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静かなるデジタリアンのブログ

日本プロ麻雀協会所属 田幸浩のブログ

麻雀・株主優待・家庭菜園・育児・・・その他もろもろ現在生活の中心になっていることを気まぐれに書き綴っていきます

対局者

 

須田ー小川ー渋川ー真田 (敬称略)

 

 

長考 選択 について

 

 

 

一回戦 東四局 三本場

 

 

 

 

 

ここでは良い選択が出来て良かった

 

 

 

 

 

 

一回戦 南二局 一本場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果には結びつかなかったが

 

長考こそすれど正解を選べて良かった

 

一回戦ということもあり、メンタルも充実していたし集中して臨めていた

 

 

 

四回戦 南二局 二本場

 

 

 

 

今節一番の反省点

 

 

 

 

約20秒

 

強者はこんな少考・長考は絶対にしない

 

 

 

QBK

 

 

 

いきなり予期せぬ牌が出た

 

IPD

 

そんな言い訳は笑止千万

 

こういう所に雀力の差が出る

 

 

 

 

 

 

 

田幸ファイヤー

 

 

 

本当の意味での強者・雀力ということを考えたら

半分disられている様な気がしないでもないが 笑

ヤジーに面白可笑しくいじってもらえて有難かった

 

確かにそう思われていたのも納得

 

例えば・・・

 

二回戦 南二局 0本場

 

 

 

 

ひと昔前なら真っすぐ行って和了り切っていただろう

 

こういう選択が出来ることになったことは成長なのか

 

そう信じている

 

 

二節を終わって+50 +50 の+100

 

実力からして出来すぎなのか

 

それでも何か手ごたえを掴みつつある感覚はある

 

 

他 雑感

 

・4回戦前 休憩後の待機時 念を込めての一人洗牌 今後は禁止 余計なことはするな

 

・いつも画面越しで拝見していた実況の第一人者、松嶋さんとは「はじめまして」

解説の雀王様と豪華な実況解説をしてもらう

何年もの間、辛い思いの方が多いリーグ戦だったが A1まで再び上がれて良かったと思う一コマであった

 

・抜け番時の食事 二郎ミニ ニンニク抜き 美味

but ハングリーさがなくなる + 体が重く 頭がボーっとする 今後はnot good

 

・対局終了後の飲みの席で様々な深い話を聞けたのも収穫

所作による人読み 表情読み 牌捌き などなど

〇〇さんは気持ち悪い所まで見ている・・・

私の決定的な弱点も指摘された

 

 

次回は6/17 6/19

一日置いての3.4節

ここが剣が峰

対局者

 

金ー堀ー渋川ー田内 (敬称略)

 

ようやくA1リーグが開幕した。

主にリーグ戦のみのプロ活動をしている私には、長く待ち遠しく感じる時間であると共に、不安と恐怖を感じるオフシーズンでもあった。

様々なイメージトレーニングもしてきた。

 

 

会場の大塚スリアロ第二スタジオでの対局は初めて。

雰囲気を味わいたく、一時間前に一番乗りでスタジオ入り。

 

解説の佐治さんと「初めまして」の挨拶を交わす。

今後も「初めまして」の実況者、解説者とも多くお会いするだろう。

幽霊協会員故、まだまだアウェイ感は否めない・・・

 

 

普段Mリーグを中心に画面越しに見ていた人たち・・・

金さん、渋川さん、そして堀さんと久々に言葉を交わし、懐かしさを感じた。

 

田内が現れた。

ネタで謝罪されるところまでは読めたが、まさかの菓子折り添えとは恐れ入った。

 

対局配信は一般化され、対局者のバックホーンや情報を視聴者の方々に知っていただくことも含めて、ある程度のネタやエンタメ的な絡みは必要だと思う。

 

反面

 

「やりすぎ」には注意が必要なのかもしれない。

 

まぁ今回のことは全く問題がないであろう・・・

 

将棋の公式対局の前などにはそういったことはまずないだろう。

私たちは競技麻雀プロで、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 

無名で絡みのほとんどなかった私を少しでも面白おかしくいじってくれた田内さんには感謝したい。

 

 

 

肝心の対局はというと・・・

 

 

反省点

 

 

初戦 東4局

 

全くやる気がなかった所から、ドラが重なっただけで少し色気が出てしまい、七対子イーシャンテンからリーチ現物の打七

マンズホンイツに5200放縦。

せめてテンパイから打とう。

 

 

 

 

悪い押し①

 

 

 

 

 

 

 

三戦目 東4局

 

金さんの役×3 最終手出し6

自身親 リーチのみの聴牌

迂回可能

 

こういう放縦をする人はA1にはいてはいけないと思う。

 

 

 

 

(万死の)悪い押し②

 

 

まだまだ重い病は完治していないようだ。

こうやって実践を交え、反省と猛省を繰り返して少しずつ寛解を目指すしかない。

 

協会A1の質を落としてしまい、反省している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

検討課題

 

 

 

二回戦 南2局 1本場

 

 

 

 

中盤5-8ノベタン リーチせず。

場に2枚切れの五に四、六をくっつけてのリーチを目指す。

少し前ならこんなのは即リーチだった。

リーチが正解なのかもしれない。

 

ドラが見えておらず、5-8に何の魅力も感じなかった。

こういう選択を出来ることは、昔の自分が見たら驚くだろう、いや、下手くそだと思うだろう。

 

結果は田内からリーチが入り、堀が4000ALLを和了。

 

検討課題①

 

 

 

 

 

 

 

初戦 南一局

 

四四六六六⑦⑦344558 ドラ8 ツモ⑤

 

⑥一枚切れ

 

⑤ツモ切り

 

これも昔ならドラ8を当たり前の様に打ってテンパイ効率重視

 

 

しばらくしてツモ9

 

 

 

 

 

ここで⑦トイツ落としをする方が良かったのかもしれない

 

良く分からない

 

はじめの分岐点でのチートイ決め打ちの打六も濃厚だったか

 

ちなみに仕掛けるつもりはなし

 

検討課題②

 

 

 

 

 

 

 

その他思ったこと、感じたこと 戯言

 

 

・控室での皆の細かい思考・会話についていけるようになりたい


・配信見映え 

裏ドラは画面内で捲らないとダメ

(急所での)長考は思っていたより見苦しくない

むしろある程度「間」があったほうが映える局面もある

 

・相手の序盤のリーチに関しては、フリテンリーチの可能性を1mmくらいは考慮しても良い 全くその発想が抜けていた

 

・中盤煮詰まった局面、リーチ者がいる局面で、田内が下家にいるとき2,3度「マネマン」をしてきた            

3、4巡と連続で同じ牌を合わせ打ってきた  

誰か彼に協会に「マネマン」というローカル役はないと教えて欲しい 

 

・髪型が変 決して剥げている訳ではなく ただデコッパチということだけは分かっていただきたい

自分の弱い心・メンタルを律する為にも、対局中の

 

 

「姿勢」

 

 

は大切にしている。

 

 

 

『天牌』にも名言

 

 

 

「麻雀は背骨と肚で打て」

 

 

 

とあるように・・・

 

 

 

背筋を伸ばし、邪念を払い、対局に没頭するのが大切だ。

 

 

 

・・・

 

 

と言っても、競技麻雀独自の長い対局時間や

加齢に伴う体力の低下や腹の出っ張りなどにより

若い頃より「姿勢」の維持がしんどくなってきているのも否めないのだが・・・

 

 

 

主に「姿勢」について憧れもあり感銘を受けた方 お二人

 

 

 

吉田光太さん

 

 

 

Twitter Publish

 

 

 

多くの方には説明不要であろう。

 

 

どんな局面でも、背筋の伸びた横向きが崩れない。

 

とにかく格好が良い。

 

光太さんの対局姿勢にも憧れを持っている人も多いはずだ。

 

 

 

 

井本裕之さん

 

 

 

協会にかつて籍があった井本さん。

 

今では井本さんを知っている協会員のほうが少ないだろう・・・

 

かつて私と同じく地方から対局の度に上京してきていた井本さん。

 

第5期雀竜位決定戦の雄姿が忘れられなく、未だに目に焼き付いている。

 

 

第5期雀竜位決定戦観戦記 (npm2001.com)

 

 

決定戦では終始苦しすぎる戦いを強いられていた井本さんだったが・・・

 

最初から最後まで同じ姿勢と模打を繰り返していた。

 

キリッと背筋の伸びた背中と独特のモーションでの模打。

 

どんなに苦境に陥ろうが、眉一つ動かさずポーカーフェイスを崩さず、自らの麻雀を貫き通していた・・・

 

 

 

 

他にも対局姿勢が良く、模範としたい方は多くいる。

 

 

 

 

背筋が伸びていなくとも、猫背の強者もたくさんいる。

 

ポーカーフェイスでなく喜怒哀楽が豊かな雀士もまた人間味があって素敵だ。

 

 

 

 

「姿勢」だけでなく、対局マナーや所作、牌捌きとまだまだ至らないところが多いのが私の課題だ。

 

牌捌きに関しては諦めの境地に近い・・・

 

 

 

兎にも角にも

 

背筋を正した対局姿勢というものを

 

どんなに苦境に立たされようとも、A1リーグでは全うしたい。

「幸せ」とはなんだろう

 

 

 

 

ずっと考えてきたような気がする

 

 

 

 

 

 

いつからだっただろう

 

 

20代前半からだっただろうか

 

 

 

この

いいこと49、嫌なこと51の世界で

 

 

「幸せ」を求めていた

 

 

ような気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

同時にその頃は「死」に憧れていた節もあった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せとは・・・

 

 

 

様々な哲学書を読み漁っても答えは出なかった

 

 

 

 

 

不惑 になった今は答えが出せるようになった

 

 

 

 

 

 

 

 

「幸せとはいつでも自分の心が決める」

 

 

自分が幸せだと思えば、その人は幸せなのだ

 

 

そういう考えも共感できるし、それも真理であろう

 

 

 

 

 

例えば

 

とてつもなく嫌なこと

 

辛い出来事があったとしよう

 

 

 

でも

 

 

 

 

 

「宇宙から見たらどうでも良し」

 

 

 

 

 

この一言でほとんどの事象は片づけられるし

 

「幸せ」への心持ちを抱く足がかりになるだろう

 

 

 

 

 

 

 

大企業に勤めていれば幸せなのか

 

 

お金がたくさんあれば幸せなのか

 

 

結婚をしていれば幸せなのか

 

 

結婚をしているとしたら、子供がいれば幸せなのか

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

どれも「幸せ」の真理とは離れているように感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーグ戦後、大敗に嘆いていたことが何度かあった

 

良く飲みに行った、東北の先輩 山本政樹さんに言われたことを思い出す

 

 

「世の中には戦争をしている場所があったりするのに、麻雀を出来るということは恐ろしく幸せなことだ」

 

 

 

 

 

 

話が逸れた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生における「幸せ」とは・・・

 

 

 

不惑 になり持ち得た解

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幸せ」とは

 

 

 

 

 

 

健康

 

 

 

 

 

 

 

承認

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康

 

 

 

今更説明不要だろう

 

何をするにも身体が資本である

 

身体が動かなければ何にも出来ない

 

心の健康も大切だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

承認

 

 

 

承認とは一言で言えば「人間関係」だ

 

アドラー心理学

 

アドラーが言ったように

 

「全ての悩みは人間関係の悩みである」

 

これに尽きると思う

 

 

いがみ合うでも、傷つけ合うでもなく

 

互いを認め合い、尊敬し合える相手

 

家族でも、友人でも、同僚でも

 

そういう相手が身近にいれば、それは幸せだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せとは 健康 と 承認

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが現在、私にたどり着いた 解

 

 

例えば、10年後に振り返った時

 

この解は変わっているのか

 

興味深い

 

 

 

 

こんな厨二病的な戯言をこんなところに挙げていたのかと

 

「不幸」になるのがオチだ

 

 

 

 

 

 

一部の人を除いて・・・

 

人間に生きる意味などない

 

 

と思っています

 

 

 

 

 

 

人生とは死ぬまでの暇つぶしである

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ暇つぶしをするのであれば

 

「幸せ」

 

の中で暇つぶしをしたいものだ・・・

競技麻雀を志す方、自団体のリーグ戦以外の主要なタイトル戦へは、どのくらいの頻度で参加しているのか??

 

 

 

 

私はかつては協会の公式試合においては、「雀王戦リーグ」、そして「雀竜位戦」にも出場し、可能な限り毎年「日本オープン」にも出ていた。

 

今では雀王戦リーグのみ出場。

その雀王戦リーグもここ5年で3回の休場(育休×1 コロナ公休×2)。

仕事・家庭・お金 全てを天秤にかけた選択だ。

 

かつて雀竜位戦に出ていた時分、毎年出ていない協会員に対して

 

「何故出ないのだ もったいない」

「雀王戦 雀竜位戦に出ない 協会に籍を置いている意味があるのか」

 

などと思ったものだ。

今では反対にそう思われてしまう立場である・・・

 

他、協会の公式対局では

一発・裏なしのオータムには一度も出たことがない

 

協会以外の他団体のタイトル戦

 

マスターズ 王位戦 發王戦 Classic BIG1・・・

 

などが俗にいうG1タイトルの代表格だろうか

 

 

 

いずれも出たことがない。

 

最強戦 もまた然り。

 

 

 

あ、一度マスターズ予選に出た。

そこで万死に値する鳴きをした記憶が呼び起された。

 

序盤、鼻息荒く

 

白ポン!

 

 

手牌     

 

發發 中中 白白白 他

 

 

 

 

 

 

 

冒頭に戻る

 

競技麻雀を志す方、自団体のリーグ戦以外の主要なタイトル戦はどのくらいの頻度で参加しているのか??

 

気になる所だ

 

 

自団体のリーグ戦+自団体の公式タイトル戦

そこに加えて

他団体の主要なタイトル戦

 

ほぼ全てを毎年出るというのは至難の業だと思う

 

環境やその他要因に恵まれていなければまず出れない

加えて

passionがエッセンシャルだ

 

 

毎年毎年、複数の主要タイトル戦に出れるということは素晴らしい 

 

 

羨ましい

 

 

色々なものを犠牲にしたうえで自分で勝ち取った環境だろう 素敵だ

 

 

 

あるタイトル戦で、ベスト16やベスト8で負けたとしよう

 

死ぬほど悔しい 

 

何百人、何千人が何度も何度も同じ思いをしてきたのだろう

私も日本オープンで経験してきた

 

 

 

また来年リベンジだ

 

別のタイトル戦で頑張ろう

 

 

 

様々な境遇や要因の上に確立した素敵な素晴らしい環境だ

 

 

 

 

 

 

 

 

私にはリーグ戦しかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーグ戦を出れているだけ「幸せ」な環境なのだと思う

 

 

 

 

 

 

 

狭い狭い世界の、薄い薄い窮屈で偏屈な心持ち

 

戯言

Aという場所にトラウマがある・・・

 

16期A1を一年で最下位降級したことについては以前に記した通りだ

A1返り咲きへの道のり | 静かなるデジタリアンのブログ (ameblo.jp)

 

過去出場していた雀竜位戦。

3度、A級まで辿り着いたことがある。

何年前の何期だったかはもう忘れてしまった。

はるか昔の話だ・・・

 

その雀竜A級3回も全て一年で降級している。

 

雀王戦・雀竜位戦に限ってだが・・・

 

4度上まで行って全て一年で降級。

なかなか真似できない弱者の芸当だろう。

 

弱い、 否 弱すぎる。

 

例えば・・・

 

Aリーグ在籍10年だとか、

 

決定戦何年連続進出とか、

 

永世最高位だとか

 

もう意味不明であるし都市伝説だと思っている。

 

 

正直に言って23期のA1リーグが怖い。

 

 

 

もし(下馬評通り)再び1年で降級なんてことになろうものなら流石に立ち直れないだろう。

ただでさえ首の皮一枚、協会に籍を置かせてもらってる身だ。

 

今回のA1の目標は

「何が何でも残留」という思いに尽きる。

 

何年かA1に喰らいつき、トップの思考を吸収しつつ強者の麻雀を学び、力を徐々につけていきたい。

 

 

結局こんな所でグダグダ戯言をほざいていても結果が全てなのだ。

 

強いものが決定戦に行き、そしてその上があり・・・

敗者はただ降級するのみなのだ。

 

・・・

 

ネガティブなことばかり述べてしまったが、無駄に意気込んでも結局はなるようにしかならないのである。

 

格上が相手というのは十分すぎるほど承知しているが・・・

 

 

対局前は最大限のリスペクトを持ちつつ・・・

 

対局時は(所作・マナー・立ち居振る舞いは大切にしつつ)

 

「Mリーガー?なにそれ強いの?おいしいの?」

 

と、

 

これでもかという「鈍感力」を発揮して自分の世界に入り込んだまま、

 

10節40半荘 自分の信じた麻雀を打ち切り、「A恐怖症」を克服したい。

麻雀を打つにあたり、大切にしている心に刻んでいる「三か条」がある。

 

こんな事をこんな所で曝け出すのは恥ずかしくもあり、憚られるのだが恥を承知で敢えて記させていただく。

 

協会に籍を置いたまま地元に帰って15年以上。

勉強会があったことも、ましてや競技麻雀を志す同志が近くにいたことなど一度もない。

 

麻雀を打つ場所は地元の雀荘。

失礼は承知の上だが、「場末」いや「超場末」で実践を積んできた上で、もがき、苦しみ、打ちひしがれてきた中で、自分の中で芽生えた大切にしていること。

 

巷のチェーン展開していない雀荘のマナーなんてあってないようなものである。

先ヅモありなんて当たり前、先ヅモしない方が悪という風潮すらある店もちらほらと・・・

ポン・チー・ロンの発声を聞くことが出来るほうが珍しく、麻雀ギャグ漫画もびっくりするようなマナ悪が魑魅魍魎と潜んでいる

 

もちろん自らが選んだ境遇であり、今となっては場末独特の何とも言えない心地よい雰囲気にどっぷりと漬かってしまったのもまた事実。

そんな環境の中で揉まれ続けて体得し、大切にしている三か条。

 

①対戦相手をリスペクト

 

言わずもがな、某漫画の有名な格言だ。

相手が誰であろうとこれに尽きる。

 

相手が無発声だから何だ。強烈な引きヅモをしたから何だ。

自分の意に反することをされたから何だ。

 

常に相手に敬意を払い、対局に臨むのだ。

 

時には相手に懐疑的な思いを持ってしまうこともあるだろう。

しかし相手は自分には持ち得ない優れた面も多く持っているだろう。

 

来賀先生もおっしゃっていたではないか

 

 

「麻雀はみんなのもの」

 

 

競技麻雀を打つ上では当たり前のように持てていたリスペクト、対照的に不特定多数の人々と打つ巷の麻雀。ふとしたことで忘れがちになりそうな相手への敬意・リスペクト。

 

麻雀を打つ上で大前提となる決め事である。

 

 

②納得の一打

 

頭では分かっていても体が指が意図しない牌、自分のシステムに反する牌を切ってしまう・・・

そして後悔をして激しい自己嫌悪。

そんな経験を何千回、何万回としてきただろう。

 

周りの打牌速度が速いせいか。

アツくなっているせいか。

予期せぬ煽りを受けたせいか。

楽になりたくて見合わない牌を切ってしまう。

 

自分が構築してきたシステムをそんな些細なことで曲げてしまうのは、メンタルが弱いせいだ。

要は自分自身に負けているのだ。

それも含めての雀力と言えるのだが・・・

 

・打つべき牌を打つべき時に切る

・鳴くべき牌を鳴くべき時に鳴く

・曲げるべき牌を曲げるべき時に曲げる

 

どんな状況であろうと自らが納得する一打を心がけている。

 

言うまでもないが、納得の一打で放銃をしようが何連ラスを引かされようが一顧だにせず。

対局が終わった後、自分が納得をしているか、後悔をしていないかが全てである。

 

 

③麻雀に対する情熱

 

三か条最後に、自分に課している楔(くさび)。

これもメンタル・精神論の域を出ないのだが・・・

 

麻雀を惰性で打っていないか・・・

イヤイヤ打っていないか・・・

所詮クソゲーだとの心持ちで打っていないか・・・

 

もしそういう想いで続けている様なら麻雀なんて辞めてしまえ。

広い世の中には麻雀以外にも情熱を注げるものは探せばいくつもあるだろう。

何故そんなイヤな思いまでして、後先何のメリットもない心持ちで牌を握らないといけないのだ。

この広い世界、たった一度の人生、そんなメンタルで時間のかかる麻雀を打つなんてナンセンスここに極まれり。

 

以上、腐った心持ちで何度も麻雀と向き合い都度何度も自分に自問してきたことだ。

 

もちろん、人間関係、お金・時間 様々な環境や要因において常に心から麻雀を楽しみ、そして情熱を注ぎながら麻雀と向き合い続けることが難しいのも事実。

 

そんな中でも麻雀をはじめた「初心」をどこかに持ち続けて、巷の麻雀でも競技麻雀における対局でも真摯に牌と向き合っていきたいというのが理想だ。

 

 

①対戦相手をリスペクト

 

②納得の一打

 

③麻雀に対する情熱

 

私が協会に籍を置いたまま地元に帰り、15年近く麻雀と向き合ってきた中で確立し大切にしている三か条。

過去こんな当たり前のこと、大前提であることが何度も反故にされてきて、自分への戒めから生じた約束事。

 

この三か条はどれか一つ裏切ってしまっても台無しであるし、三位一体で貫き通してこそ自分自身納得できるものである。

 

まだまだ、確実に遂行できていると言い難いこともあり、至らないことも多いが、今後も麻雀を打ち続けていく以上、私の中で不変の三か条である。

皆さんが感銘を受けた、思い出に残っている「観戦記」は?

 

配信対局が劇的に増え、過去の配信の見直しも手軽に出来るようになっている昨今、「観戦記」の価値は薄れてきているのも現実。

 

言わずもがなであるが、NET上での映像対局が今ほど発達していなかった時分には、現地で生で観戦する以外には「観戦記」なくしてその対局の臨場感や経緯など知り得なかった。

 

日本プロ麻雀協会の観戦記で私が感銘を受けて、幾度となく読んできた観戦記。まとめ。

 

野暮とは承知であるが、あえて順位をつけてみる。

 

3位

 

第8期雀王決定戦 最終日観戦記

文:五十嵐毅

 

日本プロ麻雀協会 第8期雀王決定戦 (npm2001.com)

 

五十嵐代表の文章はテンポが良く、読者が知り得ない対局者のバックグラウンドや対局者との思い出が散りばめられていて読者を魅了する。

 

「今年は勝つと決めていた。それだけです」

 

言ってみたいものです。

 

 

2位

 

第6期雀王決定戦 後半観戦記

文:田中太陽

 

日本プロ麻雀協会 第6期雀王決定戦観戦記2 (npm2001.com)

 

もはや説明不要。

協会史上NO1と謳われる観戦記。

協会員でなくとも競技麻雀愛好家をはじめ何人もの人に何度も読まれた観戦記最高傑作のひとつ。

 

私は今期21期A2リーグ9節勝負所で、それだけは避ける、と臨んだがあっさりとトップラスを決められ、これが「1-4作戦か」と少し嬉しくもなった。

 

 

1位

 

第6回日本オープン観戦記

文:佐久間弘行

 

第6回日本オープン決勝戦観戦記 (npm2001.com)

 

 

ただ好きです。

 

 

 

その他

 

第7期雀竜位決定戦

文:内海元

 

第7期雀竜位決定戦観戦記 (npm2001.com)

 

私もまた、この場所に帰ってこよう。
この、苦難の地へ。

 

この文で締めた二年後、内海さんは雀竜位を奪還する。

 

 

「今年は勝つと決めていた。それだけです」

前述した、8期雀王を奪取した鈴木達也さん

 

 

11期、12期の雀王決定戦で敗れ、14期雀王に輝いた木原浩一さん。

「半沢直樹」土下座シーンのパロディからの奪還。

 

日本プロ麻雀協会 第14期雀王決定戦 (npm2001.com)

 

 

18期雀王決定戦で堀慎吾さんに敗れ、翌年19期に奪還した矢島亨さん。

 

 

何年も決定戦に進出するも頂には届かずも、今期、見事21期女流雀王を獲得した水崎ともみさん。

 

第21期女流雀王決定戦観戦記3日目(最終日) - 日本プロ麻雀協会 - Page 5 (npm2001.com)

 

 

 

観戦記には優勝者の苦悩やストーリーが線となって描かれているのもまた胸を打つ。

 

 

 

 

第12期雀王決定戦 1・2日観戦記

文:藤田拓郎

 

日本プロ麻雀協会 第12期雀王決定戦 (npm2001.com)

【世界の終わりと雀王決定戦観戦記 村上 春樹風に】

 

こういう観戦記も趣があり素敵だ。センスある文に感銘を受ける。

 

 

文章と言えば須田良規さん。

 

須田さんの文は全て心を掴むが中でもこちらが私はお気に入り。

第14期雀王決定戦3日目観戦記

 

日本プロ麻雀協会 第14期雀王決定戦 (npm2001.com)

 

 

女流雀王決定戦の観戦記を多く書かれている藤原哲史さんの観戦記も魅力的。

 

第9期女流雀王戦 (npm2001.com)

 

 

第9期雀王決定戦 最終日観戦記

文:小倉孝

 

日本プロ麻雀協会 第9期雀王決定戦 (npm2001.com)

 

強者が綴る数少ない記も心に残る。

 

 

第7期雀王決定戦 最終日観戦記

文:阿賀寿直

 

日本プロ麻雀協会 第7期雀王決定戦 (npm2001.com)

 

この決定戦は私は現地で観戦していたのだが、最終戦・最終局にとんでもないことが起こった。

 

麻雀漫画無料【鈴木たろう最大の苦悩】作者:片山まさゆき (majandofu.com)

 

観戦記者、阿賀さん、どうまとめるのだろうと勝手な心配をしていた。

現に観戦記の掲載が遅れるも、うまくまとめあげられていて流石だなと思う。

後日、阿賀さんご本人にお聞きしたら

「逃げ出したくなった」

とのことをおっしゃっていた記憶がある。

 

この観戦記、冒頭で私のことにも少し触れて下さり、今でも大変嬉しく思っている。

 

「いつかはこの場所で」

 

消えかけたともし火に2022年は少しだけ火種をくべることができた。

 

 

 

「観戦記」

 

何気なく読んでいても、文を書くということは本当に大変であると思うし、全ての観戦記者をリスペクトする。

 

私も観戦記一度は書いてみたいと思う反面、無理、と割り切ってもいる。

対局者との繋がりが限りなくないので仮に書いたとしても薄っぺらい内容になってしまうことが目に見えている。

そういう意味でも文章力の他にも、対局者との繋がりや文を書く根気や基本的教養など、観戦記者に必要なハードルは高いものだと感じる。

 

また、今回は私が感銘を受けた「観戦記」として挙げさせていただいたが、雀王決定戦、雀竜位決定戦などと、現在、もしくは過去に私が携わっているタイトル戦の「観戦記」のほとんどに思い入れが集中してしまうというのも事実。

もしくは達也さんや小倉さん、近くで見てきてリスペクトを持つ方の「観戦記」にどうしても思いが強くなり何度も読み返すのだろう。

 

女流プロの方であれば女流雀王決定戦の観戦記に思い入れがある方も多いだろうし、他団体の方は自団体の観戦記に、より感情移入するであろう。

今回は協会に限定した観戦記を挙げたが、他団体の観戦記も素晴らしく感情移入してしまう観戦記も多くあるし、観戦記に限らず、例えば最高位戦の「FACES」などの文も競技麻雀愛好者を惹きつけると思う。

 

 

 

 

まだまだ多く存在するであろう私がまだ知り得ぬ「観戦記」、そしてこれからの「観戦記」。

これから出会うのが楽しみである。

いまさらではあるが、私は長野からリーグ戦の度に上京している。

 

私は大学在学時に協会の門を叩いた。

大学は理工学部。そこでは「航空宇宙工学」を専攻していた。

もともと「航空」や「宇宙」に興味があったわけではない。

 

高校までこれといって将来やりたいことが見つからなかった私は、ツブシが効くとの浅はかな理由で理系に進んだだけだ。

「航空宇宙」という響きに惹かれたのもあったのだろう。

「プロ」という響きに惹かれて日本プロ麻雀協会に興味を持ち、協会の試験を受けてみた。というのも少なからずあった。

 

そんな動機で入った大学も、4年自分なりに真面目に通い、100単位over取得も「先」が見えずにDropOut。

協会に籍を残したまま実家がある長野へと帰ることを決断。

地元長野からリーグ戦へと参戦するのも15年以上になるだろうか。

 

 

例えば長野の隣県、新潟県出身の有名麻雀プロは比較的多いことで通っている。

我らが協会代表 五十嵐毅代表 堀慎吾さん 魚谷侑未さん 滝沢和典さん 金子正輝さん などが代表格か。

 

では長野県出身はと言えば。

Mリーガーで言えば 松本市出身の内川幸太郎さん 茅野市出身の日向藍子さん

がそのようだ。

お二方とも面識はない。

NET越し映像越しに人柄の良さ、親しみやすさが伝わってくる。

いつか何かのきっかけでご挨拶でも出来ないかな と勝手に思っている。

この文を書きながら知ったのだが最高位を獲った 竹内元太さん も長野県出身の様だ。

こちらもまた面識なし。

 

長野では他に最高位戦プロ麻雀協会の清水昭さんがいらっしゃる。

この方は古参で現在は最高位戦の名誉顧問?となられている。

清水 昭 – 最高位戦日本プロ麻雀協会 (saikouisen.com)

長野市内で「チェック」という雀荘を長年経営されており、私も清水さんにはお世話になっている。

地方在住の麻雀プロという意味では、麻雀発展の為のお店の経営、麻雀教室、などなど真の麻雀プロとしての活動をされているのではないか。

 

私はというと・・・

長野に戻ってきて15年以上。協会員としての活動は、例えば休日などにカルチャーセンターなどで麻雀教室等をやってみようか、健康麻雀を出来る雀荘をやってみようかと考えたことはあれど、結局行動に移すことへと至らず、仕事帰りに場末へと通うという楽な道を選んだ。

結局プロとしての地元での活動は皆無と言って良いかもしれない。

受け身の私は心のどこかで、長野でも競技麻雀に興味がある=プロ団体に所属して共に活動をしてくれる同志を待っていたのかもしれない。

私が言うことは憚られるかもしれないが、なかなか地方で生活をしながらプロ活動をするというのは難しいものだとも思う。

団体によっては関西支部、東北支部、中部支部などがあり、羨ましくも思う反面自らが動かなければ何も変わりもしないものだと自分に失望している節もある。

 

 

長野=田舎と思われるだろうか

私の住まい近くで案内出来る代表は 善光寺 地獄谷野猿公苑 戸隠 などなどある

これを見て下さっていて長野旅行を計画の方がいれば、気軽に連絡いただければ接待をさせていただこう。

「おもてなし」は私の得意分野だ。

 

 

以前リーグ戦の会場にて、超?人気女流プロ豊後葵さんとの会話を思い出す。

「田幸さん長野から通ってるんですよね。長野って山と畑しかないんですよね。」

「長野で何してるんですか?野良仕事ですか?」

 

「んな事あるか!言うほど田舎じゃないわ!」

とツッコんだかどうかは記憶にないが、所詮長野の見方はそんな感じなのかもしれない。

 

余談だが、「麻雀遊戯王」「豊後無双」で有名な豊後さん。

豊後さんがプロを目指したきっかけは私とのことだ。

MJで私と対戦して

「こんな世界があるんだ、かっこいい」

と協会に入ってきたらしい。

真偽はご本人まで。

 

 

長野から東京まで新幹線で1時間40分。片道約8,000円。正直痛い。

11時開始の対局に合わせて、家を出るのは遅くとも7時で間に合う。

今更ながら便利な時代になったものだ。

長野に戻りたての頃は高速バスで参戦していた。

バスの場合は所要時間は3時間半。身体への負担も大きい。片道約4,000円。

時間は半分だがお金は倍。時間かお金どちらを取るのかという感じだ。

 

高速バスで通うため朝4:30に起床。

お昼前11時に対局開始。半荘4回。

早く進んだ日には15:30過ぎには対局終了。対局時間4時間少し。

これで例えば自分の信じた麻雀を裏切り、ひどい麻雀を打ち、100負けて、5,6時間かけて帰路につくという経験を何度もしてきた。

何度、自己嫌悪に陥って発狂寸前にまで追い込まれたことか。

 

 

長野から通うのは大変だ、と大変だアピールをするつもりなど毛頭ない。

地方からの参戦という意味では私はまだ恵まれているのかもしれない。

関西からも多くの参戦者はいる。

 

リーグ戦ではなくとも、協会古参、日向杏介さんは大会等の為はるばる宮崎から上京しているようだ。

 

他、協会では坪川義昭さん。

彼も入りたての頃は北海道から飛行機に乗ってリーグ戦に参戦していた。

半荘4回の為に北海道から飛行機に乗って!

恐れ入る。

「情熱」がなければ考えるのも嫌になる。

 

他にも私が存じない、遠方・地方からのリーグ戦参戦者がたくさんいるだろう。

地方からリーグ戦に参戦出来るということは、本当に有難いことであるし、様々な人たちや環境・境遇に感謝をしている。

皆さんが勝負師だったら、皆さんにとっての「重要な一番」というのは何だろう?

優勝決定の一番?リーグ戦の昇降のかかった一番?

 

いや、違う。

 

本当に重要な一番と言うのは、

 

「自分にとっては何も関係ないが、対戦相手にとって、重要な意味を持つ一戦」

 

なのだ。

こう唱えるのは将棋の(故)米長邦雄永世棋聖。

 

「自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」

 

「一番大切な勝負。それはタイトル戦でも優勝を決める一番でもない。本当に大切な勝負とは、実は自分には関係ないが、対戦相手にとって重要な一番である。こういう勝負こそ全力をあげて勝たなければならない。」

 

これを米長理論、又は米長哲学という。

 

 

私は過去に消化試合での打ち方に悩んだことがある。

10年以上前の雀竜位戦C級予選のことだっただろうか・・・

 

最終戦、私は箱ラスでも何をしても通過が決まっていた。

対して同卓者の3人は3人ともこの最終半荘で予選突破か予選敗退が決まる大切な一戦。

この3人、面識もあり当時普段から割と親しくさせていただいている人たちだった。

 

私はそれ以前にもこのようなタイトル戦予選の、消化試合の最終戦の打ち方について頭を悩ませ、様々な人たちの意見を聞いて自分なりの答えを持ち得たつもりでいた。

「普通にトップを獲りにいく」と・・・

 

しかしその日、私はその最終戦、自分の麻雀を曲げてしまった。

「鳴くべき牌を鳴かず」

「打つべき牌を打たず」

「曲げるべき牌を曲げず」

・・・

 

後ほど考えると、仮に同卓者3人が名前も知らない新人の方達だったら、私も自然に打っただろう。

これもカッコ悪い話だ・・・

 

自分の麻雀、打ち方を変えてしまったあの日はとてつもなくモヤモヤしたし、消化試合への向き合い方について再び頭を悩ませた。

もちろん麻雀は4人でやるゲームであり、将棋とは異なる消化試合はあるだろう。

タイトル戦の決勝など、優勝しか意味がない場面ではこの理論は成立しないかもしれない。

 

 

「自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」

 

これで十分だとも思うが・・・

 

全力で挑んだその先には何があるのか。

 

解を求めている方への補足。

 

その先には、、、今度自分にとっての大きな一番を迎えたときに「運が向く」と米長先生は説いている。

 

以下wikiより引用

 

トーナメントなどの例外を除き、その対局の結果が第三者に影響を及ぼす勝負の場合、自身の勝負に勝とうが負けようが第三者の悲喜の総量は変わらないが、それが故に結局は自身が全力を尽くしたかどうかだけが残り、手を抜いてしまっては純粋に、自身にとってマイナスであるとしている。

 

 

 

 

「運」についてもうひとつ。

 

誰もが知っているメジャーリーガー 大谷翔平選手。

 

様々なエピソードがあるが、私が中でも大好きで感銘を受けているルーティンの一つ。

グラウンドでゴミを拾ってポケットに入れて片付けるのは有名な話だ。

 

なぜそんなことをしているのか。

人間が出来ているから?

それも大いにあり得ることだろう。

 

しかし大谷さん曰く

「誰かが捨てたを拾って自分のものにしている」

のだと。

 

麻雀勝てないときは、またはルーティンで常日頃から「トイレ掃除」をしたほうが良い、と世界で一番強い方も仰っていた記憶がある。

あ、人に非ず星人か・・・

 

 

私も対局会場でゴミが落ちていたり、汚れが見つかったりしたらそれらの処分を心掛けている。

対局後の牌掃も先輩後輩関係なく率先して行う様、努めている。すぐにお断りされてしまうのだが・・・

 

私の話など笑止であるし、こんな所でこんなことを発表している時点で「運」など寄ってくるはずもない。

実力が圧倒的に足りない私は「藁をもすがるー」的な思いでその行動に至っているだけなのかもしれない・・・

 

 

 

米長理論

 

協会の若い方達がもし消化試合での打ち方、心の持ち様などに悩んでいる方がいるとすれば、この駄文が解決の一助となり得たら幸いである。