生命の数は決まっているという。
今、人類が多くなっている事と、絶滅危惧種が増えている事を考えればいいだろう。
この考え方は、僕を魅了する。
地球誕生のとき、生命は単細胞だったという。
とすると、生命の数は今より多いと考えるのは、不自然だ。
ある日突然、多くなったというのが自然だ。
ある日とは、月の衝突だ。
人は、古来より付を目指している。
竹取物語しかり、アポロしかり。
月が最も身近な、他星である事もそうなのだが、生物学上、月が地球にもたらした影響は計り知れない。
ここでは、つらつらかかない。
要するに、人は母性本能から月を目指すのである。
月が地球に衝突したとき、それまで地球上にいなかった生命が誕生し、移り住む事になる。
そうかんがると、爆発的に増えた生命と、生命の比重に耐えられなくなった遊星「月」の関係が容易になるのではないか。
今日は久しぶりに久し振なヒトと飲んだけど久し振りな感じはしなかった。この感じを大切にしたい
ヒュージョンジャズを聞いて来いと、父にいわれたわけだ。
半ばイヤイヤ行ってきたのだが、コレが良かった。
お客さんは少なかったが、おかげでいい環境で聞けた。
ヒュージョンは、あまり好きな方ではないのだけど、初めてライブを見て、
「食わず嫌いはいかんなー」
と思った。
CDまで買ってしまった。
あんなに上手くて曲もいいのに、お客さんは少ない。
これは単に知らないという事に尽きる。
たとえサンプルの曲を聞かせても、ライブの臨場感は分からない。
知っているのは、「印象」だけだ。
演歌とかカントリーとかも、意外と良さを知らないだけなのかもしれない。

ところで、今日のドラムの人はずっと口を開けていた。
僕のかつてのバンドのドラムも、演奏中は異様な顔になった。
ドラムって全身を使うから、逆に視覚とか嗅覚とか味覚とかいらない機能が、本人の知らない間に遊んでしまうのではないかと思う。

帰りにポッドキャストで聞いたコレが、面白そうだった。

Dialog in the Dark
これから香港の恩人と飲み会。
だから帰ってからのブログ更新は難しい。
ので、携帯から更新する。
写真でも添付しようかなと思うけど、パケ放題ではないので、お金がかかりそう。
居酒屋への道中なので、気の利いた事を書けるはずもなく。
無料ブログはすごい。
無料ブログを活用していないとき、このブログの読者は非常に少なかった。
今でも少ないけど、知り合いではない人が見にきているっぽい。
仕事上HPを作るのだけど、HPを作ったら無料ブログもやるべきだ。
僕は、ライブドアブログだが、少し不満がある。
バックアップを保存できないのだ。
移行を検討している。
HPもちょっと変えよう。
そうしよう。そうしよう。
個人情報を考えたい。
ある特定の個人の情報でなければ、どう扱われてもいいのだろうか。
そこで考えたのが、芸能人の周辺の人を集めるサイト。
出来る出来ないは別として、芸能人の同級生とか近所の人が参加するミクシーの様なサイト。
まず、カテゴリーとして、芸能人の名前がある。
自分とゆかりのある人は、その人について知っている話を書き込む。
いつどこで何があったかとか。
カテゴリーで区切ってあるので、主語は省いても良い。ますますグレーゾーンになる。
そういう情報が集まると、その人のなんたるかが形成されていく。
これは、個人情報と呼べるだろうか。
法事があった。
東京の法事は、沖縄と違う。
お坊さんがお経を唱えて、お焼香を上げるのだが、厳格さが違う気がする。
神がかっているというか、神々しいというか。
緊張感があるのだ。
お坊さんが3人で、お経を唱える。
3人の声が共鳴して、不思議な空間になる。
お経を唱えていると、トランス状態になるというが、本当かもしれない。
昔のシャーマンは、神の言葉を聞く為に酒を飲んだという。
酒は、シャーマンにしか飲めない特別な飲み物だった。
シャーマンは、酒を飲む事によってトランス状態になったのだ。
ほどなくして、酒が一般的な飲み物になったとき、トランス状態になる為の方法を変えなければならなくなった。
そうでないと、一般の人でも神の声を聞ける事になるからだ。
土地によっては、覚せい剤を使ったかもしれない。
ただ日本は、お経という方法を編み出した。
お堂を神格化する事によって、お経の効果を高めた。
と、僕は思うのだけどもどうなんだろう。
チン毛が落ちていると人はいう。
この世で、チン毛が落ちていない場所はない。
まったく不思議な毛だ。
しかし、チン毛が落ちている事がどうしてそんなに良くないのか。
抜ける以上落ちるのは、万有引力の法則なのだ。
自然な事だ。
自然を否定するのか。
いや、落ちる事を否定しているのではない。
落ちている事を否定しているのだ。
落ちている毛が髪の毛ならそれほど問題ではない。
チン毛だからいけないのだ。
なぜか。
チン毛は、縮れているからだ。
パーマの毛でも、落ちたらチン毛とみなされている
縮れているからだ。
縮れの何が良くないのか。
縮れ+床がなぜ、それほど相性が合わないのか。
人は、縮れは汚いのだという。
縮れに失礼ではないか。
たしかに、芯が通っていないというイメージがある。
ナンパな感じだ。
あっちいったり、こっちいったりした結果ではある。
しかし、同じ縮れでも麺の方は、認められている。
麺は、とても相性のいいパートナーを見つけたからだ。
それはスープ。
縮れる事によって、絡まりあい、艶かしくエロティックに舌のベッドで絶頂にたっするのだ。
相手も味噌、塩、とんこつなどと数多くいる。
実にナンパらしい。
性格に合っている。
ところが、チン毛のパートナーは陰部か床だ。
いや、陰部と床なのだ。
陰部だけならよかった。
床だけならよかった。
チン毛を顕微鏡で調べてみても、それほど汚くないはずだ。
なぜなら、外気に触れていないから。
それより、髪の毛の方があやしい。
染められ、ジェルをつけられ、くしゃくしゃにされ、ひどい扱いだ。
華やかな人ほど、生活がすさんでいたりする。
豊かな人ほど、幸せに感じていない。
髪の毛には、そんな富裕層のイメージを感じる。
一方の、貧民であるチン毛は、貧困でも幸せだ。
大切にされ、あまり表に出る事はない。
箱入り娘なのだ。
世間知らずなのだ。
そのチン毛が陰部にお別れをつげ、自立しようと外界に飛び出たとたん、罵倒され、投石され、燃やされ、つまみ出されるのである。
それも、髪の毛から見下されながらである。
チン毛も恨みが大きかろう。
末代まで呪ってやる、と思っている事だろう。
我々の知らないところで、その意志は子孫に伝えられ、いつしかギャフンという事にならないだろうか。
もっと大切にした方がいいのではないか。
大切にというか、貧しくても素直に幸せに生きるその姿勢に学ぶところがあるのではないか。
あぁ、抱きしめたい。
僕は、今、チン毛を抱きしめたい。
熱が出てボーっとする。
ボーっとしたとき、ボーっとしていない。
何か考えている。
考えている事を覚えないから、何も考えていないのと同じ結果になる。
この状態に非常に似ている状態がある。
それは、「ゾーン」である。
ゾーンに入ると、周りの事がいっさい気にならないという。
「ボー」にも似ているとは思わないだろうか。
ボーとゾーンの違いは、覚えているかいないかだ。
しかし、ゾーンについても、よく覚えていない事がある。
例えば、生命の危機に脅かされたとき、必死になる。
命が助かって、その瞬間を思い出そうとしたとき、無我夢中でよく覚えていない。
そんな経験だ。
無我夢中。
そう、それなのだ。
実は、僕はボー状態の時に覚える事に成功した。
あるアイディアを考えていて、だんだん周りが分からなくなってきて(分からなくなるという意識はない。思い出すと、そうだったという話)、ただアイディアだけがスライドショーのように湧き出るのだ。
スライドショーというよりは、赤ちゃんベッドについている天井ぶら下げ型ミニメリーゴーランド風おもちゃのように回転しながらアイディアが回っているのだ。
ハイテンションともいうのだろうか。
ここで注意したいのは、ボー状態からアイディアを考え始めたのではない。
アイディアを考えていたら、熱が出てきてボー状態に入ったのだ。
ゾーンに入ったわけではない。
なぜなら、熱が出てフラフラしていたからだ。
それも覚えている。
そして、悟ったのだ。
ボーっとする事を有効に使う事ができる。
脳内麻薬のように、快楽の中で集中する事ができる。
熱はいい!
病気はいい!
という話。