九ヶ月ぶりの投稿になります。
みなさまお久しぶりです。
「台風」が予測できない形で迷走しておりますね。
首都圏直撃の予定がいつのまにやら、紀伊半島に上陸、、、とか。
関西の実家にたずねてみると、大丈夫そう、との答えでしたが、
影響を受けやすい地域の方、どうかお氣を付けてお過ごしください。
こちらはお昼頃だったか、すごく短い間でしたけれど
スコールのような雨が白煙をあげていました。
今はまたお日様が青空とともに輝いています。
空模様も、自然なものと不自然なものが混然としているように観じています。
その割合にも、微妙な変化があるような感じがします。
それで、
空の観察。雲の観察。お天気の観察。身近な自然の観察。けっこうこまめにやっています。
最近思うのは、「観察、集中、瞑想(迷走ではありません🎶)」(ダスカロス)の大事さです。
弥山にて
7月8月はお盆の季節。
あちらの世界とこちらの世界のあわいがベールのように薄くなって
懐かしくも不思議な感覚に包まれる季節でもありますね。
園ちゃんの新盆を迎え、不思議な夢もみました。
鎌倉 菩提寺にて
今年は蝉が、たくさんの種類の蝉がコーラスをしていています。
(去年までしばらく、夏になっているのに、蝉ちっとも鳴かないねーーーって確かいってたはずですが)
ミンミン蝉、アブラゼミ、つくつくぼうし、ひぐらし、、、、が
同時に鳴いているんですよ、、、。ひぐらしさんは とっても控えめですけれど、、、。
つくつくぼうしと、ひぐらし は 夏の終わりを感じさせる蝉、、、。
それが、ミンミンゼミ、アブラゼミと 同時に 鳴いているんです、、、、。
めずらしい鳥さんも、(園ちゃんが残してくれた)枇杷の大木に遊びにきてくれて、
この間なんて、うぐいすが鳴いているのをどこかで聞きました。😳
そのようなわけで、
自然界からも(その摂理に添いながらも)、なにか混沌としたもの(時空(次元)交差???)を感じます。
でもその奥に、とても透明で精妙なものを感じ取る瞬間もあります、、、、。
昔の懐かしい、子供の頃に自然の変化から感じた感性が蘇るような感じといってもよいでしょうか。
今年の夏はそんな感じをふっと味わう瞬間がたびたびあります。
不思議な雲。 クラウドシップ❓数年前のです
この九ヶ月の間に何度か、書いてみようかな、と ふわっと思った時もあったのですけれど、
内側からの、「表現したい」というよっぽど強い動機がないと、
このまま「永遠に(笑)」ブログで表現することはないような気がするなーと思っておりました。
ところが、、、。
今朝、飛び込んできたマドモアゼル愛先生のブログを拝読し、
しばらく消えていた 炉 に「火」がつきました。
ジクソーパズルのピースが揃いはじめるにしたがって
全体の絵がバーっと見えてくる、ということがありますよね。
その全体の絵というのは、詳述しすぎると、
細部にこだわりがでてきてしまって、「木を見て森を見ず」という言葉が示すように全体像を見失ってしまったりしがちですが、
そこを愛先生はさすが、大きく全体をとらえていらして、見事にわかりやすく、問題の本質をズバッと語ってくださっています。
(愛先生は、私が真(まこと)の方だと観じ敬愛する数少ない神秘家のお一人であります)
私自身も経験から、自分なりのいくつかのパズルのピースを手にしています。
(→それも、序の口、、、ってことがだんだんわかってくるのですが、、、💦)
本を読んだり、情報があちらからやってきたり、、、ということもありますが、
やっぱり、自身の経験の裏づけがあっての「答え合わせ」という意味で
それら「情報」というものがあります。
そしてその「情報」というのも、それら情報の(真実か否かの)
裏どりに命懸けで働いてくださってる方が情報源の情報に接するようにしています。
それが後から(情報が)くることもあるし、同時のこともあります。
そうした「情報」が「偽光」であるか、ほんの微量の嘘をまじえた真実をよそ覆ったミスリードのための情報か、、、には 直観を研ぎ澄ませて匂いを嗅ぎ分けるようにしています。
それでも、惑わせられることもあるわけですから、
本当に私もすっかり「疑い深く」なってしまいました、、、、。💦
愛先生の洞察は、わたしも その通り!と思っています。
たとえば、、、。せっかく「非接種」を貫いてきたとしても、「呑気に」してられない、
と 「シャン!」と背筋が伸びる思いです。
(みなさま、「レプリコン型」で検索してみてくださいませ!!)
私自身、強烈なシェディング経験者なので、もしそれらが実行されたとしたら、、、
(なんとすでに治験がはじまっているとか!)
体と魂で、その「危険度は最大級」だと感じています。
これはあくまで、私の感じ方ですが、
追い詰められた「DS ジアザーサイド」が、人類もろとも、、、、と計っている「隠し球」のもしかしてこれもその一つか❓
って思ってしまいました。(これがただの私の妄想だったら嬉しい)
「軍の作戦」「逮捕劇」という話も一方で聞こえてきますので、「安心」してみている方もいらっしゃるかもしれませんが、(私自身ももしそうであるならば、どんなに楽観的でいられることだろう、と思ってはいます。そうでなくても、あまりにもの痛みに満ちたさまざまなことが明るみになってきている今、という変容期であります。そうした情報に期待したい気持ちもなくはないのです。でも解決を他者に依存して丸投げするのは、自身の直観や叡智を研ぎ澄ましてゆくプロセスを停滞させてしまう落とし穴にもなり得るのでは、、、とも思っています)
天寿までできる限り健やかにこの命を輝かせ、今生での働きをまっとうしたいのであれば、私は最大限、より一層、精妙になって、ようく観察して、直観と叡智を(体の叡智も含めて)研ぎ澄まし、より意識的になってゆくことを、存在から直面させられている(もう少し強い言い方で言うと、突きつけられている)ように思えてなりません。