私は小さい頃から変な記憶力が良くて、特に映画やドラマを観た時のことを、観たことのない人に説明する時には得意げに細かい場面や台詞などを再現してみせたと母がよく言ってます。

 

録画機が一般化しても我が家の経済事情がそれを買うことは許さなかったので(笑)、自分の目に焼き付けて、記憶するしか方法がなかったのだと思いますが、友人や同僚には今も「見逃したら○○に訊け」というのが合言葉みたいになってます。

 

実は今回、私がBlu-rayレコーダーの操作を誤って冒頭録画されていなかったのですが、最初の3分はリアルタイムで観ていて、お風呂に入ろうとテレビを消したのでHDDには残っていなかったのです。

自分の「記憶力」を過信していました。

3分くらい、私が忘れるわけがないと思っていたのですが・・・

 

なんと覚えていないのです。

大事な大事な、はずの冒頭を。

 

という長い言い訳を書いてからの5話の感想です。

 

「どういう子に育って欲しいか?」

で悩む美奈(尾野真千子)と信次(江口洋介)。

 

そしてハジメ(横山歩)は文字が読めないことが分かった5話。

 

美奈は「母親として振る舞わなければ」

という気負いがあり過ぎるような気がするのですが、実際に子育て中の方はどう思われるのでしょう・・・。

 

ハジメには、

「笑顔を絶やさない子になって欲しい。笑顔を見たことないし。」

という一言が即出てくる信次はすごいな。

 

一方の美奈は、

「悪いことをしたらちゃんと謝れる子」

「嘘をつくような人間にもなって欲しくない」

「将来の目標もちゃんと持って欲しい」

「それを簡単にあきらめない我慢強い子になって欲しい」

「周囲の人に対する思いやりと感謝の気持ちも忘れないで」・・・

って、おいおい、信次じゃなくても

「ハードル高い」って。

 

親ってみんなそうなんですか?

 

美奈は悩んだ挙句、苦手な信次の妹・春代(坂井真紀)に電話でアドバイスを求め、そこで

「父親はどこのうちでも気楽なもんよ」

と言われて初めて春代と心が通じ合ったと感じた場面は、まぁ、そうなんだろうなと共感はできました。

 

あれだけ「おためし行動」されても「叱るな」と指導を受けたら、なかなか迂闊には叱ってはいけないような気にもなりますしね・・・。

でも実の親って、そんなに注意深く「叱るべき時」とか、「褒めるべき時」とか、考えながら子育てなんてしていないような気がするんだけどな・・・。


 

結局春代に助けを求めても解決しないと悟った美奈は、信次とともに堂本(余貴美子)に助けを求めます。

 

こういう時って、両親を頼れる人は両親にアドバイスを求めたりするんですかね?

独身オンナの限界を今回も痛感・・・。

 

堂本は、逆に二人に尋ねます。

「二人にとって愛情とはなんですか?」

 

「乱暴に言うと子育てには二つのパターンしかない。自分が親にされたのとおなじこことをしたいと思うか、それとも、親にしてもらえなかったことをしたいと思うか」

 

子供いないからな・・・そう言われると、そんな気もする・・・。

 

で、美奈はこれまた苦手の父親(藤竜也)に電話。

 

この場面で、ハッとしました。

私がこのドラマに抱いていたある種の「違和感」。

その正体が、この場面で明確になりました。

 

それは、日本人である私たちは、日常的に

「愛している」

などという言葉を使ってはいません。

 

何十年も連れ添ったご夫婦でも、「愛している」など、言わないままの方のほうが多いんではないですか?

 

私はアメリカ人の友人や、元恋人には

「I love you.」と涼しい顔して口にしていたけれど、日本語では口にしたことはありません。

 

「愛している」

それは、日本語の中でも日本人にはそれこそハードルの高い言葉です。

 

なのに、美奈は父親に電話で

「私と音楽、どっちを愛してた?」

と訊きました。

 

親に、

「私を愛してる?」

なんて尋ねる子供が日本人にいるのかな?

 

「はじめまして、愛しています」

というのは凝ったタイトルですし、キャッチーですが、そもそも親子間で日本人が

「愛しています」

というのはあまりに現実離れし過ぎているのはないでしょうか。

 

そして、特別養子縁組を一番描きたいはずなのに、主役二人をどうして親の愛情を感じずに育った設定にする必要があったのか、増々分からなくなりました。

 

遊び人の弟、アルコール中毒の母親を持つ信次。

その弟の巧(速水もこみち)は結婚する気もないのに付き合った女性を妊娠させるし、反省する気もゼロだし。

 

文字の練習をしてた直後、自ら練習帳を出して文字を練習しようとしていたハジメの行動も美奈は全く気付かなかったことも私はよく分からなかったです。

あれは普通、気づくんじゃないのかな・・・。

 

箸の練習していた時も、箸の持ち方を注意してたのは自分じゃん!!

 

「お母さんはお前のことを愛してる」って・・・

そりゃ、

「愛って何?」ってなるわけで。

「いっぱい好きってこと」

 

「幸せって何?」ってなるわけで。

「とっても楽しくて嬉しくて思わず笑顔になるような気持」

 

「愛情」を言葉にすることにそもそも慣れていない日本人には荷が重い台詞ばかり。

 

そして美奈を「嫌い」「大嫌い」と言い出すハジメ。

それに対して初めて怒りをあらわにして信次はハジメを家から追い出しましたが、あれだけ壮絶な「おためし行動」を許せとまで指導を受けていたにも関わらず、あんなに簡単に「出ていけ!施設に戻れ!」なんて、そんなショックな言葉がありますか。

 

数分放置してすぐに許すつもりでいた信次でしたが、ハジメの様子を見に行くともう家の前にはいませんでした。

 

探して探して、ハジメは堂本のところにいました。

 

迎えに行った二人に、実はハジメが二人に手紙を書きたいから字を教えて欲しいと堂本が頼まれていたと聞きます。

 

手紙?

ネグレクトで育ち、文字が書けなかった子に、「手紙」なんて発想がまず浮かびますか?

 

そしてそこには

「ごめんなさい すてないでください」

と。

 

ここが今回の恐らくはクライマックスかと思いきや、

 

ハジメから出た言葉は

「愛しています」

 

ええええええっ!?

5歳の子が

「愛しています」だぁ?

 

信次の

「施設に戻れ」

はないと思ったけれど、追い打ちをかけてなかったのが「愛しています」ですよ。

 

「字は気持ちを伝えるためにある」

「ごめんなさいは仲直りするために」

「挨拶はたくさんの人と仲良くするために」

 

というのが今回の遊川和彦さんの「ドヤ」ポインツでしたでしょうか・・・。

 

うーん・・・。

ダメだ、入り込めない。

(子供がいないから?)

 

今回冒頭で公園の滑り台に割り込んで女の子を泣かせたハジメはラスト近くで順番を並んで待てる子になりました。

 

進展がやっぱり早い。

 

「色んな人に愛していますって言えるようにならなきゃいけないと思う」って。

 

いやいやいやいや、日本人でそうそういないでしょ!

「愛しています」って!

 

脚本家・北川悦吏子師匠の「愛していると言ってくれ」というタイトルが全く不自然ではなく、むしろ物語の最後を美しく飾ったのと比べてしまう私がいます。

 

初めて会った人に言うにはあまりに不自然な言葉、「愛しています」を、あえてもってくる事で狙ったタイトルなのはよーく分かりますがやはりおかしいです。

 

開始3分に何があったか全く覚えていないけど、今回も納得がいかない回でした。

 

うーーーーん。

子育て中の方々は、どうお感じになったのでしょうか。