巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
 
ある日の夜、ふとお稲荷さんが食べたくなりました。
またお稲荷さんに呼ばれているな。
 
九州のお稲荷さんと言えば、真っ先に浮かぶのが太宰府の天開稲荷ですが、このときは様子が違いました。
 
あ、コレは熊本城のお稲荷さんだな。
というわけで、唐突に熊本で神さまの御用巡りの始まりです。
 
 
 

 
熊本城稲荷神社は、加藤清正公が肥後の国主としてお稲荷さんを勧請した神社。
熊本城の石垣を背にして、市街地からすぐのところにあります。
 
派手派手しいお社ですが、意外と境内の雰囲気は落ち着いた佇まい。
そのギャップがなんとも不思議な神社でもあります。
 
 

 
手水舎は、境内の奥まったところにあります。
入ってすぐはわかりませんが、階段を上る前に右手を見ると見つかります。
 
花を浮かべたボウルがあるのは、花手水の流行に倣ってでしょうか。
ちょっと気持ちが華やぎます。
 
手水自体もキレイに石が磨かれたモダンなデザイン。
ごく最近に作られたかと思いきや、大正時代の奉納で当時最先端だったのかもしれない、とちょっと探究心をくすぐられます。
 
 
 

 
メインの拝殿の横にも、たくさんのお稲荷さんが祀られています。
時代の変遷で地域にあったお社を遷座したのかもしれません。
 
一瞬、「どのお稲荷さん?」・・・と思いましたが、何のことはない、始めからいたお稲荷さんですので、迷いなく御用を伺いに行けました。
 
どうやら、お届けもののようです。
 
 
これで終わりかと思いきや、どうも他も巡らないといけない様子。
要するに、本日は「集荷」のための御用だったようです。
 
 

 
そんなわけでお稲荷さんの次は、お城に向かって右手にある熊本大神宮に赴きます。
明治時代に伊勢から勧請された比較的新しい神社です。
 
熊本地震の被害で、脇の石垣のみならず社殿そのものも倒壊するという、並々ならぬ被害を受けた神社でしたが、だいぶ落ち着いたようです。
 
 

 
お社の方で、豊受の姫神さんが朗らかに応対してくれました。
(そういえばお稲荷さんが、どんなだったか忘れました・・・)
 
ここでも、集荷。ハイ、確かに。
 
どこの神社に行ってもそうですが、何を預かったかは千差万別です。
「書状」や「巻物」、時には「布」な時もあります。
しかし、神さま同士のやり取りですので、詮索はいたしません。
 
 

 
最後に、加藤神社。
前日は雨だったゆえ、なおのこと晴れやかな空が清らかに見えます。
春風が涼しく、絶好の参拝日和です。
 
 

 
参拝ならぬ集荷のために神社に赴くって、どないやねんって一人ツッコみつつも、まあでも出張でもしょっちゅうやっているしね、それが自分の近所になっただけだよね・・・なんて思いながら、ここでもお預かり。
 
そういえば、ここではあまり話さなかったな。
家でしょっちゅうお喋りしているからか、とくに言うことはないというか、もう用だけでツーカー、みたいな感じです。
 
 

 
裏手に回ったついでに白鬚さんにお詣り。
新調されたばかりの、ペカペカのお社はいつ見ても心躍ります。
 
古いお社も趣があって、それはそれでいいものですが、新しくなったのも「大事にされている」のを見て取れて、無性に嬉しくなるのです。
 
どこの神さまも、いついつまでも人や土地をお見守り頂けますように。
 
 

 
昼下がりの熊本城、よく見るとガラス張り。
気軽に外が見られるようになって、いいな。
中は展示とかになっているようですが、未だに私は入場かなわず。
 
 
うーん、いつかお城に入る日が来るのだろうか・・・。
 
 
お稲荷さんのお呼びから始まった御用巡りでしたが、まだ行くべき神社が他にもありました。
 
 
続きます。
 
 
 

流れにスムーズに乗るのに神さまの力を借りたい方はコチラ☆

春のお出かけ神社リーディング

 

 
 
 

 

巫(かんなぎ) の林紗妃です。

 

これまでの記事

①「できたこと」を記録する

 


連載の続き。


 

 

前回のと似ていますが、自分にあるものに目を向ける練習として、もう1つ。


「思いがけないラッキー」をメモする



たとえば私なら、こんな感じ。


・1000円分のギフト券が当たった


・借りたかった本を借りられた


・知人から服をもらった


・市民会館のおじさんに道を聞いたら、さっさと駐輪場に着いて、イベントに間に合った。



こんなのもあります。


・壊れた電子レンジを無料で捨てられた


ちょうど壊れたとき、マンションの工事で不用品を処分できることになったのです。


さらに、意外な効果もありました。


・圧力鍋を使ったほうが美味しい!はからずも丁寧な生活


いつも電子レンジで加熱していた食材を圧力鍋を使うようになったら、そっちのほうが美味しかったです(笑)



記録していくと、いかに自分が何かしようとしなくても与えられていること、受け取れるものがあることに着目できます。


豊かさに目を向ける練習、やってみてくださいね。



続きます。

 

 

豊かさを受け取る神さまメッセージは、ただいま誠意制作中です。

 

 

 

 

流れにスムーズに乗るのに神さまの力を借りたい方はコチラ☆

 

 

 

 

 

 

巫(かんなぎ) の林紗妃です。

 

本日から始まる新連載は、私が豊かさを受け取るために神さまから教わったこと。題して


豊かさを受け取るためのレッスン


です。


では、早速どうぞ!



初めに私が与えられた課題は


「自分の選択を無条件で自分で認めること」


要するに「自分のしたことを褒める」というもの。

一見、カンタンなように見えますが、私には思いのほか難しかったのです。


・誰かから承認/支持をもらわないといけない(できない)


・何かと理由や条件が必要になる


・自分でしたことも「なかったこと」にする



条件付けが当たり前になりすぎて、得ることにこだわらないのが難しく、得られない=無力=しないというパターンにも陥りました。



それだと、いつまで経っても「私は何もできない、無力で無価値な存在」という観念から解放されません。


そこで、一日の終わりに「できたこと」を記録するようになりました。


たとえば「お洗濯」一つとっても、私が自分で洗濯してできたこと、とカウントする。


仕事なら、前までなら「記事を出す(結果を出す)までが仕事」としていたのを下書きをしただけでも、できたことにする。


とにかく、自分への敷居を下げながら、自分ですること・してきたことの実績を積み上げる。

「自分しか知らなくったっていい。私のすることは無価値ではなく、無力ではない」という意識付けをしていきます。


そうすると、新しいことに挑戦するにしても「あれ、思ったより怖くないかも」と行動への敷居を下げることができるんですね。



自分の豊かさを受け取るには、まず自分の選択を認めてあげることから。


「どうせムリ」と諦めがちな人も、今アタリマエにしていることから、自分で自分を認めてあげる。


記録することで、「思ったよりできている自分」が可視化されて、「もしかしたら、できるかも」という意識付けが可能になります。



なお、それでも「できない」と感じたときは、自分の気持ちを受け止めることを優先してあげてください。

それを「理由付け」で置き去りにすると、私のように「理由がないとできない」となりますので…!



したいと思ったことに、スナオになる。

それは、豊かさを受け取る基本なのです。



続きます。



豊かさを受け取るた神さまメッセージは、ただいま誠意制作中です。



流れにスムーズに乗るのに神さまの力を借りたい方はコチラ☆





巫(かんなぎ) の紗妃です。

 

連載中の「神さまメッセージができるまで」は、これにて完結です。

 

 

○これまでの記事

①霊的感覚が目覚めたとき

②神さまの元に通い始める

③神さまメッセージ誕生。ところが・・・
④修行時代のお話

⑤過去からの手紙

⑥祖母と家系のお話

⑦幼い頃の私と神仏との関わり

⑧全ては「私」のため

⑨人生の宝物



この連載を始めたとき、それが私の、オオクニヌシとコトシロヌシによる「豊かさ」のレッスンだと感じていても、一体どこでどう終わるのか自分でさえわかりませんでした。



二十代の後半から今に至るまで、私は確かに「巫」としての道を歩んできました。

でも、それを「私の一部」としてしか捉えておらず、無価値化していた領域が広く潜んでいたのです。


それは言い換えれば「自分の豊かさの無効化」とも言えるわけで、 是正するには過去から遡って自分を掘り返すことが必要でした。



幼少期まで遡り、記憶を掘り起こす時間は、まるで忘れ物を取りに行くような心持ちでした。


辛いだけだと思っていた記憶も、捉え方を変えるだけで、かけがえのない体験や経験に塗り替えられる。

それはまさに、宝物を取り戻しに行くような歩み。



巫を「神さまに従わなきゃいけない」と思い込んでいましたし、そもそも巫を「職業」として捉えてきたことが誤りでした。

あれだけ自由にしてきたにも関わらず、です。



自分という存在の、スケール感からして履き違え、受け入れていなかったから、勝手にそんな理由付けをしていただけで、巫は私の在りようであり、生きる道でした。

だから、するとかしないとか、そういう領域じゃなかったんですね。

巫の世界観=ウラがオモテの世界観
私の生き方=私の在りよう



自分の価値観も無効化していると、自分の強みすら弱点と化して抑えることもわかりました。


誰かに倣い、刷り込まれた価値観によって豊かさの意味を履き違え、わかったつもりになっていたと気付かされることも、山ほどありました。



「正しいか間違いか」という軸ではなく、自分の本音に従えるかどうか。


周りを見ても社会の流れにあっても、自分にしかない圧倒的な答え、そしてその選択に、責任を持つ覚悟を持つことを徹底して教わりました。


そしてら自分の価値観、そこから来る「答え」を受け入れたとき、他者や社会の枠組みから解放されるだけでなく、自由に行き来できるようになることも嫌というほど叩き込まれたように思います。



初めから自分の好きなようにしかしてないし、そこに私の自由があった。

そこに、私の現実的な豊かさがあることも。


その深い内面から、それこそ魂と自分をつなげるシフトは、まだまだ続いています。



まさか、ここまで長く続くとは思ってもみませんでしたが、これも必要な時間だったのでしょう。


神さまと人をつなげること。

神さまの伝えたいことを「言葉」という形にして、届けること。

この生涯のライフワークを引き受けてこそ、私ならではの現実的豊かさへと結びつけることができるのでしょう。


そんなわけで、神さまメッセージもまだまだ続きます。

一番、私が大切に育ててきたことだものね。

神さま、もっと身近な存在だよって伝えたい。


ああ、またご案内を書き換えなければ。

今度こそ、必要な人に届けるために。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



次は新しく「豊かさのレッスン」として、これまで私が取り組んできたことを書いていきたいと思います。


 


書き換えて再アップします。少々お待ちください。

大国主&事代主の神さまメッセージ


 

 

 

 
巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
2日前から天秤座の満月タイムでした。
ピークは朝9時すぎでしたが、本日の夜11時まで続きます。

 
ここ数日、疲れや気だるさが出てきた人は満月の影響かもしれません。
私自身、寝ても寝ても眠くて、自分もまた自然の一部なんだな、と思いながら過ごしていました。
 
今夜はゆっくり、自分を労りながらゆるめる時間を過ごしてくださいね。
 
 
 
この一週間は人との関わりの中で、自分のポテンシャルに気づいたり、「役目」という形で負っていた責任を手放す機会も多かったのではないでしょうか。
 
泥臭い努力があればこそ、意識や行動が洗練されていく。
「ムダなことなど何一つない」と、苦しみの中でも自然とそう思える方が、無理やり思うよりは気持ちのゆとりが出てくるものです。
 
むしろ「蓮は泥の中から美しく咲く」とか、今はそんな陳腐な慰めはいらないと力強く振り切る意志すら、芽生えてきそうです。
 
 
正しさの中にいる限り、
決して見つからない答えを見つけ出そう

納得しようとする限り、
決して受け入れない選択を引き出そう

承認を得ようとする限り、
決して受け取れない豊かさを見出そう

 

 

そんな強い意志で前を向いたとき、これまでと違う景色が見えてきます。

変わらない日常に、取るに足らないと思っていた選択に、いつもと同じ人間関係に、違う彩りが紛れ込んでくるのです。

 

それは、今まで「当たり前」と思っていた事が、実は自分の色眼鏡に過ぎなかったことに気づいた証。

 

アタマで考えるよりも、自分は思うより自分がどうしたいかを知っているものです。

「人の思う価値」の、なんと頼りないことか。
ある一定期間、自分のごく一部に対する他人のくだした評価なんてアテにならない。
どうして、私はそんな評価を自分の価値や絶対評価として受け取ったんだろう。


自分の「全体性」を思うとき、その中のごく一部として出てきた自分のカケラをその人のフィルタを通して見られたからとて、自己価値や存在の評価にするのが、いかに無為であるかを思い知らされます。


そのときこそ、「自分の思ったとおりの自分」を乗り越える、いいチャンスです。
「私」の範囲は、人が思っている以上に、そして自分自身の思う以上に広がっていて、秘められた可能性は無限大に眠っています。



少しだけ、思考を放棄して自分の「したい」に従ったとき、思わぬ道が開けます。
そこで受け取った結果は、また自分の認識を鮮やかに塗り替えていくのです。

 
ひょっとして、思ったより人の役に立てるんでは?
 
もしかすると、この役目は背負わなくていいかも?
 
そういえば、意外と恵まれているのかもしれない
 
 

それを教えてくれるのも、また「他人」です。
他人は自分の鏡。
自分の動機や選択を変えたとき、そこから生じる変化を相対する他者が教えてくれるのです。
 

そんな、ふとした気づきは、自分で自分を縛っていた鎖を解放するきっかけを与えてくれます。
 

この時期に衣替えするのは少しためらうように、自分をガラッと変えるのには勇気がいるけれど、「今の私が思う私」をはみ出ることはできます。

満月を経て迎える週明けは、そんな風に自分の枠組みを広げると流れの変化を実感するのではないでしょうか。


明るい兆しを迎える一週間となりますように☆


流れにスムーズに乗るのに神さまの力を借りたい方はコチラ☆
 

この春、「私の価値」に目覚めて現実的豊かさを広げたい方はコチラ☆

大国主&事代主の神さまメッセージ