巫(かんなぎ) の紗妃です。
ただいま「神さまメッセージができるまで」を連載中です。
○これまでの記事
神社に行って、手を合わせる。
かつての私にとって、それは「わざわざ」と頭に付けたくなるような、日常からかけ離れたことでした。
しかし亡くなった私の祖母、そして家系から、その布石はチラホラ浮かび上がっていたのです。
あるとき、私の母が祖母と一緒に神社に行くと、手を合わせた祖母が震え始めて、何か「神がかり」のようになりました。
よほど異様な光景だったのでしょう、その記憶が焼きついていたようです。
祖母は大昔、「山に籠もった方がいい」と占い師に言われていました。
恐らく、祖母の「お役目」でもあったのでしょう。
ただ、当時は嫁可愛さから、夫だった祖父が許さなかったようです。
祖父は商売が上手な人で、戦後の闇市から一代で成り上がりましたが、五十代の半ばで亡くなります。
早くに亡くなったのは働きすぎなのか、それとも「役目を果たさなかった」せいなのか、今となってはわかりません。
聞いた当時の私は「没落えらい早かったな」くらいの印象しか持ちませんでしたが。
親戚間のやり取りで、後々にそのお身内に返ってきた、という話になれば、その中に因果を見て「ちょっと薄ら寒かったわ」と溢す話になります。
今にして思えば、「信心深い」とは言えないまでも、そういう霊的な世界や関わりは「ある」と、どこか共通認識を持った家系でもありました。
信じているというよりも、どこかで「わかっている」というのが正しいでしょうか。
一方で私は「オカルト好き」と言う割に、身内の話にとんと興味がなく、祖母の葬式のときに霊感が強い親戚の「気が上がっ」た様子を見ても、「なんか大変そうだな」くらいにしか思いませんでした。
ですので、「したい」と思って始めたわけではない、カミゴトの世界に入ることに疑いもあれば、罪悪感も感じてもいました。
それでも、こうなったのには深い理由がありました。
生まれつきであることもさることながら、祖母のやり残したことをするようになっていたのでしょう。
幼い頃の私の記憶をたどると、そんな霊的なものとの関わりに、ちょっとした縁を感じます。
続きます。
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