レオン・フライシャーとセル指揮クリーブランド交響楽団の演奏記録には本当にハズレというものがないように思われます。

お互いの特質がうまくブレンドされ、それぞれの持ち味を高めあうという、本当の意味でのコラボレーションをここに見ることが出来ます。

ここで聴く事のできる「皇帝」は必ずしも勇猛果敢なだけでなく、思慮深くスマートな一面をも合わせ持っているかのようです。

肝心のフライシャーの演奏はというと、第四番もそうですが、私にはシュペルヴィエルの詩のように、薄いシルクのカーテンを透かして見た幻想的でありながらドライな、ラテンアメリカ的開放感を内包した世界のように聴こえます。

お薦めです。





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以前にもD935について書いたことがありました。

そのときはシフの演奏によって、
初めてこの曲の素晴らしさが分った、
というような内容を書きましたが、

その後、アルフレッド・ブレンデルの演奏が
気に入ってしまいました。
といっても、評論家諸氏の評価高い80年代の録音ではなく、
また、70年代のものでもありません。
もしかすると、
忘れられてしまったのではないか、
とも思える第一回目の録音なのです。

シフと比べると、ロマン的ではありますが、
決して感傷的なものではありませんし、テンポが
非常に好ましいものとして受け取れました。

さて、この曲ですが、
今年の11月に来日するラドゥ・ルプーの演奏予定曲でもあります。

ルプーは、個人的には抒情的に過ぎるところがあると
思っているのですが、あそこまで潔く徹していると、
ちょっとは、聴いてみたい気もしました。
ということで、早速、コンサート・チケットをゲットしました。
家内と二人分・・・ひさしぶりのコンサートでもあり、
何を着て行こうか・・・そんなことも楽しみの一つであります。

当日の演目には、
同じくシューベルトのピアノ・ソナタ21番もありますので、
期待はかなり高いです。

珠を磨くような演奏といえば、私はいつも
この人のピアノ演奏を思いだします。
私が贔屓にしているフリードリヒ・グルダ、その人です。

「ちょっと待て、以前、グルダの演奏はサロンで演奏
しているようだと言ってただろ?」
と、突っ込みを入れられそうです


確かに、60年代に氏が録音した曲は、
ここで挙げる作品111番も含め、
コンサート的というよりはサロン的に、
より身近なものとして感じることが出来ます。


しかし、この曲が他の曲と異なるのは、

グルダ氏の個人的な思いが詰め込まれたかのごとく、
実に丹念に仕上げられている点なのです。

氏の弱音のコントロールに関しては、若い時の
演奏を聴いても突出しておりましたが、

60年代の録音においては、
さらに、その技に磨きをかけ、弱音における朧げな
表現から無段階とも思えるほど変幻自在にタッチを変化させ、
音の一つ一つに命を吹き込むかのような演奏を聴くことができます。

その様は、まるで指と鍵盤の間に物理的な力である
ファンデルワールス力が働いて、
擬似的に接着しているかのようです。

ちなみに、
作品111は全2楽章の中にテーマが圧縮されており、
第一楽章は、「闘争」がテーマになっていると言われます。

ベートーヴェンにとっての「闘争」とは、

ほとんど失われた聴覚を乗り越えて作曲を続けること、
作曲家として、新しい地平線を開拓し続けること、
そして、疎まれようが甥を一人前に育てていくこと、
と苦難につぐ苦難を、勇気をもって乗り越えていくこと
だったと思っているのですが、
その理由として、この曲が交響曲第5番 「運命」と同じく、
ハ短調 であるということだけでは希薄でしょうか?

続く第二楽章においては、
「闘争」からの解放が実に美しく描かれます。

キリスト教的には、肉体からの解放や
現生からの解放のように受け取れますが、
現代的な解釈をほどこすと、
「乗り越えられない宿命はない」
とのメッセージのようにも受け取れるような気がします。

これだけの大きなテーマを背景にした作品ですから、
演奏する側にとっても生半可な気持ちで臨める
ものではありません。

フリードリヒ・グルダは同曲の録音を
50年代と60年代、80年代に残しております。
(最近、ORFEOから昔の音源が発掘されたようですが)

表現の方法は、その時代なりの氏の思惑が
感じられこそすれ、
全ての録音を通し、
グルダの解釈が全くぶれていないことは何とも
素晴らしいことです。

若き意欲が漲った50年代の録音も素晴らしいのですが、
先に述べたように、60年代の録音には思わず溜息が出ます。
80年代の録音は・・・サロン的というよりも、
もっと・・・個人的なものへと変化したような気がします。

自分自身をベートーヴェンと重ね合わせ、
「闘争」を、過ぎ去った遠い日々のものとして
描いている・・・・そんな気にさせます。

従来よりも、長く伸ばした音が霧散するのを待つように、
ゆったりとしたテンポでもって、空間に漂う残響音に氏は
何を見たのでしょう?