本格シーズンに突入、目もモニターもいくつあっても足りないうれしい悲鳴の聞こえる今日この頃ですが、P.H.氏から話題のISU改革案について詳しい考察記事が出ていたのでご紹介させていただきます。
フィギュアスケート改革案、若干の修正で有意義なものに
2017年9月27日 by Philip Hersh
以前はグランプリシリーズがフィギュアスケートシーズンの幕開けを告げたものだった。
しかし、五輪シーズンである今季は、グランプリシリーズ第1戦はまだ3週間も先だというのに、リンク内を見ればチャレンジャーシリーズで、リンク外では試合形式や採点法の変更について議論が進行するなど、すでにさかんな動きが見られる。したがって、早い段階ではあるが、このスポーツの現在と未来について少々考察してみたいと思う。
本稿は本日と明日の2回に分けてアップする。
まずは、筆者が9月11日にicenetworkに書いた採点およびプログラム改正案について考察してみる。ISUのトップ役員によれば、この改革は「ラジカル」なもの。アジア(特に日本)以外の地域で急激に衰退したフィギュアスケート人気を回復するための対策の一環だ。アジアのファンの存在なしではこのスポーツへの関心はじわじわと下がり続けているはずだ。
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芸術面とスポーツ面のバランスを取り戻すことが改革案のベースとなっている。これはもっともだ。前述の記事で指摘した通り、トップ選手の総合得点中、技術点の割合は過去4年間で大きく伸びた。
しかし、クワドジャンプ(ペアの場合はクワドスロー)とトリプルアクセルの基礎点を大幅に下げるというISUの提案は、このスポーツだけでなくあらゆるスポーツの進化のロジックに逆行する。アスリートとは技術の向上を目指すもの。それは奨励されなければならない。
それよりも、失敗したジャンプに厳しいペナルティを与える方が良策だろう。これは、GOE加減点幅を現行7段階から11段階に増やすという来季からの変更で可能となる。さらに、転倒したジャンプに回転基礎点をフルに与えるという愚行を止めなければならない。転倒ジャンプには基礎点減点を必須とすべきだ。
高得点ジャンプにトライすることで得られるメリットに対し、減点リスクを引き上げる。そうすれば、本当に安定して跳べている選手だけがそのリスクを取るようになるだろう。プログラムの芸術的調和を崩す最たるものは、転倒だ。一般人がフィギュアスケートを見ていて明らかに失敗だと感じるものは何だろう?それは、コケだ。コケが2度もあった日には、見続ける人は野次馬だけだ。
2016年全米王者のアダム・リッポンは、今週行われた米五輪委メディアサミットで次のようにコメントした。
「以前はフリースケートは芸術点で勝つプログラムと考えられていた。現在は、クワド数が少な目の自分のようなスケーターでさえ、TESがPCSを上回る。ISUは今、技術とパフォーマンスとしてのスポーツとの間でバランスを探っているのだと思う」
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リッポンはGOEの加減点幅の拡大について好意的だ。それは、「完璧と思われた要素に与えられる+3の要素と、+2をもらう要素、その差がとても大きい時がある」からだ。
しかし、ジャッジがすべてのGOEを満べんなく活用しなければ何も変わらない。PCS採点で分かる通り、ジャッジたちは自分の採点に自信があっても、異端に見えることを恐れてそうすることを避けてきた。
PCSは5項目に分かれ、0.25〜10.00まで4分の1点刻みで評価される。先週のネペラ杯で世界トップのエフゲニア・メドベージェワ(ロシア)が獲得したPCSは8.5から10.00、合計35個のスコアが並ぶ中30個は9.00から9.75というものだった。ダニエレ・ハリソン(英)のようにミスの目立った演技ですら、PCSは5.0〜6.75、うち31個のスコアが5.5〜6.5と、比較的狭い範囲内に収まっている。
筆者は、05年にIJS(新採点システム)が世界選手権で初採用された際、当時のISU会長オッタヴィオ・チンクワンタに、ジャッジの採点幅が小さいことについて理由を尋ねてみた。「我々はジャッジにフェラーリを与えた。彼らは今、それをどう運転すべきか練習しているところだ」。それから10年以上が過ぎた今も、ジャッジたちは未だに怖気付いてギアをセカンドに入れたままだ。
ジャッジは、演技内容がそれに見合ったものならば、トランジションに5.25、パフォーマンスに9.75をつけるといった採点を積極的に行うべきなのだ。だがそんなことは決して起こらない。
ありがたいことに、PCSに比べてGOEでは知名度採点は少ないようだ。それでも、スケーターの過去の実績を元にPCSで助け舟を出すことが、あまりにも簡単(そして普通)にできてしまう。
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現世界女王メドベージェワや現ジュニア世界女王アリーナ・ザギトワなど、ボーナス制度を最大限に活用してジャンプをプログラム後半に入れているロシア女子には頭がさがる。
だが、11本のジャンプ中10本を後半で跳ぶということを彼女たちが行ったおかげで、このルールの不具合が晒されてしまった。
フリープログラムには「ウェルバランス」ルールというものがある。しかし、これはジャンプ、スピン、ステップなど各要素の最大実施可能数を決めたものに過ぎない。
だが、ある特定の要素をすべて4分間のプログラムの後半でやってしまってはバランスも何もあったものではない。そして、このようなバランスの悪さに対するペナルティはない。
(皮肉なことにこのボーナスルールは、過去のシングル選手、特にロシア男子が、ほぼすべてのジャンプを前半に固めるというやり方をしていたために作られた)
次回のISU総会では、後半のジャンプボックスを3〜4個に制限するという案が話し合われる可能性が高い。これが採用されれば、TESの削減と、プログラム全体としての芸術的調和を生むバランスの確立の双方が実現できるのではないか。
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男子のフリープログラムのジャンプボックスを1つ減らすという案は次のシーズンからの導入が決まっており、これは当然TESのカットにもつながる。しかし、コーリ・エイド、ブライアン・オーサー両コーチがインタビューで述べたように、4分半のFSを30秒短縮する(これも導入決定済み)ことで要素の詰め込みがさらにひどくなり、そのため振り付けや視覚的アピールを際立たせるようなムーブメントに割く時間が減ってしまう。
ジャンプボックスは減らして30秒はそのままキープ(そして女子のFSを男子と同じ長さに延ばす)してはどうだろう。スケーターにはその30秒を自由に使ってもらう。クロスオーバーばかりでは困るが。
そうなれば、フットワークやスピンが増えるかもしれない。これらの出来が良ければ、ちょっとしたボーナス点を出すのもいいだろう。もしくは、必須エレメンツ間の解釈や表現の強化に当てられるかもしれない。ミシェル・クワンのスパイラルやブライアン・ボイタノのリンク縦断イーグルのように、長くキープすることで魅力が光るポジションを行う選手が現れるかもしれない。
筆者はフィギュアにおけるビッグジャンプが大好きだ。フィギュアといえばスパンコールやフェミニンなシャツ、おおげさな芝居としか考えない無知な人間たちにその逆を示すためにもこれらは必要だ。
問題は、熱心なスケートファン以外、その場でクワドとトリプルを見分けられる人はめったにいないという点だ。フィギュアスケートに一般人気を取り戻そうというのなら、スケーターに息つく間を与えなければならない。そうすれば、ジェイソン・ブラウンの14年全米フリーのノークワド演技のように、ネットやソーシャルメディアや現地で話題となるようなプログラムが可能になるはずだ。
もし、17年ワールドの羽生結弦(日本)フリー演技のように、4本のクワドを完璧に跳び、かつムーブメントと表現によって観客を虜にすることができれば、息を呑むような素晴らしい印象を生むことができる。そして、もう少しの余裕を与えられれば、さらに素晴らしいものになるはずだ。
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導入は22年冬季五輪後を待つことになりそうだが、ISUの方針通りアスレチックプロとアーティスティックプロに分けてメダルを与えてもいいのではないだろうか(現行では「フルの」メダルは総合優勝者のみに与えられる)。
この提案については、新プログラムの詳しい内容や、片方の種目だけにエントリーできるのかなど、不明な点がまだ多い。特に後者は選手数の制限が厳しい五輪で大きく関わってくる点だ。
IJSが導入されて15年、これはミライ・ナガスにとってはシニアのキャリア年数の75%にあたる。彼女がメディアサミットでこの問題について出したコメントは、きわめてシンプルかつロジカルなものだった。
「過去に囚われていてはダメ」
以上。
個人的には、GOE幅を増やすのは賛成。アダムが言っている意味は、プラス2と3の間にあまり差がないのでもっと小刻みに分けるべき、という事だと思うのですが、いずれにしても導入は決定しているので、ハーシュ氏の言うとおり、遠慮なく、しかも神経と感覚を研ぎ澄ませて運用していただきたいと、切に願います。なんだかんだ言って、採点基準がハッキリしないというのはシロートにとっては一番そのスポーツに入れ込めない、あるいはそこから離れていく理由の一つだと思いますので。
ビッグジャンプの見分けは、ハーシュ氏の見方には賛成しかねます。トリプルとクワドの違いは、回転数こそ把握できなくても、お手本のような美しいクワドにはそれだけしか持ち得ない迫力があり、シロートの目を見張らせるのに十分なのです。これは、小塚氏が先日ニッカン記事で述べていたように、観客は滞空時間などになにかただならぬ超人的なものを受け取って興奮させられるのです。そこに詳しい知識は必要ありません。
ISUによるクワドいじめ(笑)についてはもうどこまで行っても驚かない方がいいかも。転倒GOE-4など、これまでに効果がありませんでしたが、基礎点減により「できることを出し惜しみ」するアスリートたちがあちこちに出てくるスポーツになるのかどうか、注目したいと思います。ここでもハーシュ氏とは意見が異なりますが、回り切っての転倒については、やはり基礎点が「回転数」で決められている以上、回転が足りていれば基礎点は出すべきだと思うのです。そのジャンプをどう始め、どう終わるかについてはGOEで、回転数は基礎点で評価するというのが筋でしょう。たとえば陸上で1回転できる人が2回転まであと4分の1回転足りないという状態を考えてみると、この最後のクォーターを回れるか回れないかというのはものすごく技術と努力にかかわってくるのが容易に想像できるはず。転倒憎しのためにさまざまなペナルティを課した挙句にその「回った」という事実まで無きものにするのはどうなの?と思います。
プログラムをアスレチックとアーティスティックに分ける案については、詳細がわからないのでなんともコメントできませんが、ワールドホプレガでフィギュアスケートの2面性融合について極限の可能性を見せつけられたあとでは、どうしても「後退」…の2文字がチラつくのでした。
とりあえずの一部感想でした〜。
(記事中のナンバリングは元記事で重複部分があるのでこちらで修正しています)