
新たに置くのにも適当な場所がなかったために、「一のお山」より高い場所に(六と七のお山)を
置く羽目にという印象、調べたわけでもないんで信じないでくださいね。

ここに祀られてる方々は、調べたわけでもなく勝手な憶測なんですが、おそらく「藩主経験者」は
居ないと思うんです。

次男・三男とか、側室の子だったり、または夭折したとか・・・

そういうことじゃないのかな? ↑なんて門が壊れちゃってるし、(-_-;)

ということで全部周って下山することに。

登山口からもれなく一つづつ丁寧に写真を取りつつ見て回り下山するまで全行程、約1時間半で
見て回ることができました。
池田の名前が世に知られるようになったのは、清州会議からではないでしょうか?
信長の家臣で年齢的に「前田利家」と同期?
秀吉が推す「三法師」支持に回る、その時の「柴田勝家」悔しかっただろうね。
「なんで恒興ごとこが参加しとんのや?」とかね・・・勝手な想像ですが。
で、次に名前が出る場面が、「小牧長久手の戦い」で、森長可とともに討ち死してしまう。
恒興公の墓ですが、ここでもないからググりました。
すると、「岐阜の池田町」なる場所にあるんだとか・・・
岐阜ね・・・いつかは行ってみたいですね。
というか、岐阜には一度だけ行ったことがあります。
安土城跡を見て(いまほど発掘が進んで整備されてない時期ですので再度訪問してみたいです)
浅井長政の居城の「小谷城」へ登って、関ヶ原へ東軍と西軍の陣跡を見て回って、「養老の滝」は
偶然近くを通りかかって見に行き、岐阜城は行きたかったが駐車場を見つけることができなくて断念、
1泊2日で見て回りました。
今からですと、ローカル私鉄の「明知鉄道」「長良川鉄道」に乗りたいですねえ。
余談が過ぎましたが、これで「備前市和意谷池田家墓陵」全行程終了です。
ご覧いただきありがとうございました。m(_ _)m
