パジャマを買いに行った。
綿100%でお手頃価格、店はゆめタウン(モールみたいなところ)に入っているのがわかった。
地図で調べると、3キロほどと自転車なら、そう遠くない。

ただ、経路を見ると細い道を通るようで、なんとも心細い。行ける気がしない。

でも冬のパジャマはもう暑いし、これからの季節に使えそうなのはボロボロだし…。
うーんうーんと数日迷った挙げ句、なるようになれー!…と、出かけることにした。
グーグルマップで要所要所を確認しながら行く作戦。

住宅街、ときどき小さな商店が立ち並ぶ細い道をギーコギーコと漕いでいく。
チェーンが錆びついているな。
そろそろ、スプレーで落とさないとな…。

走りながら、たぶん合ってるな、いやホンマか?を繰り返すうちに心細くなってくる。
ホントに辿り着くのかな…。

キコキコとペダルを漕ぎながら不安になっていると


合ってるよー!


と降ってきた。

そか、合ってるのか。
その声を信じてしばらく行くと、神社があった。
子どもたちが遊ぶ公園になっている。
さっきの声は、この神社だ!

とりあえず、あとでお礼を言うとして目的地に急ぐ。


結論から言えばちゃんと着いたし、パジャマも買えた。
なんなら、ちょっとミスドでお茶もできた。
ゴールデンチョコ、好きなんだよな…。


さて、帰り。
同じ道を通れる気がしない。
私は無事にお家に帰れるのでしょうか…。

なけなしの記憶力を叩き起こし、左右のハウスや畑を眺めながら、舗装されたあぜ道を漕ぐ。
この景色をちょいと街を離れたら見られるの、ホントに幸せだな…。

無事に神社に到着。
日暮れはもう子どもたちはいなくなっていた。

先ほどは道を教えてくれてありがとうございました。
全く地の利のない場所だったので助かりました。

地域の地主神さんだったようで、ニコニコしながら挨拶してくれた。
また来ますんで、そのときはよろしくお願いします…!


なんの繋がりもないのに助かる…と思いつつ、神社をあとにすると、さっき通ったときには気づかなかった神社が斜め向かいにあった。
行き過ぎつつ御祭神を確かめてみると、天神さん。
そういえば先週に市街地の天神さん行ったな…。
たぶん、そこと繋がっていたのかも。


神さまネットワークは不思議なもので、ひょんなところで繋がっていたりする。
同じ御祭神だから全て繋がっている、というわけでもなく、行って初めてわかることもある。

神社参拝は、そんな神さまのネットワークにちょいと乗っからせてもらうことでもある。
すると、こんな風に助けてもらえることもある。
(感覚を開く、心を開くってとこができていると、誰でも気づくことができる。感覚をいかに信頼するかがキモ。)


帰ってから、さっそくパジャマを洗濯した。
着ようとしたら、まだ寒かった。



神さまがあなたに伝えたいことをお届けします☆





御用巡り、一旦は終わりかと思ったものの「向こうからのお返しを届けてないな」と思い立って、再び巡ってきました。

ですので、今回は健軍→城下の神社へのお返し編。


城彩苑の駐車場から出ている無料のシャトルに乗って、加藤神社へ。


そういえば、そもそも神さま同士で何をやり取りしているんだろう?

不思議に思って聞いてみると、「霊威」だと清正公が教えてくれました。


曰く、霊威は「高める」もので、人から受け取るものと、他の場所の神さまから受け取るものとで循環させるんだそうです。

今回は後者の「他の場所の神さまから受け取るもの」にあたるので、こっちからも運んでいる、と。
そして、「御用」は人を介していることもあって、相乗効果もあるんだとか。

とはいえ、人が意識せずとも神さま同士で密かにやり取りしていることもあるらしくて、知らぬ間に御用をしている人もいるそうです。

へえええ、おもしろーい!

もしかすると各地の神社を巡っている人は、御用を果たしているのかもしれませんね。


神社を辞するとき、境内を振り返ってふと、こんなことが浮かびました。


「自分で変えなければいけない」と思って、外から変えられるのを拒んでいたかも。


変化するなら、別にどんな形だっていいよね。
誰が何をどう変えるか、なんてこだわらなくてよかったし、勝手に変わったっていいのよね。
そんなことを一人納得していました。


で、本当はここで歩いて下に降りるつもりが、ボーッとして駐車場方面に戻っていました。

すると、バスの乗降場近くに水飲み場を発見!
この日は少々暑くて、持っていくはずの水を忘れていたので、喉を潤すことができて助かりました。


駐輪場の自転車を回収し、道順なら先にお稲荷さんかな、と入り口に入るとバランスを崩してコケます。

理由はよくわかりませんが、「順番」はあるようで、先日の御用と逆順に行かなくてはいけなかったようです。



そんなわけで気を取り直して、熊本大神宮。

順番を教えてくれるためとはいえ、ちょっと痛かったくらいで済んだのはひとえに神さまの優しさからだなあ…。

なんて、少しすまなそうな神さまの気配を感じながら手を合わせました。


拝殿の脇には、えべっさん。
だいぶ前に来たときは、木造のお社が朽ちてハチの巣になっていたので近づけませんでしたが、石社になったので安心して手を合わせられます。


降りてきた言葉は

楽しいと感じたことが役に立つ。

「役に立つ」ことに異様なこだわりを持つ私に、もっと柔軟な定義を持てることを教わったように思いました。


改めて、お稲荷さんへ。
こちらは摂末社が多いので、それぞれにお届け。
終わってから再び手を合わせたら

感じたことに素直になりなさい。

大神宮で言われたことに繋がっています。
まだ自分の中で素直になりきれず、理由をつけたり誤魔化していることが多くあるのかもしれないな、と思いました。


こちらにはお地蔵さんもいて、初めは神さまじゃないから違うかな、と思いましたが、同じように祀られているんだもん、違うわけがないと思い直しました。

なんとなく、ご霊威を分け合うことは、福を分け合うことに通じるな、と感じます。


こちらは神社から見た参道。奥の赤い鳥居が入口です。

最後は手取天満宮。

以前来たときは閉まる直前だったからか、いまいち手応えを感じられず、御用の中に入るのかな?と思っていたのですが、大通りの入り口から入ると、初めて「迎えられた」感覚がありました。

どうやら、入り方にも順路があったようです。

(別に通らなくても間違いではないのですが)


「違うなら行かなくていいかな」と素通りせず、最後まで諦めなくてよかった!


お届けものがてら、「自分に素直になれますように」と手を合わせたとき、手がポカポカしました。

それと同時に「道ってあるな」と脳裏に浮かびます。
ルートというか順路というか。
自分の中だけの感覚で、人にわからないものであっても、それに従うのが正解なのだ、と。


家に帰ると、神さまメッセージのお申し込みが入っていました。

これはお客さまが言ってくださったことですが



「必要な人が必要なタイミングでちゃんと受け取る」


それもまた流れというか、「順番」のうちに入るのだと思います。
それも、自分の中だけでのルートで、タイミングだからこそ、必要なものが入ってくる。


神さまの御用で神社を巡りましたが、私にとっても改めて、自分の感覚に素直になる大切さを教わった、とても有意義なひとときでもありました。


ご自身のタイミングでピンと来た方にお届けします☆





停滞じゃないけど、ジリジリと動かない日々を過ごしているみなさーん!
ゴールデンウィーク始まりましたけど、生きてます?
(あいさつよ)


停滞ではないとわかっちゃあ、いる。
でも停滞みたいなしんどさが、ある。
それでいて小手先ではどうにもできない。
目先でも追えない。

かと言って何もしないわけにもいかず、今できることをするしかないという、大変にもどかしい状況。

なんなら

今年に入ってからずっとコレ。

ボクもう疲れたよパトラッシュ…


…と、思っていたのは私だけではなかったようで、しっかりドンピシャその状況にいる方が通りすがりの神さまメッセージに、お申し込みくださっています。


いま新しく始めたことがあったり、挑戦したりしている人は現実が動くので感じにくいかもしれません。
ここで取り上げているのは、流れからのアプローチが内面にかかっている人です。


目先小手先が効かなくなって忍耐を要する時間。
それは「中」が変わる、本質的な脱皮です。
いわゆる変容のプロセスの中にいるので、サナギの中で羽化の準備をしているゆえに、「自分から」働きかけることができないんですね。


そんな時期にいる人ほど、必要なのは物事や現実を変える力ではありません。

そのままで耐えしのぶ力、苦しみのさなかにあっても物事を捉え直し、ある種の楽観性を持って気持ちを切り替えたり、自分の枠組みを解放する力です。


今日ね、外を歩いていると外国人の方が着ているTシャツの表に、ババーンと書かれていたんです。

才能は開花するもの。
センスは磨くもの。

たぶん今、忍耐を強いられている人は、何かしら自分の能力を開花させたり、センスを磨くような時間なのだと思います。
たとえ、自分がそれとわからなくても。


ま、そうは言ってもぶっちゃけ「コレいつまで続くんよ!?」ってウンザリする気持ちや疲労感が出てきている人もいると思います。

流れの変わり目だとわかったとて、苦しいことには変わりないよね!わかる、うんわかるよー!!


でも、ここを過ぎたらパーンと動き出すので今は辛抱です。
なんなら、ちょいと気分も放り投げて遊んで発散する方がいいかもしれません。
うっ屈した気持ちでいると、エネルギーも更に滞っていきますからね。


心地よさ、快適さを忘れがちな今このときだからこそ、ゆっくり落ち着けるひとときを保ってくださいね。


現在受付中の「通りすがりの神さまメッセージ」も、滅入りがちな気持ちを落ち着ける働きをもたらしてくれます。

なんと言っても今、その流れをよく知っているのはそばにいる神さまでもあります。
今の流れを伝えながら、自分の囚われた枠組みを解放する一手を教えてくれるかもしれません。

気持ちの持っていき方を知ったり、今ここに踏み留まるための「心のお守り」として、ご活用くださいね。


「いまの流れ・自分にできること」を知りたい方へ☆




 
巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
 
城下町編の続き。
 
 
翌日は市街地の天満宮に立ち寄りました。
(写真を撮ったと思ったら、なかった…)
 
立ち寄ると、ちょうど終わりの太鼓が鳴り響いているところで、どうやらギリギリで間に合ったようです。

 
ここで、いつもならさらに翌日に次の場所へ・・・と、なるのですが、このときの私はちょっぴり疲れてもいました。
よく考えたら、今までだって誰も「すぐに」とは言っていません。
自分のペースを優先して、よかったのです。
 
きっと、巫を投げ出そうとしたのは、そうして自分を追い詰めすぎていたせいもあったのでしょう。
だから、今度は翌週に回して少しお休みすることにします。
自分を追い込むのをやめたら、気持ちがとても楽になりました。
 
そして迎えた翌週の木曜日。
 
熊本市内では最古といわれる健軍神社は、市電「健軍校前」を降りて、坂を登ったところにあります。
今までは坂の手前にある駐車場から入っていたので、正門から入るのは初めてでした。
 
ご祭神が阿蘇に祀られている神さまと同じであるため、「阿蘇四社」にも数えられています。
 
 

楼門くぐると境内の参道。

こういう、狭いところを経て広場でパァッと視界が開けるの、いいよね。 

 
主祭神は建緒組命(タケオグミノミコト)。
健磐龍命(タケイワタツノミコト)や阿蘇津姫(アソツヒメ)など阿蘇神社と同じ神さまも祀られています。
 
明治以前、健軍は「たけみや」と読んでいました。
今は「けんぐん」です。
 
 

拝殿に着くと、裏手に回って預かった荷をお届けすることになりました。

なんか、判をもらったような・・・?

 

これで御用が終わるかと思いきや、今度は各摂末社に分配(?)を依頼されます。

 

 

拝殿の脇にある摂末社。

「これでいいのかな」と思いつつお届けに回ります。


それにしても、一柱ずつ話すのはいいものですね。

神さまとのつながりの基本って感じがします。


 
拝殿に戻って完了したご報告をすると、最後に雨宮神社に立ち寄ります。

祀られているのは水神さん。
ここは「直会」というか、私のエネルギーを潤すためとして、お取り計らいしてくださったようです。

なお、近くに「神水(くわみず)」と名付けられた地域があります。
昔は一帯のところどころが水辺であり、そこにまつわる逸話から名がつき、この神さまと深く関わっている模様。

以前から水辺でもないのに不思議な地名だな、と思っていたのですが、はからずも答え合わせができた形にもなりました。

 

 
少なくとも平安時代以前から続く古社は、阿蘇と並び称されるのも頷けます。
それでも素朴で親しみやすい雰囲気は、ちょっと足を伸ばしてでも訪れたい場所です。
 
 

また、ここは西南戦争の際に熊本軍が集合した場所…と、地味に見どころが沢山あります。


また地元の神さまと少し距離が近づいた気がして、熊本がさらに身近に感じられるようになりました。

 


 

なお、表参道は1,2キロほどあるそうな。

どこから歩くんだろう?車で来たほうが早そうだな 、と思いつつ御用を終わらせたのでした。



 

流れにスムーズに乗るのに神さまの力を借りたい方はコチラ☆

春のお出かけ神社リーディング

 

 
 
 

 

巫(かんなぎ) の林紗妃です。

 

これまでの記事

①「できたこと」を記録する

②思いがけないラッキーをメモする

 

 

神さまの後押しは、厄を除けたり幸運を運んでくれたりするだけでなく、「今の私にできること」を教えてくれるんですよね。
そこに目を向けさせてくれると言いますか。

 

そして実際、目を向けると意外に

「私だからこそできること」

「私だからこそ受け取れるもの」

が、多くあったりします。

 

「あるもの」に目を向けられるようになると、たとえドン底でも「それでも、これはある」と思えるし、その捉え方が落ち込む気持ちに歯止めをかけたり、状況を立て直すきっかけを作ってくれるのです。

 

 

 

さて、私の中にあった大きな固定観念。

 

・誰かから承認/支持をもらわないといけない(できない)

・何かと理由や条件が必要になる

 

それを是正するために、「できたこと」の記録を始めました。

ただ、これだけだと「今これからする」ためのブレーキが外れません。

 

 

なぜなら、「認められないなら、やってもムダ」と理由をつけて諦めるからです。


それが常態化して

 

自分のしたいことをガマンする

→できない自分を責める

→無力感に陥る

→「何をしてもムダ」と諦める

→したいことをガマンする

 

という負のループに陥っていました。

 

当然、自分で自分の選択を承認できません。

よって「動くには他者の承認を得る」などの理由付けが必要になります。

あるいは「不安がなくなったら」とかね。

 

つまり、いつまで経っても「自分のしたいことを無条件で選択する」ができず、余計なエネルギーを消耗していたのです。

 

 

そもそも「どうせムリ」の根本は、変化に対する恐れで作り上げた脳の幻想だったりします。


もう一度、言います。

恐れは脳みその幻想です。

単純に、恐れで「動かない理由」にしているだけです。

 

 

そこで、私が立てた作戦は2つ。

 

不安なままで小さなことからやってみる

 

 

「不安なままで」がミソです。

不安を解消しようとせず、その感情を感じたままで「する」ことを選ぶ。

不安がある=現実がそれに起きる、ではないからです。

 

 

もう一つは

 

自分だけでも自分を認めると決める

 

「こうなる」とあらかじめ結果を決めつけず、結果を出すことにこだわらない。

まずは一歩を踏み出した自分を認めて、その結果も認める。

 

そして、これが一番重要なのですが「できなくても/しなくてもOK」とします。

できない・しない自分を責めない。

これだけでも、「できない自分を責める=無力感に陥る」の部分をカットできます。

 

「このときは」「たまたま」できなかった、しなかっただけ。

次の機会には、できるかもしれないから。

 


シンプルに「他者を気にせず、自分のしたいことをする」練習ですね。

これができるようになると、他者の意見や評価に左右されにくくなります。

 

また、自分の「できないという決めつけ」から、「できる可能性」を開くことにもなります。

 

 

不安感を解消しないままって、ホント気持ち悪いんですけど、やってみると「いろいろ考えていたけど、実際にすると大したことないな」と思うことが増えました。

する前から大げさに騒いでいたのは私だけ、というか。

で、実践することで不安に感じていたことが消えることもありますし、あるいは「何を不安に感じているのか」を知る材料になりました。


これも、目下継続中。

このブログを書くに当たっても、意識していたりします。


 

要するに「実践した方が早い」という話なんだけど、「その実践に持っていくための捉え方」です。

 

 

続きます。

 

 

豊かさを受け取る神さまメッセージは、ただいま誠意制作中です。

 

 

 


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