↓の本の補足 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

この中に「自動運転」のことを取り上げてました。

なんでも「GPSの精度が誤差1cm前後まで高められ
これを利用すれば、自家用車はもちろん、電車に路線バス・タクシー
ありとあらゆる公共交通機関の運転士が不要にすることも可能」だとか・・

百歩譲ってそれでいいとして、サイバーテロなど機械が暴走した場合
どうやって食い止めるのでしょうか?
その場合のリスク、起きてしまった損害補償はどう担保するのか?
そうなってしまえば結局、最後は「人間力」に頼るしかないのではないか?
人間は必ずミスをするので機械に置き換えるも、最終判断下すのは結局人間が
ベストとなれば、自動運転構想自体「絵にかいた餅」なのか?

もう何をいわんやです。
アベノミクス(私はアベノリスクと呼んでますが)の経済政策の3本の矢の中で
たしか「技術革新の推進」とやらも、あったと思いましたが
技術革新=利便性の向上=低コスト・低価格の行き着く先は
雇用の喪失ならぬ、雇用・仕事の剥奪の側面もあるのではないでしょうか。
技術革新といえば聞こえはいいが、人間がしていることを機械ができるなら
機械に置き換えることで、人間を職場から追い出すことにほかならない。

雇用を次々と奪っておいて、これのどこが景気浮揚になるのか教えていただきたい。
私がバカなのか、まったくもって理解できない。

「経済特区」も検討されてましたが、「首切り特区」と揶揄され
取りやめになりましたが、諮問会議などでは、残業代の廃止、年俸制の導入
雇用の流動化などは論議されているみたいですがこれ、すべて企業側の理屈
給料を払わないのが企業の理屈とすれば、その低コストで供給されたモノや
サービスは誰が消費するのですかね?
買う側の人間に金を回さずにおいて、どうやって消費できるというのでしょうか?

行き過ぎたイノベーション・技術革新ってのは
とどのつまり「誰も消費しなくなったではなく、誰も消費できなくなった」世界。
仕事を奪われ消費できなくなった大衆と、コストカットに邁進しすぎて
最早、誰からも見向きもされなくなり、消費されなくなったグローバル企業。

そのような世の中ではいったい、誰が勝者なのでしょうか?

少し考えてみてはどうでしょうか?