配達しているようだ。
ヤマトのサイトにいく。
すでに、お近くの配達店から出て、ウチに向かっているという。
しかし、同時にいくつ配達しているか分からない。
正確に何時にくるか分からないのだ。
みると、ドライバーのケータイ番号がのっている。
少し迷ったが、電話してみる事にした。
2,3回コールですぐに出た。
「何時ごろ来ますか?」
「お名前は?」
「○○です。」
「あぁ、アマゾンさんでご注文の方ですね。5分から10分でいきます。」
かくして彼は訪れ、無事にモニタは届き、親子でお風呂に入る事もできた。
いやぁ、すごい時代になったものだ。。。
寒いというから冬服を用意したのに暑かった。東京では四季どころか八季と考えたほうがいい。ちょうど方角と同じ考え方だ。春夏、夏秋、秋冬、冬春。その期間のファッションが実に困る。日本は四季がハッキリとしている独特な地域だ。その環境で生み出されたモノが着物だと思う。ところが洋服は四季があいまいな西洋のモノだ。このままでいいのだろうか。着物の事は良く分からないが、八季に合せた着こなしがあったと思う。パソコンがあれば調べるんだけど、モニタが無いので分からない。しかし、繊細な日本人のことだからきっとあったはず。あぁ、着物を着たい。一人だと世間の目が気になるので皆で着たい。エコに乗っかって国策にして欲しい。そういえば、郵政民営化はアメリカの圧力が裏ではあったらしい。オバマさんは小浜市と繋がりがある。ノッチとも繋がりがある。小浜市とノッチが着物を着ればアメリカから圧力がかかるかもしれない。僕のやるべき事は、両者に手紙を書く事だな。でも僕はみんなが着るまで着ないけど。
pcのモニタがこわれたので、wiiで更新している。
論語には、
「子ののたまわく、徳の修めざる、学の講ぜざる、義を聞きてうつるあたわざる、不善の改むるあたわず、是れ我が憂いなり」
というのがある。
勉強するのは簡単だけど、それを自分のモノにするのは大変、という意味が隠されている。
昔昔の言葉僕は共感する。
そして疑問におもう。
人にアドバイスするとき、自分のモノになっていない言葉を僕達はつかってはいないか。
論語の孔子もその疑問に縛られていなかったか。
自分のモノになった言葉を考えれば分かる。
自分の言葉は恐らく無いに等しい。
非常に少ないと僕はおもうのだ。
そうすると、僕達は想像力で文明を発達させた事になる。
これからも、人類の精神面は進化しない事になるのではないか。

それにしても、wiiでの更新は面倒。。。
金沢でアイスにかける醤油というのを買った。
有名らいしい。
さっそく食べてみた。
こ、これは。。。
なんとも言えない新感覚だ!
新感覚のマズさ。
うーむ。
美味しくない。
醤油の味しかしない。
強いて言えば甘い醤油。
そんなモンが上手いはずがない。
もう一口食べてみよう。
うぁーまずい!
白玉とかにはいいかもしれない。
しかしアイスには、ちょっと。
どれどれ、もう一度。
うぅぅぅ、信じられない。
白玉にかけたら美味しいかも。
癖になりそうな不味さだ。
アイスはアイスとして食べた方が美味い。
ヨメは、ウマイウマイといって食べている。
分からない事はない。
しかし、僕には合わない。
最後は寿司だった。
高いモノだけを中心に食べた。
いやらしい感覚ではなく、少しでも金沢をいい思い出にするためだ。
正直、取立てていいところは無かった。
沖縄で言うと、北中城村みたいな、掴み所の無い町だった。
期待した美術館も前評判に負けていたのだ。
以前山梨に行った時は日帰りだったが、大変良かった。
ブドウを食べて温泉に入っただけだが、山梨に来たという感じがした。
今回は加賀百万石を感じるはずだったが、意識的に半ば強引に自分に言い聞かせた感があり、金沢からのアプローチは非常に弱かったと思われる。
しかし、山梨の旅と金沢の旅を比べた時の違いは、町に行ったか村に行ったかである。
わがままな僕は都会からのアプローチを無意識に無視してしまう癖がある。
だってそうでしょう。
観光に来てんのに、マルイとかマックとか行かんでしょう。
金沢では都会を歩き尽くして、終わったのが良くなかった。山梨のように田舎に行けば良かったのだ。
金沢ではなく石川県でとらえるべきだった。
僕が悪かった。
次回はもっと広く見て回りたい
旅行に行く為に買うガイドブックを見ていつも思うのは、観光地は温泉、食べ物は寿司というパターンが異常に多いという事。