特別機動捜査隊に関連する作品、映画・Vシネ・テレビドラマ・動画に限定せず、あるいは脚本・監督にこだわらず、主観的に関連性がありそうと判断したものを取りあげました。

 

 

【にっぽんGメン】 全5作のシリーズ物の第1作

 

 

(公開日・本放送日)

1948年10月12日公開、東横映画(京都撮影所)製作、大映配給作品

過去に東映chで放送されたもののダイジェスト版(YouTubeにて、約20分)

(脚本)比佐芳武

(監督)松田定次

(後援)警視庁

(出演者) ※Movie Walker より抜粋

片岡千恵蔵、伊沢一郎、折原啓子、杉村春子、杉狂児、大日方伝、加東大介、

月形龍之介、藤井貢、市川春代、鈴木伝明

 

 

(特捜隊関連事項)

特捜隊で関根部長刑事を演じる伊沢一郎の出演作品。また、警視庁が作品製作に関わったものとして、特捜隊を遡る約12年前の作品でもある。

 

 

(備考)

・ダイジェスト版を見た限りでは、原健作が出演している。

 

 

(あらすじ) 

断片のみの視聴のため、Movie Walker を参照のこと。

 

 

(視聴録)

 

ダイジェスト版を見ただけの視聴録なので、不十分なことは承知しているのですが、約12年後の東映製作番組、特別機動捜査隊(特捜隊)・誕生の萌芽ともいえる作品です。オープニングの、「後援・警視庁」の表記は、まさに特捜隊の「協力・警視庁」を連想させるものであります。

そして、新聞記事、通報、聞きこみ、一斉捜査の場面も、連想するところが多い。古い日本映画(特に戦前製作の作品)を観ると、刑事・警官が市民側への、どちらかというと威圧的な接し方を描いたものが多かったのですが、戦後になると一変します。民主化への流れ、GHQによる検閲もあったのでしょうが、できるだけ内部をオープンに、捜査も科学的に、という風潮が映像からうかがえる作品となっています。

 

製作された1948年は戦後まもなくの時期で、映画はGHQ(細かくいえば配下のCIEなる組織)の検閲が日常であり、脚本から映像まで許可を得ないと公開できないものでありました。要は、GHQが日本占領中、都合の良い映画の公開だけを認めて、統治を容易くするためであります。その中で目立つのが、時代劇の抑制に代表される、仇討もの、剣戟ものが撮れなくなったこと、あるいは(アメリカ人から見た)暴力・残酷などの排除が挙げられます。時代劇俳優は現代劇に出演したり、殺人を連想する題名は禁止、など1947-1950年が規制のピークだったようです。余談ですが、それでも伊藤大輔監督は、「刀を抜かない時代劇」として阪東妻三郎主演で「素浪人罷通る」という、長期のスランプから脱出する作品を撮りあげています。

 

当作では、そのGHQの規制や当時の警察機構のようすがうかがえる作品となっています。ダイジェスト版のため全容不明なところがありますが、暴力・残酷な場面について直接的描写を避けていることが見受けられます。

たとえば、ある人物が殺害される場面では、状況から殺害されそうな雰囲気(ある人物の後ろでロープを扱く人物のアップ)を映し出し、肝心の殺害場面をカットして、観客に殺害を想起させるところ。付随して、その死体を表に出さず(註・ダイジェスト版なので、実写で登場させたかもしれないのですが)、漬物樽の下に埋まっているかもしれないと、これまた観客に殺害を想起させるところ。規制が有りながらも、上手く表現しています。

 

また、同時期の片岡千恵蔵の多羅尾伴内シリーズでは、規制が有りながらも、伴内や犯罪者に拳銃を持たせ、発砲する場面はありました。これは、相手に当たっている場面を入れないことで、暴力描写ではないとGHQを納得させたらしいですが、当作では(ダイジェスト版を見た限りでは)警察に拳銃すら持たせていません。

戦後はGHQの問題で、混乱(一時的な規制か?)もあったようですが、1946年1月16日に「日本警察官の武装に関する覚書」が取り交わされ、拳銃武装が復活しました(wikiより)。しかし、治安悪化、犯罪件数の増加により、実態は末端まで拳銃が行きわたらなかったようです。当作での、警察拳銃不所持はここいらへんを反映させているのか、興味深いところです。

 

ダイジェスト版は20分強で終わっているので、全体77分(日本映画製作者連盟のHP)からすると予告篇に等しいのですが、それでも、果たして死体は埋まっているのかという興味・サスペンスを出して、後半へ繋げるところは面白い。

そして、前半で犯罪の概要、登場する刑事たちの人間関係を描き出し、さらには、Movie Walker のあらすじから判断すると、作品の序盤で伏線も張っており、後の特捜隊の番組構成を見ているようでもあります。後援・警視庁という点も、実際に起こった事件の情報を受けて、脚本・比佐芳武が書き上げたとも推察されます。

 

さて、注目すべきは関根部長刑事こと伊沢一郎が出演していたこと。正直、外見だけでは気づかず、発声で初めて気がつきました。まるで、#451 雨の中の慕情 での小林幸子(当時の表記はさち子)に気づいたときを思い出すようであり、当作(1948年)から9年後の、リングの王者 栄光の世界 (1957年)での容姿からは考えられない印象です。一言でいえば、カミソリのような鋭さを思わせるスタイルであり、特捜隊でいえば三船主任が若かったらあのような感じなのかなと思いました。

伊沢一郎は1912年生まれなので、当作は36歳壮年期のころの作品です。この後は、大映作品出演が主流になりますが、1961年からは東映作品出演、そしてテレビ作品出演に舵をきります。そして、1963年、特捜隊の#101 台風圏 に出演したことがきっかけで、特捜隊・関根部長刑事誕生の流れになっていきます。特捜隊のスタッフが、当作を見て、関根部長刑事役に抜擢したわけではないでしょうが、なかなか面白い符号ではあります。