【第3回再放送】のうち、右のテーマ別をみれば明らかなのですが、立石主任=波島進、が関わった放送回を(捜査班、個人も併せ)抜き出してみました。

(1) 立石班単独***全22回

(2) 立石班に藤島班が協力***全2回

(3) 立石班と三船班との合同***全3回

(4) 三船班に立石主任が協力***全1回

※「協力」と「合同」についての区分けは、あくまで自分の主観によるものです(次回後述)

 

上記から、立石主任が関わった放送回は26回であり、【第3回再放送】開始から立石班の終焉までは全部で48回ですから、自分が見始めてから半数を超える回に出演しています。

第1回放送の1961年10月11日、#001 最後の犯人を追え から、毎週ではないにせよ出演しているのですから、夕食でいえばメインディッシュの位置づけなのでしょう。しかし、その立石主任も、#498 女の縮図  を最終話として特捜隊から去ることになります。

 

wikiの「逸話」によると

>番組前半期の顔であった立石主任役の波島と藤島主任役の中山は番組10周年を目前にして降板した。波島の降板理由は三船班をメインに据えた番組の路線変更に難色を示したことと言われている。この番組の降板から間もなくして波島は芸能界を引退した。

とありますが、これは果たしてどうなんでしょうか? 難色を示すほど「尊大な」イメージは無いですし、そういう人物なら現場での衝突も噂として挙がり、そもそもサムライ気質のプロデューサーから重宝されるわけは無いと思うのです。

 

というのが、「掲示板特捜隊」には、特捜隊マニアというか資料収集されるかたが多いようで、そこである方が資料を提示されていたことがあります。波島進が降板する前のインタビューしたあとの記事(週刊テレビガイド)で、題目で「ボウリング場経営に賭ける」「特捜隊の第一線を退く波島進」とあります。

要約しますと、スポンサー事情(註・交代か)から出演者の大幅な入れ替えを行なっていたところ、波島進は、その2,3年前から10年目を目途に辞めることを申し出ていたようなのです。プロデューサーは、三船班をメイン、立石主任をセミレギュラーとする構想で波島進と交渉していたのですが、波島進からの前々からの申し出と、満10年ではないがスポンサー代わりを節目としての降板を受け入れたということです。そして、記事は波島進自身が副業としてきた事業経営に専念、自らはボウリング場経営、夫人(女優の川口節子)に旅館経営を任せるということで締めくくっています(いまのところ、降板について、自分が目にしたニュースソースは「掲示板特捜隊」の上記記事のみであります)。

 

てっきり、日産がずうっと単独スポンサーかと思っていたのですが、どうやら1970年くらいのスポンサー交代問題、新スポンサーからの要請をきっかけに、前からやっていた副業をメインにしたい気持ちもあり、男優引退の道を選んだのが正解なような気がします。その後、復帰もされていないので、充実した第2の人生を送られたのではないかと思われます。

考えてみれば、「番組の路線変更に難色を示した」のであれば、現場に軋轢が残り、娘さんの女優デビュー(小倉千代として、「暴れん坊将軍Ⅱ」のレギュラー)に支障が出るわけですから、可能性は少ないものと推察します。

 

さて、波島進自身について触れることばかりになりましたので、作品についてのさまざまな考察は、次回に改めて述べたいと思います。