羽生くん2021年の24時間TVアイスショー | siennaのブログ 〜羽生君応援ブログ〜

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羽生結弦選手の現役時代をリアルタイムで体験できる幸運に心から感謝しつつ、彼のスケートのここが好きあそこが好きと書き連ね、ついでにフィギュアにも詳しくなろうと頑張る欧州住まいのブログ主です。

今年の24時間テレビで披露された「ホワイトレジェンド」と「花になれ」のパフォーマンス。ひとことで言って「芸術」でしたね。

 

羽生くんは感謝と優しさとリスペクトの人、って常々思ってるんですが、そうした姿勢をスケートの大事な要素である音楽に対しても感じます。そうでなければあんなに音楽と一体になって音楽を奏でるように滑ることができるでしょうか。大事にしているからこそ、です。一時音ハメが凄いと評価された彼の演技ですが、もうかなり前から、要所要所のアクセントだけでなく(もちろん、よく見るようなフォアクロスで走りながら片腕上げたり両腕広げたりというレベルの話ではありません)、フレーズのまとまりやテクスチャーまで洩らすことなく捉え、自分のフィジカルや自分のスケートを媒体に、音楽を3次元の世界で表現し尽くそうという野心的なパフォーマンスに進化を遂げたと感じています。そうした「解釈」は、音楽やその作家、背景、意味に対する探究的姿勢やリスペクト無しには、本当にはなし得ないのではないでしょうか。

 

音楽世界に合わせて高難度ジャンプに至るまでアレンジを加え、年月が経てば自分の心身の成長とともにそのアレンジも練り直す。そんな妥協を許さない「芸術家」の作品だからこそ、短い人生を超えうる「永遠」を人は感じ、時を忘れて見入ってしまうし涙さえ流してしまうのではないでしょうか(地上波を見た一般の方のこうした感想に触れるにつけ)。

 

Ars longa, vita brevis(Art is long, life is short)という有名なラテン語の警句があります。今は日本語の一般的な訳「芸術は長く人生は短し」のように、優れた芸術は作家が死んでも長く残り続けるという意味で知られていますが、元は古代ギリシャの医学者ヒポクラテスの、医術を習得するには時間がかかるので人生を無駄にしてはならない、という文言から取ったもので、つまり、このartは芸術としてのartではなく技術としてのartでした。自分が羽生くんに関してこのことわざを思い浮かべるのは、一分一秒を惜しむように4Aという技術の習得に励み続ける姿勢と、技術がなければ表現できない芸術を目指す姿勢の両方をずっと見せてもらっているからです。

 

音楽とスケートがめくるめく融合っぷりを見せる羽生くんの演技は一体どこまで深く濃く、美しくなっていくのか。楽しみで仕方がないと同時に、どうか健康で思い描く理想に到達できますようにと心から願うのです。