※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#791  女を泣かすな

 

 

 

(本放送)・・・1977年1月19日

(再放送)・・・2020年7月16日

(脚本)・・・元持栄美

(監督)・・・鈴木敏郎

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・三船班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷隆)、

松木部長刑事(早川雄三)、佐田刑事(立花直樹)、戸川刑事(一の瀬玲奈)、

石原刑事(吉田豊明)、谷山部長刑事(和崎俊哉)、三船主任(青木義朗)

 

(出演者)・・・

河津清三郎、池田和歌子、伊藤高、方上江麻、じん弘、加東三和、片山滉、

実川天兵、木村修、左海徹、茂木美佐子、山下和行、新井敏也、福永幸雄、

鶴見新吾、山岡徹也、日野麗子、鮎川浩、明石勤、村田知栄子、島宇志夫

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

純愛小説で有名な流行作家・くろかわようたろうが、

婚約発表の夜、殺害された!

婚約者の母と、そして若い女性・・・。

作家という仮面の下で、

夜な夜なサディスティックに荒れ狂う星川の姿・・・。

特捜隊・三船班は、痴情怨恨の線で捜査を進めた。

現場に残されていた病院の明細書から、

時代劇の往年のスター・中川原竜之介に疑惑の線が・・・。

だが、作家・星川洋太郎に泣かされ、憎悪の炎を燃やす人々がいた!

次回、特捜隊、「女を泣かすな」、御期待ください。

 

※下線部は、「星川洋太郎」の誤りだと劇中で判明するが、敢えてそのまま記載する。

 

 

(備考)・・・

・当作の参考文献として、「鞍馬天狗のおじさんは-聞書アラカン一代」(竹中労著)がある。

・田中係長、鑑識員(西郷隆)の出演場面は見当たらない。

・中川原竜之介を演じた河津清三郎は、#491 最後の道化師 以来6年近く経ってからの出演。

#680 結婚と離婚の バラード を視聴すると、元持栄美が隠れテーマとして、当作を脚色したことがうかがえる。

・編集者の柿沼を演じた伊藤高は、「待っていた用心棒」で二代目野良犬を演じた伊藤雄之助の長男にあたる。DVDとなっている後継番組の特捜最前線作品・特捜最前線(第59回)制服のテロリスト達! には伊藤高だけでなく、松木部長刑事を演じた早川雄三も出演している。

 

・次回予告篇(#792分)は、視聴しないことをお勧め。

・星川洋太郎の死体発見現場は、#640 闇 その他特捜隊作品でも登場する放水路であるが、自分自身調べたところ、未だ該当地域を特定出来ていない。

→(追加)R2.7.27

友人から、昔の外堀通りは現在ほど拡張していなかったこと、昔より水かさが増して土手下の水路脇が水没しているかもしれないこと、が指摘されたことから、確信は持てないが現在のJR御茶ノ水駅・聖橋口を下車した「聖橋」周辺と推定される。なお、現在の御茶ノ水駅周辺は再開発もあるのか大規模工事を行なっているため、当時の面影はうかがえなくなっている。

→(再追加)R2.7.27

上記を書いた後、#515 私は許せない をも再見して確認したところ、令和2年のgooglemapとも比較してみて、特捜隊のロケ撮影の頻度から、北区の王子駅に近い「音無親水公園・音無橋」の可能性が最も高い。

・当作はストーリーに多少の混乱をきたしているが、1976年12月25日に記者会見、退院、所有権移転登記が完了されたものとして、以下本文を作成する(後述)。

 

 

(視聴録)・・・開始約12分半ばまで

 

12月26日変死体発見の報を受け、三船班は現場の放水路に到着、捜査となる。死体は土手下の水路脇に放置され、死因は後頭部強打による頭蓋骨折、死亡時刻は昨夜10-11時と推定(註・後に昨夜11時と確定)。ただ鑑識員は、事故死か他殺か現状では断定できず、周囲の状況から現場は別にあると述べる。そして、純愛小説ファンでもある戸川の、死体の男を純愛小説作家・星川洋太郎(明石勤)との指摘で身元は確定。佐田も、昨日、星川は料亭・にのみやの女将・二宮郁代(村田知栄子)の娘・昌美(方上江麻)との婚約を発表していたと話すと、谷山は婚約発表当日の出来事であるなら痴情怨恨事件の可能性を指摘する。さらに遺留品に鍵が1本あることから、三船主任は佐田と星川の自宅マンションに向かい、谷山・戸川は料亭・にのみやに向かう。

 

また、土手上の階段を捜索中、石原が武蔵野療圓病院の領収書を発見、松木がみてみると日付は昨日の25日、宛名がサイレント期からの映画俳優・中川原竜之介(河津清三郎)であることに驚き、早速、中川原邸へと向かう。そこで内縁の妻・富永春子(池田和歌子)に聞きこむと、退院していたことに驚く。中川原は1カ月ほど前から入院しており、昨日、院長(片山滉)から許可で一時帰宅、お互い琴・尺八の演奏をして過ごし、病院に戻ったと話すのだった。

 

星川宅へ向かった三船主任・佐田は、鍵が開いていたため室内に入ると、雑誌編集者・柿沼(伊藤高)が星川の原稿仕上がり待ちで眠り込んでいた。締切が本日午前中のため飲酒しており、星川が外出したことに気づかなかったが、昨夜10時ごろ、女からの電話を取り次いだ話をする。星川は「忙しい、駄目だ、待つのはあんたの勝手だ」と言っており、婚約発表早々に女性トラブルでは本が売れなくなると柿沼が話したら、顔色を変えたことからその女のところに出かけた可能性を示唆する。これは、佐田がデスクで星川と若い女(註・後に沢村加奈子と判明する、演者は日野麗子)の2人きりの写真を見つけたことに、符合するようでもあった。

 

料亭に向かった谷山・戸川は、郁代に聞きこむと星川の死にショックを受けながらも、昌美はまだ帰って来ていないと語る。そして星川と昌美は結婚してもうまくいきそうにはないと答えると、その無関心さに純愛小説ファンでもある戸川は、「愛するがゆえに高まる愛を抑えて、心の愛をより深く求める」という星川の愛のテーマを知らないのかと声を荒げる。それを諫めた谷山は昌美の行き先の心当たりを聞くが、わからないとの返事に、この場は帰ることにする。と、その直後、仲居(加東三和)が郁代に電話を取り次ぐ。郁代が電話に出てみると・・・。

 

 

当作は、星川ストーリーと中川原ストーリーに別れており、これは上記本文の前に、星川・昌美の婚約発表とそれを見つめる美奈子の場面、邸で中川原・春子のささやかな演奏会が描かれる場面、以降間接的に、2つのストーリーは流れていきます。

 

星川ストーリーは、谷山が郁代の反応が「星川の内面」にあると推理するところから、思わぬ展開となります。中川原ストーリーは、病院からの唐突な退院は、事務長(実川天兵)の見落としによるもので、その後主な人物として、中川原を知る老守衛・かんざきとらのすけ(鮎川浩)、映画監督(山岡徹也)、さらには司法書士(左海徹)、掏摸(じん弘)も登場させることで、展開に膨らみを持たせます。

そして、最終的に当作のテーマでもある「真実の愛」とは何か、の追及に至ります。

 

 

刑事ドラマという面からみれば、当作に及第点をつけるのは難しいでしょう。というのが、今からみれば特捜隊終焉が近づいていたこともあり、当作本放送を1977年1月19日後回しにした可能性が有ります。これは領収書日付が1977年12月25日であること、あるいは近作では冒頭に島宇志夫ナレーションで「月日」を明確にするパターンに回帰したのに、当作では触れていないこと(註・上記本文では月日を明記しておきました)が挙げられます。

 

これにより、月日が合わないところを削除するわけですが、その弊害として、時系列がおかしくなり、登場人物の整合性が合わなくなるという結果をもたらしています。これが(備考)で書いた箇所であり、ポイントである星川の死は事故死? 他殺? もしかして自殺? と考察する暇をも無くしてしまい、真相も辻褄が合わないばかりでなく急ぎ足で語られるということになりました。これは、脚本、監督の問題というより編集の問題であり、もっといえば予告篇もナレーション・映像を少し考えればいいのにと思うところがあります(註・今回は、そのこともあり敢えて、予告篇のナレーションをボカすことなく、そのまま挙げました)。

ただ、脚本を自身が所蔵しているわけではないので推測に過ぎないのですが、その体でいけば、昨年か一昨年に、ネットオークションで特捜隊脚本が出品されていたので、惜しいことをしたかなあという気持ちもあります。

 

それでは人間ドラマとしてはどうかというと、自分は「鞍馬天狗のおじさんは-聞書アラカン一代」「映画渡世 天の巻・地の巻」を読んでいたこともあり、当作を嵐寛寿郎の生き方を投影したものとして、感銘を受けるとともに、映像に観入りました。#530 懐しのメロディー 殺し屋

だけを観賞すると「おじいちゃん」、悪い言葉では「老いぼれ」となるでしょうか。

 

しかし、フィルモグラフィーをみると素晴らしく、鞍馬天狗を始め様々な役柄を演じ、「明治天皇と日露大戦争」(1957年)では明治天皇に扮し財政逼迫の新東宝を救い、「大東亜戦争と国際裁判」(1959年)では極東国際軍事裁判の記憶明けやらぬなか東條英機を演じ、高倉健主演の「網走番外地」(1965年)ではこれこそ助演男優賞ものだという鬼寅を演じました。

その嵐寛寿郎の私生活は豪放零落でありながら、他人への気配りは人一倍だったことが前掲書にあり、最近はwikiにも出ているので、興味のある方お読みください。

 

この先入観があったからか、中川原ストーリーと星川ストーリーの対比は心地よく、中川原の人柄を映画監督を介しての説明、そして「真実の愛」についてを、中川原が「ある場所」「ある人物」に語りかける場面は、非常に印象深い。中川原を河津清三郎が演じながらも、その後ろには嵐寛寿郎が立っているかのようでありました。

そして、現在は稀少なのでしょうが、春子みたいな女性に言い寄られたら男性は(自分だけかもしれませんが)心が揺らぐことでしょう。

かつて#747 人質の女

で、感情を演じきれなかった池田和歌子にしては大きな躍進であり、春子の中川原に対する情愛とともに、昌美・加奈子・郁代とは違った女性を演じきれたと思います。そして、その形はラストで見事に昇華されます。

 

注目すべきは、そのラストで三船主任が向ける温かい目。#788 無情の風に散る

でみせた、三船主任の「老いに向けた哀憐の念」がこもっており、これまた男優・青木義朗の包容さを感じさせるところでありました。

こういった意味では、刑事ドラマとしての欠落を、人間ドラマが包容してくれたともいえるわけで。特捜隊終焉に近づきつつある作品としては充分に有りだと思います。

 

さて、中川原を演じた河津清三郎ですが、詳しくはwikiでも紹介されているので、自分自身の思いを語りたいと思います。時代劇の印象の強い俳優さんですが、近年ようやく観れた作品に「愛怨峡」(1937年、新興キネマ)があります。自分は溝口健二作品を、「瀧の白糸」(1933年、入江たか子版)、「赤線地帯」(1956年)以外あまり評価は出来なかったのですが、これは面白い作品でした。出来得るなら、音声も良く大きな画面で観れればと思うものの、上手く主演の山路ふみ子を引き立てたのが河津清三郎であります。トルストイの「復活」がテーマにあるとの指摘もありますが、二転三転する運命の女性を、送り出したり受け止めたり、古臭い演技(註・マキノ雅弘によればドン臭いということです)といえようとも、作品を成立させた功労者ともいえ、あの溝口健二を納得させたのは一介の男優さんじゃできないと思います。

その河津清三郎ですが嵐寛寿郎との共演は意外と少ないもので、その嵐寛寿郎は特捜隊終焉の3年後に永眠されており、河津清三郎はそのあと3年後に永眠されています。