巫(かんなぎ) 紗妃です。

 

 

太宰府天満宮の敷地内に、「九州最古の稲荷社」と言われる天開神社があります。

この神社の神さまが、イナリヒメこと宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

 

 

初めて行ったのは3年前の冬でした。

降りしきる雪の中、凍えながら参拝しましたっけ。

ここを守る巫女のバアさまにキレたのもこのときでした。

 

 

それからは毎年おとずれていましたが、今年はすっかり初夏になっても来る気配がありません。

私はと言えば相変わらず、せっせこと自己規範に取り組む日々。

とくに最近は「自分の豊かさにある価値」に取り組むことが増えてきました。

 

過去の出来事による「自分の豊かさの価値の無効化」は、たとえば自分の神さまとの繋がり方すら、「他にもっといい方法があるのではないか」と矮小化し、とかく自分を信頼するのにも条件付きで、規範を外すのにも一苦労です。

 

 

そんな私が、いつまで経っても来ないのを”いなり寿司”の圧で呼び出すのも、無理からぬことでしょう。


なぜならイナリヒメは「豊かさの価値」など言わずもがなで、今ここから手に入る豊かさの流れを掴むことに長けている商売繁盛の神さまだからです。



そんなわけで、すっかりご無沙汰だったイナリヒメ。

ともに「仕事をする」のも、3年ぶりです。


さて、どんなお方だったかと過去の記事を読み返そうとパソコンを開いたら、早くも「記事を出して」とお尻をペシペシする気配。

 

そういえばイナリヒメは、自分の要請がすみやかに通ることを微塵も疑わないお方でした。

過去の記事にも全く同じことを書いていました。

 

 

しかし、しかしです。

私はこの一年で、いかに自分の豊かさを無効化していたかを思い知りました。


3年前も、本当の意味では向き合い切れていなかったことを後ろめたく思っ「今これからどうするかです」

 

にべもなくピシャリと言われて、今おとなしくこうして記事を書いています。


イナリヒメにとって、過去は過去。今は今。

今ここから手に入れていける豊かさしか見えてませんし、手にすることを要請します。

過去に手にしなかったこと、入らなかったものなど、どうでもいいのです。

「今の自分にできることはなにか」を示唆します。

 

 

「もう少し残っている規範を外してから・・・」とか「自己信頼をもう少し手入れして・・・」とかいう私の思惑も、イナリヒメにとってはどうでもいいのです。

 

 

今!今しかないのですよ!

実践によって外せる規範も更新できる心がけもありましょう!

 

そんなわけで、昨日はいきなりご案内を出し、今もこうして記事をぺそぺそ書いているわけです。

 

 

かろうじて私の言い分が通ったのは、これをおみくじメッセージにしたことでしょうか。

神さまメッセージは、使うエネルギーが膨大で心身に負担がかかるため、今の状況を鑑みて、こちらに落ち着く事になりました。

 

 

でも、本当にそれだけで、それ以外はイナリヒメの言うことに従っています。

なぜなら私の調子に合わせると、イナリヒメ曰く「それだけで日が暮れてしまいます」

確かに自分のナットク感が先立って、動くことが疎かになる自覚はあるので、ぐうの音も出ない正論ではあります。

 

 

 「その人の内側にある豊かさを伝えたい」

 

姫さまの熱い想いは、3年経った今もご健在のようです。

 

 

内にある豊かさを無効化しているなら呼び覚まし、信頼を置けていないのなら信頼できるように方向付け、とにかく豊かさを得ることにかけて、一切の妥協を許しません。

 

 

きっとメッセージでも、内側の豊かさに目を向けるための熱血指導が入るでしょう。

それは精神的、経済的といった枠組みに囚われず「すべての豊かさを手に入れるため」に必要なことであるはずです。

 


それにしても…と、のんびりしたい私は思うのです。

手に入るせよ、手に入れるせよ、もう少し加減を「いい加減になさいな!今こそ豊かさによる幸せを手に入れるのですよ!今、今です!」


やはり豊かさをためらうのは、姫神さまにとって禁止事項であるようです。




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