
文藝春秋の連載を抜粋してまとめた本、これまでの経歴・遍歴で並べられてますが
冒頭は、ウエストランド河本のタクシー蹴り飛ばし事件ねの対応から。
爆笑問題が元マネージャーから唆されて太田プロから独立した時から
スキャンダル・不祥事への対応の歴史、打開策として
”仕方なく社長になって「タイタン」を立ち上げた”当初から
事務所の規模に対して旦那・太田光を筆頭に事後対応に追われる
上記のウエストランド河本といい、「いぐちんランド問題」に
1万%出ないと言ってたはずが一転、府知事選に出馬を表明、
それまでの収録が全部お蔵入りに。
太田社長自ら各局、謝罪行脚と、社長業も大変だわ。
その代わりと言っちゃなんだが、マスコミ対応や謝罪会見も手慣れたもん、
いぐちんランドの件も、直後の太田光のラジオ番組でイジリ倒し、笑いに昇華して
無事終了といった具合。
吉本の闇営業問題発覚以降、謝罪会見の不手際、対応のまずさを太田社長には
どう見えてたのか。
本人の生い立ちからして波瀾万丈、生まれつき身体に奇形があり、
繰り返す手術と治療に、小学校までほぼ病院暮らし。
その影響か、母が知り合いに紹介されるまま、新興宗教にのめり込み
俗にいう「宗教2世」生保レディーでトップセールスを誇るも、大金を献金
家には似つかわしくない巨大な仏壇が鎮座してたり、再婚した継父も
その新興宗教勧誘のために籍を入れたようなもの。
義理堅いのか、継父も義務のように献金するも、段々と精神が病んでいく。
そんな”居場所のない家”を、高校生で家出、一人暮らしを始めて母とは距離を置く。
その頃から芸能の仕事を徐々にするようになり、太田プロ所属になる。
太田光が部屋に転がり込み居ついてしまい、なんだかんだで結婚。
今と違って事務所独立すれば、干されるのが当たり前。
そこからしかたなく社長になり、タイタン設立。
太田プロと揉めてる爆笑問題というマイナスイメージが付いてしまっては
おいそれと仕事も取れず、太田は引きこもってゲームしてばかり
田中はコンビニバイトに勤しみ、同コンビニに光代社長もバイトに。
そうしないとやっていけないほど、この時代がどん底だったと書かれてます。
その田中、仕事が性に合ったのか、手際が良く、
オーナーから店長候補に推されるまでに、本人もまんざらではないようで
ここままいくと爆笑問題解散も現実味を帯びてきた。
「とにかくネタを書いてワンマンライブや」と、旦那のケツを叩き
光代社長は太田プロとのわだかまりを解消しないとライブもできないと
出向いてひたすら平身低頭、副社長がいい人でライブ会場に花を太田プロ名義で。
そのことで太田プロと和解したと周知することで初ライブも成功。
そこからは周知の通り、売れっ子芸人に。
高田文雄氏の紹介で、立川談志師匠と懇意に、以降の数々のエピソードも披露。
妊活にも触れてましたね、始めた動機と終わらせた(諦めた)経緯も。
元々妊娠しにくい体質だったのと、太田光も”ほぼ種なし”だったことにも触れ
太田の実父がとにかく怒って。納得させるのにも一苦労だったとも。
いまではタイタンも爆笑問題を筆頭に、ウエストランドをはじめ
数々のコンテストにも名を連ねる若手芸人も増え、
お笑い養成所もスタートさせるほどの大所帯に。
ただ、まだ自前の劇場を持てていないことだけか、足らないのは。
そこはよくわかっていて、それが最終目標とも最後に書かれてて。
そんな光代社長も還暦を過ぎ、最終段で触れていたのは次期社長候補
そして。80代になった爆笑問題の漫才を観たいと締めくくってました。
m(_ _)m
参考記事:「宗教2世」だった太田光代が語る実母との関係「無理に好きになろうとしなくていい」割り切れるまでの葛藤とは…

















