例によって例のごとく、神さまの後押しは自分の課題の炙り出しでもあるのですが、私にとっては「魂」とか「霊性」といった、これまで避けてきた話をすることでもありました。
【風の神さまのお話】
なんで避けてきたかといえば、至極単純で
だってアヤシイじゃない。←
何を今さら…と言われるかもしれませんが、「普通に生きたかった、カミゴトの役目を『背負わされた』私」にとっては、切実な問題だったのです。
実際には、「背負わされた」なんてことはなくて、時期が来たら「その道に向かうようになっていた」のですが、そんなのずっと後にわかったことです。
また神さまの後押しは厄除けや開運といった、いわゆる「運気を引き上げる」側面も確かにありますが、それ以上に「魂の自分と出会わせてくれる」という側面が大きかったんですね。
決して伏せていたわけではありませんが、私自身がそれを受け入れられるようになるまで、こんなにも時間がかかってしまいました。
生まれたときから、私たちは祝福されている。
神さまたちに見守られている。
それはまた、神さまは人のありようをそのまま愛して受け入れ、信頼してくれることを意味します。
否定しているのは、自分だけなのです。
成長すると、いつの間にか忘れてしまうんですよね。
そしてまた、幼い心の柔さは傷つきやすくもあり、その傷の上に人生を築くこともあります。
小さな傷が歪みとなって、ありようを眠らせたままで、いびつな増改築を続けると、やがては生き辛さにつながるのは、無理からぬことなのです。
魂や霊性の話をひた隠しにしてきた私は、「受け入れられたい気持ち」が強くありました。
どこか、何か、いつも、人と違う。
その違和感を抱いたまま、自分をうまくごまかす術ばかりがうまくなって、でも孤立したような寂しさを抱えていました。
自分で自分を受け入れる、という概念を知らなかったのですから、さもありなんです。
生き方をまず是正してから、内面の問題に辿り着くか、逆に内面を癒やして自分の生き方に辿り着くかは、人それぞれだなのでしょう。
私は、たまたま生き方を概ね変えてから内面に取り組む必要があった。
なぜなら、私は社会的な劣等感も強くて、神さまの強制終了なしでは、とてもじゃないですが生き方を変えることができなかったからです。
神さまのプログラムは、本当によくできていると、思います。
あるいは、魂のプログラムと言ってもいいでしょう。
それも、自分自身が自分や自分の人生に疑問を投げかけて、「それを知りたい」「その道を生きたい」と自分で踏み込まない限りは、扉は開かないような気がします。
それを思うと、まあ一筋縄ではいかない道だなあと思いますが、そんなの誰だって大なり小なりあるわけで、自分だけが苦しんでいるわけじゃないのです。
むしろ、そうして苦悩して葛藤したことで、言えることもあれば、示せる可能性もあるのだと、最近になって思い至りました。
「最近になって、ようやっと」というのが、それこそここ最近連続した気づきですが、少なくとも大きな視点で見れば、そのタイミングも「想定内」であり、神さまからすると「まあ、及第点だねえ」と笑ってもらえるのが救いです。
全ては、自分の手の中にある。
魂の自分と出会ったとき、知らなかったはずなのに「もう既に知っている」という感覚が芽生え始めるのが、面白いところです。
内にあるのだから、もう外に探さなくていい。
神さまの後押しの本質は、そんな自分の眠っている魂の、可能性との出会いにあるんじゃないかと思っています。
現実や理屈を超えて働きかけるもの。
ともすれば、恐ろしいことが起こるんじゃないか、と思うかもしれませんが、実はそうではありません。
魂の意志で生きる道と出会ったとき、現実での道のりもまた「用意」されているもの。
どんな道であろうが、人生の主人公はあなたです。
私は、そんな道を歩む人のささやかな支えとして、神さまと一緒にお手伝いしているに過ぎないのです。
魂の自分と出会い、その道を歩みたい方へ☆