道行の道行・・・どこか彼方へ
4月23日 曇天、昼過ぎには雨
昨日は『吉原ロミオとジュリエッタ』の核となる道行について書きました。
僕が道行に夢中になったわけを知って欲しかったからです。
そして、昨日の深夜、いよいよ最終形態とも思えるピースが手に入ったようです。
その辺のいきさつ、ネタバレ覚悟で書くことにします。
昨日のブログで『吉原ロミオとジュリエッタ』はハッピーエンド、喜劇だと告知した。
芝居を始めたころ、正直暗めの作品もあった。
明治期、大正期、昭和前期の文学の名作をモチーフにしているため戦争は避けて通れないファクターで、勢い哀しい物語になりかねなかったのです。
「笑えるお芝居でないと協力しない」と妻に宣言されて、それでは困るので従うことにした。
それ以降、確かに変化が生まれた。
お芝居が終わると、お客様に笑顔が増えて、好意的な感想を聞くようになりました。
「ドガドガ見ると何故か元気になる」的なSNSの書き込みも増え大変うれしかったです。
その流れを汲んで『吉原ロミオとジュリエッタ』では、『ロメジュリ』は死にません。
それまでの生き方を捨てて、いわば第二の人生を進むのです。
シェークスピアの傑作は二人が死ぬ。だから悲しく美しい。
『ロメジュリ』は日本の心中物とは根本的に違う種類の物語です。
二人は間違って死んでしまう。勘違いして死んでしまうのです。
つまり本来死ぬ気じゃなかったわけです。
自殺はキリスト教では許されない行為ですから当然ですよね。
その点、日本の心中物は、はっきりと死を覚悟したうえでの道行が核になっています。
行き詰まり、八方ふさがりになった男女が、相対死を積極的に選択するわけです。
二人は死んで、自然に帰る・・・諦観というか無常観というか、極めて日本的な精神を表しているように感じます。
僕はこれをやってみたかったわけです。
しかし『吉原ロミオとジュリエッタ』では心中は、中止されます。
「喜劇だから、笑ってもらうんだから、これでいいんだ」と開き直る気持ちもありました。
しかし、そんな僕のいい加減に水を差す発言を、座長丸山正吾が訴えでた。
心中中止の場面に書き足しができないか、との要望があったのです。
非常に丁寧に、慎重に言葉を選んだ提言でしたが、正直あんまり納得出来なかった。
その後、エピローグまでのどんでん返しのネタバレをして、どうなるんだろうか、と感じたからです。
丸山は最近、各所から脚本の仕事も受けとるようになり、好評のようです。
僕と作業においても、しばしば改訂のアイデアをくれて、協力してくれます。
つまり、僕は台本理解能力や、より内容の充実を図るアイデアと言った点で丸山を評価しているわけです。
しかし、今回のケースではあんまり納得できずにいたんです。
ネタを先バラシすることは台本上多々ある事です。
その後のストーリー展開に道筋を通す効果=リーダーとしての役割があるからでしょう。
しかし、あんまりさらりと書いてしまっては、「はて、何言ってるんだろう」とお客さんに聞き逃され、意味をなさないことがあるようにも思います。
丸山に書き足しを求められて以来、そのことが頭から離れなくなっていました。
昨日のブログに道行について書いて、自分の頭の中を整理している気分もありました。
覚悟した死、を中断し、生きる道を選ぶ。
つまり、二人は相反する二重の決断をするわけですね。
丸山の疑問の原因はこのあたりにあるのかな、と考えが及びました。
死を決心したロミオを丸山は演じているのです。
思い切り決意し、その上、その決意を捨てて、生きてしまう。
調子がいいと言えば調子がいい話です。御都合のようにも思えるだろう。
多分演じる側としての疑問が残っているんじゃなかろうか?・・・と僕は思い立ちました。
そりゃそうだよね。
さんざん心中を熱演しながら、あっさりと決意を翻すんじゃあ、丸山もやってけないのかな。
そんなことを、僕は昨日夜10時ごろの一人飲みの中、考えてました。
大きな心変わりの瞬間・・・その刹那にロミオから零れ落ちる思いをセリフが必要なんじゃないか、と考えが至りました。
丸山に「こんなのでどうだ」と電話しました。
「いいと思います。それでお願いします」と返事があった。
僕の家の食卓にはメモの紙切れが常備されてます。
通常は妻と買い物や夕食の連絡をするためのものです。
しかし、時折僕は走り書きに利用したりもします。
妻が寝る9時以降は、基本一人飲みです。
だから、芝居の事や、台本に関してが考え事もメインになります。
ふと思いついた歌詞のフレーズや、翌日の稽古で、伝える注意点を要約したりするのです。
で、昨日は丸山の本編最後の最後のセリフを書いときました。
それが今、ナイキのジャンパーのポケットにあります。
そいつを元手に、これから最後の人絞りに向かい合うわけです。
道行の行きつく先を、もう一つ深くできるような気分になってます。
そんなわけで、今日のブログは僕らの「道行の道行」についてお知らせしました。
今日も一時から稽古です。それじゃあ。
道行って、素晴らしい。
4月22日 快晴なれど風強し
昨日も、もちろん稽古。
一昨日は23人登場のモブシーンを稽古しました。
昨日の稽古のメインディッシュは一転、たった二人が織りなす愛の逃避行。
ズバリ、道行の下りです。
道行・・・コトバンクで調べるといろいろな意味があった。
6番目に出てきたのがこれ。
⑥ 浄瑠璃・歌舞伎などで、舞踊で表現される相愛の男女の駆け落ち、情死行などの場面。転じて一般に、男女が連れ立って歩くこと。
いいですねえ。日本人の大好物って感がある。
ちなみにイエスキリストが十字架背負って歩かされたのも、道行らしい。
死への旅だもんな。
日本人だけじゃなく、死は人類にとって圧倒的な魅力を放つシンボルなのかな。
ドガドガで『ロメジュリ』やってやろうって思いったった十数年前を思い出してみる。
当時ドガドガは基本贋作シリーズでやってた。今でもそうかな・・・
『ロメジュリ』は誰でも知っていて、その上人気もある。
シェークスピアの悲劇は重すぎて、見ていて辛くなるものも多い。
その点『ロメジュリ』は青春物だから、胸キュン出来るんだろうな。
それをパクればお客さん来てくれるかも・・・って下心がなかったとは言えません。
しかしそういった下世話な気持ちとは別に、僕には『道行きに挑戦してみたい』って
ある種純粋な気持ちがあった。
近松門左衛門の『曽根崎心中』に『心中天網島』とかって、ぐっとくるもんなぁ。
恋する者たちが、世間の壁に行き詰まり、とうとう死を選ぶ。
そこまでの道をひたすら逃げて、最後にたどり着いた場所までの行程・・・道行。
僕はこれがやってみたかったんです。
初演の年の2月は大変な大雪続きだった。
稽古場までの移動も大変だった。
その上僕が第一号になり稽古場でインフルエンザをはやらせてしまった。
高熱出しちゃ夜汗かいて、翌日『もう風邪治ったぞ』っと稽古場に行くこと三日。
とうとう病院行ってインフルだと知った。
「もうほとんど治ってますけど感染させちゃう危険があるのであと三日、家にいるように」
そんな事を医者に言われ絶望していた事を思い出します。
で、三日後に稽古場に行くと結構厳しい現実が待っていた。
僕がいない稽古場で自主稽古が続けられていて、問題が生まれていたのだ。
『ロメジュリ』担当、当の二人と、二人の稽古を見守るベテラン俳優陣からいきなり要望がありました。「長すぎるから、切って下さい」と言われてしまったのだ。
「持たない・・・持ちそうにない」と結論された。
確かに長い。20分間、二人きりなんだもんな。
でも、この要望に対して病み上がりの僕の答えは確かこんなだった。
「道行は長ければ長いほどいいんだけどな」
「やってみて、それでも駄目なら切るから、とりあえずやってみよう」
そんな風にして雪に囲まれた稽古場で夕方までの稽古が始まりました。
現在座長の丸山正吾と当時のヒロイン中田由紀が稽古場いっぱいに、語り飛ばし、走り回った。
東洋館劇場の本舞台から上手舞台、その上劇場を巡る通路がアクトスペースでした。
ミザンスがついて、二人が僕らの『ロメジュリ』やってくれた。
カットを提案した俳優も稽古終了時には「凄かったですね」と褒めてくれました。
生きさつは知らないけど、きっと若い二人に頼まれて、提訴代表者になったんじゃないかな。
「長い道行書いて良かった」とつくづく思った。
今回の稽古でもその思いは変わりません。
『吉原ロミオとジュリエッタ』には大どんでん返しもあって、喜劇、ハッピーエンドです。
しかし、道行は道行。大いに胸が締め付けられます。
乞うご期待。それじゃあ。
モブシーンが大好きです。
4月21日 曇天
昨日の稽古場所への道すがらは、つつじが満開でした。
まさに春爛漫です。
一時半、稽古開始。昨日のメニューはでっかい二つの塊でした。
まずは一幕五場『吉原仲町の大通り』の目まぐるしい展開は、阿鼻叫喚の『てんやわんや』です。30分に迫る長丁場で、出演者23名が舞台狭しと右往左往する有様は、まさにスペクタクルの一言なんです。
魔が差した・・・実にまがまがしい、ギラギラした時間と空間を、生身の人間が、人間力を結集して、どうにかしてひねり出す・・・『とにかくやってやるぞ!』って、精神を具現化させる挑戦でした。・・・俺、何書いてるんだろう・・・大丈夫かな?
まあ、そういう迫力が売りのお芝居もたくさんありますよね。
大仕掛けだったり、最新機器満載だったりの。けどドガドガは、無手かつ流・徒手空拳でこの壁にぶち当たる、がモットーなんです。歌在り、踊り在り、でとにかく盛り上げる、狂ったようにエネルギーを放出させる。実際、舞台の中心を守る演者の頭の中を、白い星がグルグル回る、なんて状態は至極当たり前です。僕も稽古指導中、よくこの星見ます。星の正体は、脳を振り絞った結果、ぶち切れてしまった毛細血管が放つパルスだそうです。健康上良いか悪いか知りませんが、当然クラクラします。が、『振り切った感』が味わえて、ある面爽快な気分でもあるのです。危ないですね。僕はそんなモブシーンが大好きで、ドガドガのお芝居で一演目で2、3回はお目にかかることが出来ます。けど『吉原ロミオとジュリエッタ』の一幕五場が一等凄まじいこと、請け合うって宣言いたします。・・・今日は俺、なんか力が入ってるな。
およそ30分間、舞台の中心を次々と新たな登場人物が奪い合います。 舞台中央で大見えを切る出演者は皆、気合満々、体力充実は当然です。しかし、モブシーンの肝心は、舞台中心を取り巻く群衆、まさにモブの存在の出来如何に掛かっていると言っていいでしょう。ゴジラだって怖がる群衆がいてなんぼです。全出演者が、七転八倒、阿鼻叫喚に叩き込まれることで、異様でいて、それでいてシンフォニックな・・・素晴らしい場面が生まれるのです。
昨日は皆、実に頑張ってくれました。嬉しかったなあ。大ベテランの石井ひとみさんが若い俳優に交じって大真面目に取り組んでいる。休憩中も階段ですれ違うと、表情の練習に取り組んでいて、ほほえましい気分を味わいました。劇団員の石川美樹は、いつも以上にイキイキしている。若い連中を熱心に指導する姿が尊い。大岸明日香や野村亜矢は、僕が指導している時本当にうれしそうに笑っている。返し稽古が始まると二人とも今まで通りに全力です。最年少劇団員の椿ちひろにもこの伝統はつながって、実に頼もしい限りです。大芝居を担当する座長丸山正吾と麻生金三も始終笑っていて、何より楽しそうで良かった。
劇団員や常連出演者が醸し出す雰囲気を察してか、初登場の出演者も精一杯の全身表現に取り組んでくれました。稽古着、小道具無しでの生まれた迫力を考えれば、公演本番じゃあ、照明に音響の力も重なって、凄まじいインパクトが、劇場でスパークするで間違いありません。
芝居を見て、芝居をつける演出家の存在意味を、僕はお客さんの替わりだと思っています。
稽古場にお客さん入れるわけにはいきません。そこで僕が、大いに楽しんで、興奮して、より面白がれる道を探し出す。モブシーンの稽古では出演者全員の興奮が、演出家に当然伝わってきますから、こっちもヒートアップして、本当にへとへとになります。何しろ23人、全員見なきゃならないから眼も頭もこんがらがって、4時間の稽古時間など光陰矢の如し・・・あっという間の出来事なんです。そんなわけで僕は早々6時に稽古場を後にしましたが、皆にはもう一つ、でっかい山が待っていました。
6時からはフィナーレのダンスの振り入れです。これまた23人が参加。
僕の最高の仲間だった故・野島健太郎=ノジケン作曲のナンバー『ジュリエットロマンス』を
女性出演者が中心となって歌い、踊ります。見ていきたいな、って気持ちもあったけど、正直疲れちゃって早くビールで知恵熱、冷やさなきゃ、って帰宅しました。
モブシーンのレポートだったので、今現在も思い出して妙に力が入り、、少しへとへとな状態になってます。六十八才、頑張ろう。
今日も一時から稽古場です。それじゃあ。