陰に隠れて(はかりごと)(はかりごと)をおこなう。当然ですね。

 

 

 一部の人間の利己的な野心や(よこしま)(よこしま)な心から、出てきたアイデア、これを本気で実行に移す冷酷無比な計画なので。

 

 

 反対に、人類に裨益(ひえき)し、沢山の人々を幸せにする計画なら、政府だろうと、民間のボランティアであろうと、堂々とやれるはずです。

 

 ところで、今日ここで取り上げたのは、ただの陰謀じゃなく、

もっとも現代的なタイプの陰謀であり、今の今まさに進行中のそれです。

 

 

 

選曲: 言海 調 

 

 誰かや少数にとって不利益である場合だったら、かつての平氏打倒の『鹿(しし)()(たに)の陰謀』(平家物語)みたいなことで済みますけれど。

 

 

 しかし、今の時代は、人類の大半を死滅させる隠れたる意図をもって、密かに生物兵器みたいな恐ろしいものを開発するそのために国家予算を投入させる一部の人々((シャ)(ドウ)政府(ガバメント))がいるという話です。

 

 

麻炭のはいった自家製バナナアイスクリームの写真を、あたかも黒い陰謀を暗示するかのように使用してしまい、ごめんなさい

 

 

 つまり、同じ「陰謀」でも、単なる政敵を倒すとかではなく、もっと理解しにくい、人間の本性に反するような、悪辣で、極悪非道な奸計(かんけい)をもって、大胆不敵にしかも大規模に殺しに来る。超現代版ないし未来型「陰謀」とおうか……

 

 

 これを単なる「情報」の一つと捉えて、信憑性がないから、デマだと決めつけ、発信者を揶揄、非難したり、嘲笑の的にする。

 

 

 この大人げない態度のどこに知性があるか。バカっ。かぽ。にやりグー

 

 

 という場合、その心理はどんなものか、ということは、ずーっと以前からのわたしのテーマと結びついてもいました。

 

 

 自分だけ、家族だけ、帰属する集団だけ、「安泰」ならばイイ。そして、それによる「安心感」が「永久に持続して欲しいのヨん♪」。←バカ。罪ない? いや、これが協力者の最大多数になっているという看過できない現実を見逃さないでください。(バカといっているのは、人間の本質である神聖性を否定するものではなく、そういう低級で邪悪なエレメンタルの餌食になり、憑依されている姿をいっているのです)

 

 

 これがなぜ「究極のエゴイズム」かというと、こうした欲望主導の想念・感情にたいし、不都合きわまりない事を突きつけられると、腹が立ち、敵対視する、その自己保存、個体維持の本能的な過剰反応を冷静に観察したうえで、結局は不都合なものを排除することで、脅威を取り除き、一笑に付すということをやっているだけであると見ることができるので、そう名づけざるをえないわけですね。真顔真顔真顔真顔

 

 

 では、逆に陰謀論と批判されてもなんでも、真実を伝えようとしている人たちは、どんな心でやっているのでしょうか、一文の得にもならないことに時間を費やして。

 

 

 というと、それは「愛」ですよね。別に大袈裟なことでも、偉いことでもなんでもないよ。と、少なくともご本人はおもっていらっしゃるはず。

 

 

  だって、それこそは、人間の「本性」ですからね。

 

 

 

 

 自分は、ワクチンは打っていない。しかし、まわりで死んでゆく。後遺症が酷く出ている。現象面だけじゃなく、原因の原因を追究していったら、なにがあるのか。

 

 

 

 それは、もうここに書きましたね。そうです。利己的な野心。邪な心ですよ。

 

 

 

 どうして、ヨコしまというのだろ。と、よく考えるのですが、やはり、タテは、自分と天、自分と神、自分と命の根源とのこの縦の関係ではないですか。

 

 そことしっかりとつながって、しかも横つながりの人や社会や物質やお金や情報との関係性というのであれば、ブレることはないわけです。縦横十字の交差する十字架の真ん中に立てば。

 

 

 モト(本・元)とのつながりを失わないかぎり、人間は自己の命の本質を見失いようがないように創られていますのでね。それが魂の仕様書です。

 

 

 しかるに……陰謀のモトの心であるヨコシマな心は、縦の神様との絆を自ら断ち、宇宙の軌道から外れて、自分の欲心のままに引廻され、難破船のごとく、あるいは、悪魔的存在ドクロにハイジャックされたまま漂流していることになりますね。横取り。横領。横変死。

 

 

 横浜。横須賀。悪魔崇拝者(サタニスト)が、グラサン 幕末以降、この辺の地に流れこんでいる、というのもコトタマ的には、偶然ではないのかもしれないと教えられたしだいです。

 

 

 もう、今日はこのへんにしておきますか。陰謀論のことは、いくらでも語れそうです。とにかく大事なことは、情報として見聞きする現象、結果だけに注意を向けるのではなく、それが誰によって、どんな気持ちで流されているのか。そして、そこで計画し、実行している人間がいるということ、そうしたリアルなものとして、捉えることができるかどうかだけでしょう。

 背後の人間や人間心理が見えていな人、見ようとしない人、そうした領域に接続するのを面倒がって避けている人は、真実の情報もガセネタも全部、等価と受け取ってしまいますから、ホンモノとニセモノとの識別がつきません。だから、観察したり、検証することなしに、感情論だけで、これは陰謀論だ、などと毛嫌いして一刀両断のもとに切り捨てます。そういうケースをよく言い表しているのは、昔からよくいわれてきたつぎのコトワザではないかとおもいます。情報(一本一本の木)の背後にある森(人間と意図、そして仕組み、歴史)まで視野を拡大しないといけません。

 

     木を見て森を見ず

 

 

 いや、マドモアゼル愛先生が、ついおとといくらいだったかに、更新されたご自分のブログで、この「陰謀論」を表題とされていましたので、そしてこれは以前から考えていたテーマでもあるので、シャワーを浴びたり、水風呂にはいっている時間にもうちょっと考察を深めたことをここにシェアしようとおもったのでした。

 

 

 同時に、きのう魂の伴侶でもあるつれあいが、母の死以来、本当に久しぶりにブログを更新し、そこにこの愛先生の記事(自分はワクチン打ってないからと、安心してうかうかとしてはいられなくなることにも触れられています)をリブログしつつ、考えさせられたことなどを中心に雑感を気軽に綴っているので、ぜひお読みいただければとおもいます。ほっこり飛び出すハート

 

 

にやりにやりにやりにやり

 

 

◆参考記事