ジャニー喜多川さんが亡くなりましたが……。 | シルクふぁみりぃブログ

シルクふぁみりぃブログ

シルクふぁみりぃの店主が日々の出来事や、新製品の情報など色々なことをお知らせしております。
どうぞ、よろしくお願い致します。

 

梅雨空の3連休が始まりました。

 

海外でも日本でも地震が頻発して、あちらこちらで揺れています。

火山国であり、プレートが重なり合っている日本に住んでいる限り、どこでもいつでも何が起こるかわからないと思って過ごしています。

 

ジャニーさんは、まだ東京に何も起こっていない良い時代に亡くなられましたね。

(東京だけじゃなくて、どこでも同じですが……!)

 

私は、アイドルにはあまり関心が無くて、ジャニーさんのことも殆ど知りません。

 

でも小学生のころ、ジャニーズという名前の4人グループがあったことは知っています。

テレビを見ていると、今までのように普通に立って歌うだけの歌手じゃなくて、踊って歌うので新鮮な気がしたものです。

 

リーダーは真家ひろみ 、メンバーの生年月日です。
4人ともに日本大学芸術学部に在学中でした。


真家ひろみ 1946年11月 1日
飯野おさみ 1946年 8月23日
中谷良 1947年 9月18日
青井輝彦 1948年 1月10日 

 

その人達のことをジャニーズだと思っていたのに、いつの間にかグループ全体の名前がジャニーズになって不思議に思う時期が長かったです。

ごっちゃになって、よくわからない上にジャニー喜多川さんって誰?って感じでした。

 

少なくとも、今まで日本に居なかったタイプの歌手が次々に出てくるようになり、楽しかったですね。

 

私の知っている男性歌手は当時、西郷輝彦舟木一夫坂本九さん達でした。

学校の廊下で、友人達と大声で「星のフラメンコ」や「涙くんさよなら」などを歌っていた小学生だったのです。

 

その後、グループサウンズの出現を経て、私はフォークソング世代の人になりました。

グループ・サウンズは、メンバーの違いがよくわからなくて、ジュリー(沢田研二)とサリー(岸辺修三)の顔が同じに見えて困りました。

みんな、どうやって区別しているんだろうって真剣に思ったものです。

(どこか障害があるのでしょうね。)

 

フォークソングは世相と合間って、岡林信康ザ・フォーククルセダーズ加藤登紀子などがラジオから流れてきたら聞いていました。

私はラジオもあまり関心がなくて持っていなかったので、兄の部屋から流れてくるラジオやレコードなどの音楽を聞いていた感じです。

 

テレビでは、加山雄三が人気でした!

中学生になってすぐの頃、隣の席の男の子が「君といつまでも」が好きだと言っていたのが印象的でした。

 

当時のスター達、今検索しましたら、みんな歳をとっても元気に活躍されていること心強い限りです。

 

歌を思い出すと、その時代の自分が彷彿と致します。

あんなことを思っていたなぁ。

こんなことをしたかったなぁ。

これが嬉しかったんだねぇ。

 

あまり良い人では無かった私ですが、周りの人に恵まれて今まで参りました。

助けてもらったり、教えてもらったり、また反面教師として示してくださったり。

 

単に歌だけど、自分の過去を思い出すにはとっても良い教材になってくれます。

心の冷えとりが一番だと言われますが、こうして過去の自分を温かい思いで包んだり、これまで出会った人達に、心の中からだけでも感謝したり。

 

温かくなってくるから不思議です。

「ありがとう」と色々なことに対して伝えていくこと。

言葉に出さなくても、その思いで生活していくこと。

 

靴下も半身浴も大事ですが、これが最も大きな冷えとりかも知れませんね。

長年連れ添った夫にも、感謝して過ごしたいです。

何もやって上げられなかったけど、元気に社会生活を送ってくれている4人の子供達にも、ただ感謝しか無いです。

 

そんな意味で、歌の世界に大きな金字塔を建てられたジャニーさんにも心から感謝です。

ありがとうございました。

 

いつも、お読みくださってありがとうございます。

素敵な連休をお過ごしくださいね。

 

 

 

 

にほんブログ村 健康ブログ 冷えとり健康法へ
できましたら、クリックよろしくお願いします!!
いつもありがとうございますベル

 

にほんブログ村 ファッションブログ ナチュラル系へ

こちらもできましたら、よろしくお願いします。