夜に突然間接痛がはじまり、その後、強い倦怠感とともに寒気、頭痛。

寒気が取れたら首から下が猛烈に熱く感じる。


寝袋に包まり、少し寝て、すぐ目が覚めるサイクルの繰り返し。

滅多にしない頭痛と、首から下だけ異常に熱を持っているこの状態はカゼとは明らかに違う。
何せ咳も鼻水も下痢もない。


ほとんどなったことがない症状なだけに頭をよぎるのは、やっぱり"マラリア"。


万が一の為に治療薬は持っているが、マラリアと判断して服用するタイミングが難しい。
強い薬なだけに、断定できない段階でフライングで飲むのもリスクはある。
そして、あまり服用が遅すぎると最悪の結末を招く事もある。


夜中は苦しかったけど、気力はまだまだ残ってたのと、
時間が経つにつれ症状が和らいでいったので、とりあえず様子見する事に。
眠る事に関しては天才的なので、気がつけば夢の中へ。



朝方、頭痛とともに起床。


飛行機情報とマラリア検査の病院を紹介してもらおうと日本大使館へ行ってみたらビックリ。
めちゃくちゃ立派な外観と警備体制。

中に入ると受付がセネガル人。
なんか変な感じ。


期待の情報ノートに目を通すが、航空券情報なし。


あうち。


もうこうなったら選択の余地がない。
どこの窓口行ってもエチオピアまで10万越えで、たぶん最安値のモロッコですら5万、エジプトまで7.5万。
最後の手段だったモーリタニア陸路国境越えも、最近頻発している拉致・殺人事件があるので、通りたくない。

ニュースでは12/19にマリ国境近くでイタリア人殺害事件も発生。
(その10日前くらいに僕、同じような道をまたしても通ってました)


交通の条件を見てると、旅行者が少ないと言われる所以がわかるような気がする。

てか、ちょいちょい人が入っている飛行機会社の窓口を見て、
この辺のアフリカンは、本当にこんな大金払って飛行機に乗っているのか?と真剣に悩む。



飛行機の事もそうだけど、まずは体調。
身なりのしっかりしたセネガルのおっさんに病院はどこかと聞くと、
駐在している担当医の先生を呼んできてくれた。


この時にはじめて知った。
大使館で診察してくれるシステムを。


奥に通されて、いろいろ話しを聞いてもらい、マラリアの検査&血液検査までしてもらった。
マラリアの検査キットには何も表示されなく陰性ではあったが、
検査キットの精度的に、マラリア菌を検出できるだけ症状が悪化していないと、なかなか判断が難しいらしい。


それより今回ついでに検査してもらった血液検査で、

白血球の値が通常"8000"以下のところ"12000"もの値をたたき出した。

予想するに細菌が体内に入り込んで、白血球の値が高まったのではとの事。

たぶん今回はこいつだ。

とりあえず、緊急時の連絡先を教えてもらい、後は抗生物質飲んで安静に過ごす事。


ダカールはかつてないほど宿代が高く1泊2000円から。
焦りは感じるが体調回復の様子を見てから動くしかない。


日本語で診察を受けれて、現状を把握できるのって安心する。
なんか診察もしっかりしてるし、日本基準ってのは、まったくもってすばらしいね。

もちろん無料。


みなさんが汗水流した結晶の一部を拝借して私、健康を取り戻せそうです。






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       『MAISON DES ESCLAVES』



フランス語で『奴隷の部屋』と書かれた入り口が、島のなんでもない通りに現れた。


その赤茶色の建物こそ、西の果てに連れて来られた奴隷のアフリカ最終終着点。

そして、アメリカ大陸への始発点。


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16世紀中頃から、約300年に渡ってポルトガル、オランダ、イギリス、フランスが支配をし

奴隷貿易が行われ、その総数は1000~1500万人とも言われている。


集められた奴隷は、ここから奴隷船に乗せられ、3ヶ月かけて砂糖や綿花とともにアメリカ大陸へと輸送された。

生きてアメリカ大陸に上陸した奴隷達を待ち受けていたのは、プランテーションでの過酷な肉体労働だった。



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1777年、オランダ人によって建てられた部屋。

二階建て構造になっており、一階に奴隷を収容する部屋がある。


"部屋"というよりただのくり抜かれた空間と言った方が適切かもしれない。



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1階には、男部屋、女部屋、処女部屋に分かれており、窓というか空気を通す隙間が一箇所だけ。

4畳位の狭い部屋の床は凸凹になっており、ここに15人~20人は詰め込まれていたという。

トイレは一日一回だけ。


男一人は銃1丁と交換されたとも言われている。


剥がれ落ちた壁と空間の放つ雰囲気から人間扱いされていなかった、当時の様子を物語る。


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建物の二階には当時の使われていた、手錠などが展示されていた。

人間が人間扱いされていなかった証拠物。


壁にはフランス語で書かれた書類も。



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海に向かって作られた、『帰らずの扉』


この扉を抜けたものは二度と戻っては来れない。



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どんな思いで、この扉をくぐっていったのだろう。


連れて行かれた人達と同じ気持ちに浸れるわけないが、少しでもここからイメージを膨らませることが大切。


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                    <この扉からアメリカ大陸へ>


イメージできるだろうか。


ここから次々と、手錠をかけられた奴隷が大西洋を渡っていく様子が。


そんな扉の前、グループでポーズを取るヨーロピアン。

奴隷が通った扉より、写真写りの方が気になるらしい。

そんな人達が一組や二組じゃなかったのに驚かされる。



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人が一人通れる位の小さなドアから、歴史は動いた。


霊的なものは感じなかったが、確かにこの目で確認した。


そして、その後から何気ない街の景色も以前と少し違って見えてきた。


またこうして、自分の中の価値観が変わっていく。









アフリカ西の果て、セネガルはダカールから船で20分のところにある島、『Goree Island』。

この島はかつてヨーロッパ諸国の支配を受けていた頃に、アメリカ大陸へ物資の輸送だけでなく、
人間の輸送売買の拠点、すなわち奴隷貿易の拠点になった島。


皮肉にも中・南米の人にとっては、祖先の故郷とも言える場所とも言える。


今回バマコから33時間かけてセネガルに来た最大の理由は、このゴレ島を訪れる為。
かつての面影を感じ、悲惨な歴史が今はどのような形に変化しているか、どうしてもこの目で見ておきたかった。



前日に地元のおじさんから聞いていたゴレ島への行き方通りの道を行く。
宿から10分程歩くと、ゴレ島へ向かうフェリーポートへ到着した。

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『負の世界遺産』、として登録されているゴレ島へ向かうフェリーの値段は、

20分足らずの距離に関わらず5000cfa。

学割だと半額に。


※物価感覚からして現地の人にとって5000cfaは、5000円くらいかそれ以上。
 屋台メシ600cfa、コーラ500m350cfa、バス150cfa等、円感覚と似ているのが多い為。


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今にも出発しそうなフェリーに駆け足で乗り込むと驚いた。


週末だからなのか、中型フェリーに詰め込まれていたのは、老若男女問わずヨーロピアンで溢れ返っていた。

アジア人の姿は自分以外見当たらない。

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                            <出航の時>


船に乗り込んで、港から離れる瞬間、
かつて西アフリカから奴隷として集められた黒人は、この時どんな気持ちだったのだろうか?


そんな気持ちになりながら、奴隷貿易とは歴史を重ねていない日本人が離れる港を眺めていた。


フェリーに乗り込んで最も気になっていた事、それはフランス人を初め、
奴隷貿易に関わっていた人種の人々がどんな表情でゴレ島に向かうのかという事。


ほんの一握りの年配者は、静かに神妙にフェリーに乗っていたように見えた。
しかし、ほぼ大多数の人が単なるリゾート地に向かう浮ついた、ただの団体旅行者。



歴史とは裏腹に、パーティーにでも行くかのような服装の女性。


歴史とは裏腹に、すでに酔っ払い過剰な笑い声のおっさん。


歴史とは裏腹に、イチャつく年配カップル。


歴史とは裏腹に、島をバックにカメラの前で悩ましいポーズ。



まだ植民地は続いている。


現在は穏やかな観光地としての側面を持つことでも有名らしいが、
ゴレ島に行くからには、ここが奴隷貿易の拠点になっていた事は周知の事実。


だが、かつて奴隷貿易に関わった人種のこの姿を見て、強く思った。
間違いなく将来、違った形で歴史は繰り返す。
少なくとも、同じ船に乗った人の中には、過去から何かを学ぶ気は何もないようだ。


ここにいる人達の言動だけで、その国の人全体を判断する気はない。
だが、ここにいる人たちの言動が俺にとってすべて。

そして、現実。



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                         <ついに見えたゴレ島>


フェリーは進み、想像とは違って、きれいな海に囲まれたなんとも和やかな雰囲気の島に見えたことか。


到着間近になると、太鼓のリズムが聞こえてくる



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                  <初めて見る打楽器、そして激しく歌う地元民>


船を降りた桟橋では、到着を迎えた地元のグループが音を出し、歌いながら迎えている。


なんとも陽気な落ち着いた島の雰囲気だろうか。


降り立った瞬間では、ここが奴隷貿易の拠点にはまったく思えない。


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旅行者への受け入れ体制が整っている。


オシャレなレストランが並び、お土産屋、ホテルが所々にあるこの島は、

今や観光で成り立っているようでもあった。


そこに住む人たちは、ダカール市内で見た人たちよりも断然きれいな身なりをし、

英語を話し、落ち着いた人たち。


確実にこの島にいる人たちの生活レベルは、セネガルでは高い。


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腹ごしらえにサンドイッチ。


ほんとに島全体がゆっくりしている。


フェリーの時間に観光客が来て、お土産やガイドで働いて、日没前にほとんどの観光客は帰っていく。


それが、今の彼らにすり込まれたタイムスケジュールのようでもあった。


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                       <島のシンボル、バオバブの木>



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                          <やっぱりサッカー>

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                                            <お土産屋兼宿>


島の南北が900m、東西が300mの小さなゴレ島。


島を一周するのに1時間もあれば十分だった。


予想に反してなんとも居心地のいい雰囲気が漂う。



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   <家の色と花の色が鮮やかにマッチしている>              <ガスマスク>



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        <お土産がとにかく多い>                     <ほのぼの>


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   <桟橋で演奏していたグループのCD購入>           <顔みたいな…>


歴史を跳ね除け、観光客の恩恵を受けている現地人。


その姿を見ると、ただ単純にバカンスの雰囲気で来て、お土産を買い、レストランで飲み食いしている、

ヨーロピアンとは、経済的な側面でギブ&テイクが成り立っている。


世界の悲惨な場所は、どこでも観光客が集まる場所になる。

つまり過去の悲惨な出来事が、ただの悲惨な出来事として、現在には至らない。


見方を変えれば、それはただ"今"を見ているだけとも言える。


陽気でフレンドリーに振舞うゴレ島の人達を見て、安心する反面、

大きな態度ではしゃいでるヨーロピアンを見ると理解に苦しむ。


ゴレ島の"今"には、単純に一言で言い表せない微妙な力関係が存在している。



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島を散策後、最後には、奴隷貿易の現場へ……