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それはとりあえずおいといて。

こんにちは、Lunaです。広範性発達障害を持つ昭和人です。「ポジティブカレンダー」よりも、ヒロシの「ネガティブカレンダー」を手に取ってしまいますが「元気があれば何でも出来る」はずなので、その「元気」を探す旅に出ています。

桜も葉っぱが目立って来ましたね。🌸

昨日クリニックに行きまして、先生に

「どう、桜は見に行った?」
と聞かれたので、

「はい、電車やバスの窓から」

と言ったら、苦笑されました(・ω・)
だって、歩いて行けるところにないんだもんよー。
ない事もないが、歩きたくないんだよー。

まあ、それはそれとして。

以前から18歳未満のADHD患者には処方が許されていた薬

「コンサータ(メチルフェニデート)」

ですが、昨年暮れにやっと成人にも認可が降りました。

てか、ADHDって、18歳の誕生日にいきなり治るものなのか?
そういうところがお偉いさん方は頭が硬いよな。

しかし、リタリンが処方禁止になって6年、
このニュースを喜んだのは私だけではないでしょう。
そして、私が通っているクリニックが、処方出来る医院であった事も
ラッキーでした。

コンサータは覚せい剤、つまり麻薬です。
精神科だからと言って、どこでも出してもらえるものではありません。
医師自身が研修を受け、
「あなたの所では出していいですよ」
と言うお墨付きをもらわなければならないのです。
処方箋薬局もしかりです。

この気の抜けた6年を、やっと取り戻す事が出来るんだ!!

年末年始のお休み前ギリギリに、コンサータを処方してもらい、
もう震えんばかりの喜びと共に服用しました。

…で、3ヶ月ちょっとが経ちます。

結論から言えば……「期待はずれ 」でした。
あくまでも「私には」ですが。

相変わらず部屋はゴミ部屋(屋敷ではありません)、
先延ばし癖も変わりません。
「面倒臭~い、動きたくな~い」
な、毎日です。

ただ、やはり覚せい剤なんだなあ、と思うところは
以前だったら夜の眠剤が朝に残って起きられませんでしたが、
これを飲むと起きていられます。
寝起きの気分の悪さは変わりませんが、枕元に
お水とコンサータを置いておき、起きたと思ったら
ヨロヨロとそれだけ布団の中で飲んでしまいます。

すると、朝食を済ませる頃にはアクビも
出なくなっているかなあ、と言う感じ。

つまりは、今のところ「起きているための薬」としか
言えないわけで…(>_<)

リタを飲んでいた時の元気は、幻想だったのかもしれないな、と
思ったりもします。
ですから、もしコンサータを飲めば「ふなっしー」みたいに
キャッハー!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆となれるか、
と聞かれれば、

当たり前ですがなれません。
てか、なったら警察か閉鎖病棟行きですぞ。

でも効果は人それぞれで、
コンサータを飲んで「部屋を片付けられた!!」と言う方も
実際いらっしゃいますし、
逆に合わなくて入院してしまった方もいます。

もちろん、コンサータよりストラテラの方がいい、と
言う方もいらっしゃるでしょうしね。

私はまだちょっと、薬ジプシーをしなくてはいけないようですが
しかしコンサータを試せた事は、良い事だったと思っています。

前のクリニックはコンサータ絶対反対派の先生だったので、
そこに通い続けていたら 、今だに
コンサータの夢を見て、処方してくれない医師を
恨んでいたかもしれませんから。

6年間夢見ていた魔法は、思ったほど効きませんでしたが、
でもまだまだこれから、と言う希望は持てています(^_^)

なお、大変申し訳ありませんが、

「コンサータを試したいのだけれど、
処方してくれる医院が見つからない。
出してくれるところを教えてもらえないか」

と言うご質問には、お答え出来かねます。
どうかご了承くださいませ。

これから桜の見頃を迎える地域の皆様、
どうぞ良い季節をお楽しみくださいね( ^ω^ )
で、いきなり昨日の話になってしまいますが。

相変わらずレ・フレールのライブには行っております。

ただ、父の介護をしている時は、地方まで追っかけ…と言うわけには
いきませんでした。

母に留守を頼んで、首都圏、日帰りで行けるところで
行なわれるライブを選んで、行かせてもらっていました。

父が亡くなってからは、また少しずつ地方にも
足を向け始め…

昨日は、一年間に渡る「ベスト・オブ・レ・フレール」ツアーの
ファイナル公演が長野県松本市で行なわれ、
あずさに乗って行って来ました。

いやーすごい盛り上がりでした!

最後は壊れた?圭土さんがジャケットを脱ぎ捨て、
初の「ナマ腕大公開」の大サービス、それだけでは飽き足らず
守也さんのジャケットもひっぺがす、と言う

「いやーこりゃいいもん見た( ̄▽ ̄)」

と言うのが正直な感想。
変態オバサンはどうしようもないですな。

しかし…

いつも思う事なのですが、あの指笛、どうにかなりませんかね。
この頃、なぜかご近所になる事が多いのですよ。

曲が終わって拍手喝采、の時ならまだいいですよ。
せっかく曲を聴きたいのに、曲の間じゅう近くでピーピー、
もう騒音としか言えません。
あなたは曲聴かなくていいんですか?
目立てばいいんですか?

先日、男子フィギュアで羽生選手がいざ滑り出さん、と言う時に
「ユヅ、愛してる~!!」
と黄色い声援が響き渡り、物議をかもしたばかりですが…

お初のお客様が
「ご兄弟のピアノはいいけれど、ファンの方々がちょっとね…」
と、ライブに足を運んでくれなくなったらどうするのでしょうか。

これからご兄弟は、新しいアルバムの製作に入り、
秋からはまたツアーを始めるとのことです。

私も偉そうに言える立場ではありませんが、
新しいお客様が「ファンのマナーもいいし、また来たい」と思える
ライブになることを祈ります。
すっかり桜の時期になってしまいましたね。
お久しぶりですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

昨年は9月に書いたのが最後?ですかね。
相変わらずの放置プレイですが、イヤイヤいろんな事が
ありました。

まず9月。

数年ですが介護をして来た父が、亡くなりました。
いやー「悲しんでいるヒマはない」って、本当ですよ。
だって、遺体を霊安室に運ぶのは病院の人かと思っていましたが、
あれはもう葬儀屋さんなんですね。

安置された父に、集まった親族がお焼香をして
振り向くともう葬儀屋さんが

「それで、まずはお通夜とお葬式でございますが」

と、始まってしまいます。

母は腰痛で動けない、長男である兄は遠方から来ている、と
いうことで、必然的に事務的処理は私が、という事になりました。

父の仕事関係では、同業の叔父にずいぶん助けてもらいましたが…

生まれ育った東京ではなく、ろくに外の様子も知らない土地から
旅立ってしまった父。

先に逝ってしまわれた友人も多いため、
身内だけのひっそりとしたお式になりました。

でも、父が元気だった頃からの口癖。

「オレの葬式には絶対に『アディオス・ノニーノ』をかけてくれ」

タンゴの名曲です。意味は「さよなら、お父さん」。
お坊様が読経される以外の時間は、ずっとタンゴのCDをかけてもらいました。
お父さん、満足してくれたかな?

あれから早いものでもう半年。
今頃、先に逝ったお友達と昔話に花を咲かせているでしょうか。
それとも、まだ新入り扱いかなあ。

お父さんの大好きな甲子園、今やっているよ。

ペタをいただくのは大変嬉しいことですが、

「どんな人がペタしてくれたんだろう」と

ワクワクしながら見に行ってみると、

ほとんどが宣伝目的のブログです。


「○○を使ってみたら、1週間で効果アリ!オススメです!」

みたいなのばかり。


スルーすれば良いだけの話ですが、

宣伝目的に使われるのが

イヤですので、

ペタそのものを受け付けないことにしました。


私のブログに何か感じてくださって

ペタしてくださっていた方には、

本当に申し訳ありません。


コメントは引き続き、承認制ですが、お待ちしております(^_^)

ご了承のほど、よろしくお願い致します。



*Luna*

映画監督の宮崎 駿さんが、引退を表明されましたね。


私は、漫画家になる前は、ほんの数年だったのですが

アニメーターだった時期がありました。


藤子アニメを主に担当しており、

残念ながら宮崎作品に携われることはありませんでしたが、

きっと私が参加していたら、リテイクリテイクの嵐で

宮崎さんがブチ切れていたことでしょう(^_^;)


ご本人と直接お会いしたことはないのですが、

私が勤めていたアニメ製作会社の社長と宮崎さんは、

お友達でした。


「ナウシカ」のビデオが発売された時、

うちの会社にも宮崎さんから

(その頃まだジブリはなく、「二馬力」と言う会社でした)

「おたくの社員さんたち、ナウシカのビデオ買わない?」と

社長に打診がありました。


社員たちはこぞって「買う!買う!」と言い出し、

ビデオが来るのを心待ちにしていました。

もちろん、私もその中のひとりでした。


そして、いざビデオが届いた時・・・


社員たちは息を飲みました。

ビデオの1本1本のパッケージに、宮崎さんが

サインを入れてくださっていたのです。


その頃のビデオと言えば、

パッケージは紙製で、

まわりをうすっぺらいビニールで包んだだけの

簡単なものでした。


そのビニールにそっと切れ目を入れて

パッケージを取り出し、

宮崎さんはサインを入れ、

またそっとビニールの中にパッケージを戻して

くださっていたのです。


宮崎さんと言えば、アニメーターたちを

怒鳴りつけたり、

出来の悪い原動画をいきなり破り捨てたり、という

イメージが強いです。


でも、以前見たスペシャル番組で、

宮崎さんが自らおそばを手打ちし、

ジブリの社員さんたちにふるまっているお姿を

拝見しました。


震災後、

「パン屋さんだって、朝早く起きて頑張っているんだよ」と

おっしゃりながら、

パンをひとつひとつ社員さんたちに

手渡ししておられてもいました。


そして、ナウシカのビデオの1本1本に

丁寧にサインをくださったこと。

上司にすれば怖い方なのかもしれませんが、

まだ若くてアニメーターとしてはヒヨッコだった私は、

「なんて優しい人なんだろう」

と、感動したのを覚えています。


今、宮崎さんはお願いされても

サインはなさらないそうです。

なぜなら、自分のサインが営利目的ですごい高値で

取引されているのをお知りになって、

大変に心痛めていらっしゃることからだそうです。


それでも、東日本大震災の復興イベントでは、

サイン会を開いてらっしゃいました。

それは、たとえご自分のサインが売買されることになっても、

復興のためのお金になるならばそれでも良い、という

お考えのもとに開催されたサイン会だったのです。


宮崎さんは、長編アニメーション製作は

もうなさらない、とはっきりおっしゃいました。


もしかしたら短編は作るかもしれないし、

「やりたいことがある」ともおっしゃっていましたから、

まだまだ宮崎さんの創造の熱意は消えていないものと思います。


でも、はっきりと

「これで引退します。ありがとうございました」と

言われてしまうと、

失礼ながらご本人が亡くなってしまったような、

もう二度と画面を通してでもお目にかかれなくなるような、

そんな寂しさを感じます。


きっとまた、

「やっぱり作っちゃいました」と

短編でも新作をひっさげて帰って来てくださることを、

心から願っています。



「子供たちに、

『この世は生きるに値するところなんだ』と

伝えること。

それが僕たちの仕事の根幹になければならない」



子供向けに今まで仕事をして来た私には、

耳の痛いお言葉です。


ほんの数年、レベルの違いはあれど、

宮崎さんと「同業者」でいられたこと。


本当に幸せに思います。


宮崎さん、心に残る数々の名作を、

本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。


今まで通り、体調に気をつけられて、

いつまでもお元気でおられますように。


いつかお会い出来る日を楽しみにしています。