巫(かんなぎ) の紗妃です。

 

ただいま「神さまメッセージができるまで」を連載中です。

 

 

○これまでの記事

①霊的感覚が目覚めたとき

②神さまの元に通い始める

③神さまメッセージ誕生。ところが・・・
④修行時代のお話

⑤過去からの手紙

⑥祖母と家系のお話

⑦幼い頃の私と神仏との関わり

⑧全ては「私」のため

 

 

「宝物」という言葉で、ふと浮かんだのは幼い頃、誰かが持っていた巻き貝でした。

子供たちが寄り集まって、交互に耳に当てると、さざ波の音が聞こえます。

 

砂浜で潮の満ち引きを聞いているような、その一時ここではないどこかへと誘われたように錯覚しても、耳を離すと現実に引き戻されるのです。

 

巻き貝という珍しさも相まって、持っている誰かを羨ましく思いました。

その子にとっても、きっと「宝物」だったに違いありません。

 

 

そんな記憶を思い出したのは、SNSでこんな言葉を見たからでした。

 

 

誰かと人生を交換するとなった時

手放したくないと思ったことが人生の宝物

 

あさイチのInstagramに上げられた、湊かなえさんの色紙です。

 

 

これを見て、私は考え込んでしまいました。

なぜなら、かつて自分の身の上を嘆いて巫を厭い、「変われるものなら誰か変わってくれ」と思っていたからです。

 

 

でも、今の自分はどうなんだろう?

はたして、私は本当に誰かと人生を交換したいんだろうか?

 

 

ウンウンと頭を捻り、とりあえず身近な人を思い浮かべて、「そもそも交換したいか」から考えてみます。

誰一人として、ピンと来ませんでした。

 

では、自分の何なら手放せるかと考えてみると、やっぱり何一つありませんでした。

 

 

つまり、私は自分の何一つ、引き換えにして誰の人生とも交換したくないのです。

 

巫ですら、あれだけ不満たらたらで、「こんな”お役目”なんて」と心底ひがんでいたにも関わらず、その実だれに譲る気など毛頭ありません。

 

それも決して、「こんな大変なお役目を誰に引き継ぐなんて」とかいう殊勝な心がけなどではなく、ただただ、それこそ子供が自分の宝物にしがみついて離さないかのような、一種の貪欲さを持ってNOと言いたい気分になるのです。

 

 

その私の本音が出した答えに、自分で戸惑いました。

今だって私は、少しくらいは「役目を返せるものなら返したい」と思うからです。

ですが、その一方で「巫でない自分」なんて想像がつきません。

 

 

「行きたい」というだけで、自分だけのメモを初めて「神さまメッセージ」として出した無謀な挑戦。

 

お布団に逃げ込んでも、震える気持ちを度外視してでも「月イチで絶対に神さまに会いに行く」と決意したあの日。

 

行く先々で出会う神さま、触れ合った人たちのこと。

季節の風景、手を合わせるたびに吹く風。

空をたなびく雲に、雨上がりにかかる虹に、どれだけ奮い立たせてもらったことでしょう。

 

何より、神さまからの言伝てを求めてくる人が、その言葉に勇気づけられ、後押しによって人生を変えていく姿を見て、私もまた希望を得ていたことも全て、何より代えがたい贈り物です。

 

 

それだけ、巫として過ごした日々が板につき、すっかり人生の一部となり、「宝物」にすらなっていたのでした。

 

 

「愛」って、少しもイヤなところがないことだと思っていたのです。

 

でも、少しくらいイヤなところがあったって、気にしないくらい「愛する」努力ができるのなら、それは「愛している」ことに他ならないのだと思いました。

 

それが私にとっての巫であり、神さまの元を訪れて後押しをお届けする、神さまメッセージに他ならないと気づき、自分の内にあるものこそ、かけがえのない宝物だと思えることが人生の、現実的豊かさと結びつくことなのだと思い至りました。

 

 

 

次は完結編です。

 

 

 

この春「私の価値」から現実的豊かさを広げたい方へ☆

大国主&事代主の神さまメッセージ

 

 

 

 


巫(かんなぎ)の林 紗妃です。




今年は年明けから、世相もさることながら個人に対しても、根幹からの変化を促しているようです。

ここ数ヶ月は思うように動けず、もどかしさを感じたり、とくに内省に取り組んでいた方は「このままではいられない」と予感したのではないでしょうか。


そんな「生き方の前提のシフト」という、いわゆる大型アップデートの流れの中、いつも以上に心身の負担を大きく感じるのも無理はありません。

人は本能的に安定を望むもの。
変化に対して葛藤や恐れが起きるのは自然なことです。

でも、逆に「自分に沿うラクな生き方へのシフト」と捉えるなら、思いきってチャレンジに飛び込ぶには最適な時期です。

そこで得たものは、必ず糧になります。
チャレンジそのものが、未来への種まきになるとも言えるのです。


私も年が変わってから非常に動きづらく、意識パターンから変えざるを得ない日々を過ごしていました。

これまでは何とか理由づけができていたものの、もはやそれも通用せず、「自分の中にある答え」に従わねばならない、という状態が続いています。

動かなくてはいけないとアタマでは思いつつ、根っこでは問題はそこではないと「わかって」いる。



本当は自分の選択に理由なんて、いらない。



社会的、あるいは周囲の枠組みから自分の意識や行動規範を決めていたなら、なおさら「私に従う」というテーマにフォーカスされます。

これから5月の上旬までは、そんな「理屈付けからの解放」が続きます。


固定観念が強かったり、社会的枠組みに自分を押し込めて生きづらさを感じていた方にとっては、刷新するチャンス!

もっと広い世界に出ていく「扉」が開く気配。
とくに4月からは動きやすさが出てきたり、嬉しいできごともやってきそうです。

まさにサクラサク運気。
希望を感じることも増えていくはずです。

心身に負荷を感じている方は、意識して緩めたり自分を労る時間を持つといいでしょう。

頑張るのが当たり前になっていると、今までしていたことをやめるのには勇気がいります。
でもエネルギーを回復させて、自分のリソースを適切に循環させるためには避けられないプロセスです。

頑張りどころの刷新とも言えます。
罪悪感に負けないで!
向こう側へ行くための、一時的な反応に過ぎません。

自分にとっての、本当の「心地よさ」を大切にすると、花曇りも超える頃、穏やかな日差しとともに気分も晴れやかになるでしょう。


私を大切にするから、世界も私を大切にできる。
そんな自分らしい人生の発芽を促すためにも、今のサクラサク運気にうまく乗ってくださいね。



◆オススメのメニュー
豊かさから人生をシフトしたい方に。

直感に従ってスムーズに流れを乗りこなしたい方に。




 

巫(かんなぎ) の紗妃です。

 

ただいま「神さまメッセージができるまで」を連載中です。

 

 

○これまでの記事

①霊的感覚が目覚めたとき

②神さまの元に通い始める

③神さまメッセージ誕生。ところが・・・
④修行時代のお話

⑤過去からの手紙

⑥祖母と家系のお話

⑦幼い頃の私と神仏との関わり

 

 

ずぅっと昔、幼い頃の私が抱いていた疑問があります。

 

私って一体、なんなんだろう?

何のために生きているんだろう。

 

 

それは生きることそのものへの虚無感であり、ありのままの自分に対する絶望感、まるで閉じ込められたような悲壮感でもありました。

 

 

自身の存在価値を疑い、自分のすることに手応えを感じられなかったこそ、私は自らの意志で記憶を辿り、自らの言葉で語ることが必要だったのでしょう。

 

何が起きて、今につながったか。

私は何をして、誰と出会っていたのか。

 

以前に書いたこと。初めて出したこと。

過去と、バラバラになった記憶をつなぎ合わせていくと、全てが自分のために起きていたような気がします。

 

 

いくら人が信じて認めてくれたとしても、自分で自分の信頼を回復せず、無価値と決めつけている限り、満たされることはありません。

 

「存在価値」からして疑っていたら、自分から出るものにも価値を見出せません。

自分で自分を満たせることを許していない以上、何を手に入れても空虚感が残るのは当たり前です。

 

 

そんな長年信じてきた、根本からの「自分の思う価値」を手放して、どんな理由も付けず、ただカミゴトをしていいと知ったとき、私は初めて無価値感に襲われました。

 

それほどまでに「存在価値」に囚われすぎてもいました。

存在すること、また選択することに条件などない、と知らなかったのです。

知っていたつもりでも、自分自身に適用できていませんでした。

 

 

もう少しだけ、続きます。

 

 

この春から自分の価値で現実的豊かさを広げたい方へ☆

大国主&事代主の神さまメッセージ

 

 

4月から3ヶ月の流れを知りたい方にオススメです。

【28日まで】春の運気ポイントリーディング

 

 

 
巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
 
このところ、春を愛でる暇もなく、相変わらず内面の問題と取り組んでいました。
よくもまあ飽きずに、と自分でも思いますが、これも1月から続く神さまから頂いた課題を解消するため。
引いては、自分の生き方をシフトするためでもあります。
 
 
とはいえ、ここ数日は近所で建物の解体工事で連日ガラガラガシャンと響く音にウンザリ。
かと思えば、こちらでも外壁工事でベランダの視界がなくなり、ただでさえ落ち気味な気持ちが、ますます塞がりそうでした。
 
 
ある日の夜。
やっと静けさを取り戻した部屋で、ポストから回収したリビングを読んでいると、よさこい祭りのお知らせが。
そういえば動画で見たことはあっても、生で観たことはありませんでした。
スケジュールを見ると、気になるチームが来ている!
 
 
というわけで、日曜日は熊本城まで行ってきました。
お目当てはJR九州櫻燕隊です。
 
 

 
以前、ネットで話題になったので一度観てみたかったのです。
制服からしてカッコいいなー!
 
ちなみに後で過去の動画を観ると、少し前から制服が変わったようです。
 
 
会場では近くに屋台もあり、それなりに人は多かったのですが、やはりJR九州櫻燕隊の番となると、続々と人が集まってきて、注目度の高さが窺えます。
 
 

 
前に行くのを遠慮して後方から見ていたのですが、少し迫力に欠けます。
今にして思えば近くの席にいけばよかったな、とちびっと後悔。
 
それでも、ピシッと決まった演舞は見ていて爽快でした。
全員が駅員って、いつ練習するんだろう?
仕事の忙しい中で、ここまでのクオリティを保てるなんて頭が下がるばかりです。
 
 

 
お身内の方なのか、それとも熱心なファンなのかわかりませんが、櫻燕隊のTシャツを着たご家族が、一心にうちわを振っていました。
 
写真に写っている九のうちわがそれなんですが、コレ売っているのかな・・・?
まさに、これも「推し活」といった風で、演舞を観ながらひそかに和んでいました。
 
 

 
最後まで力強く華やかな演舞に、改めて近くで観たいと思いました。
 
 
このときの演舞はyoutubeにアップされています。

 

 

 

少し前まではダウンにヒートテックが必須だったのに、日中は暑さを感じるほどになりました。
日射しの強さに昨年の熱中症を思い出し、終わった後は急いで二の丸広場から桜の馬場 城彩苑に下りました。
 
 
正直に言えば、行くまでは「別にいいかな」とも思っていたのです。
寝入りが遅いこともあって、起きられるかを心配していたのもあります。
 
しかし、当日になるといつもより早く起きることができた上に、道中もひょんなところで人の少ない道を自転車で走ることになり、余裕を持って間に合わせることができました。
 
 
「したい」で動けば、ちゃんと道が用意されている。
この春は、そんな動けば動くほどチャンスに恵まれる流れが来ている予感がします。
 
 
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巫(かんなぎ) の紗妃です。

 

ただいま「神さまメッセージができるまで」を連載中です。

 

 

○これまでの記事

①霊的感覚が目覚めたとき

②神さまの元に通い始める

③神さまメッセージ誕生。ところが・・・
④修行時代のお話

⑤過去からの手紙

⑥祖母と家系のお話

 

 

家の中で霊的なものや神仏との関わりを多少なりとも感じてはいたものの、「ふぅん」と聞き流していた私ですが、幼い頃は神社に行くと、誰に教わるともなしに手を合わすような子供だったようです。

 


物心が付いてからは、散歩に連れ出してくれた祖母や伯父に言われるがまま、10円玉をチャリンとしてお地蔵さんに手を合わせていました。

 

その頃、オヤが交通事故に遭って親戚の家に預けられていたのですが、あまりよくわからず、お地蔵さんに「何を言えばいいかわからないな」と思ったことを覚えています。

 

 

その後、小学生の一時期にいた校区は、集団登校のときに必ずお地蔵さんにご挨拶するのが習わしでした。

 

ボーッと歩いていたら通り過ぎてしまい、上級生のお姉さんに一喝されて慌てて「おはようございますッ!」と大声で叫んだこともあります。

 

 

そんな生活の中に溶け込む神仏との付き合いは、しかし十代に入る前になくなります。

逆に無神論者だとうそぶくようになって、受験でも宗教がらみの大学を避けるほどでした。

 

気にする方がおかしいのでは、と今なら思うのですが、どことなく「合わない」ものを感じていたのかもしれません。

 

 

結局、「お地蔵さんを見たらご挨拶」の習慣だけは残りつつ、この仕事に至るまでは神仏とは無縁の生活をしていたのでした。

 

 

続きます。

 

 

 

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大国主&事代主の神さまメッセージ