望月六郎的日記『中年勃起』
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七夕千秋楽です。

七月七日

 

初日・中日・千秋楽の連弾叩き込み、フィナーレがやってきました。

昨日もドガドガプラスでお馴染みのお客様に会うことが出来た。

「望月さんがどんな演出するのか、気になって来ました」

そんな言葉も貰いました。

 

今回の果敢な挑戦の主体は無論、俳優・中瀬古健であって、僕は彼のサポーターとして応援・協力した立場です。

稽古中も中瀬古が少しでもかっこ良く映るか、そればかりを考えていた…

というか、僕が見守る眼前には、中瀬古健しか居ないんだから、当然そうなるよね。

 

家での晩酌時も、雨中の、炎天下のガードマン=立哨中も、安全に問題のない時には『駆け込み訴え』のことばっかり考えていた。

日曜日の稽古が終わるとまずは咀嚼から始まる。

あそこは、こうすればもっと良くなる。

そういう手があったか。

 

反芻に咀嚼。まさにそんな感じです。

 

もちろん同時に次週分に関しての考察、具体的な準備も始まる。

展開的に、どうしよう。どうしたらお客様にリフレッシュして貰えるか、それが最大の問題だった。

 

『駆け込み訴え』は本来一幕一場、舞台はユダが駆け込み訴えた先=ローマ人高官の眼前だ。

一人語り=読むだけで50分掛かる長い長い独白です。

その間にいくつもの過去場面が語られ、そのたび逡巡と決心を、愛情と憎悪の大波が寄せては返す。

ある面、心の揺り返しの繰り返しだから、なんだか飽きちゃう面もなくはない。

 

そこで僕は便宜上、原作を6場に構成して、色々な味わいを用意した。

豆腐づくしの懐石料理みたいな感じですね。

レシピを考えるのも楽しい。

 

そうして次の日曜日を迎える訳ですか、充実した日々でした。

 

ドガドガの公演だと、どうしても詰め込み的な稽古になってしまう。

僕の本描きが遅い。

出演者も多い。

稽古に避ける時間の限界。

等々、今回とはだいぶ条件が違うからだ。

どうしても、えいやっ!って感じになる。

お芝居も、反射能力を頼りにした指導になる。

 

映画の現場も反射能力がものをいう。

大作やったこと無いから、僕の場合はそうでした。

 

しかし今回は、中瀬古の練習=芝居の習得に時間が掛かる。

それに僕のガードマンもあって稽古は、ゆっくり、ゆったり進んだ。

僕は爺さんでもあるから、稽古は2時から6時までの4時間。

それ以上に時間が過ぎるとエンプティ…空っぽになってしまうのだ。

 

そんなわけで、こんなペースで進むのは大変贅沢な日々でした。

 

中瀬古のサポーター…としての日々でしたが、この期間は、僕個人にとっても大きな意味があった。

 

一人芝居『駆け込み訴え』は、やれる事が極めて少ない時間と空間でした。

 

役者は一人…当たり前か。

照明は小さな家電が二つ。

袖はひとつ。

舞台装置はアパートのようなシンクとガス台スペース。

 

そこに足していけるものは、大変少ない。

 

舞台がない状態なので(演じるエリアと客席がフラット)なので芝居上、どうしても見えなくなる時間が多かった。

そこで高座を作って頂いた。

福音書。

壁や天井に貼られた怨嗟の文言。

暗闇を照らす光体。

甘油の香り。

マッチと蝋燭。

講釈台にハリセン。

水の流れ。

洗われた足を浮かび上がらせるフットライト。

 

多分これで、以上です。

 

音も大変少ない。

 

古代ギリシャ音楽が公演前に流れる。

鐘の音。

かもめ。

潮騒が二回。

砂嵐。

再びギリシャ音楽。

出囃子に拍手。

でてけでてけの寄席太鼓。

そしてエンディングナンバーに選んだのがストーンズ『悪魔を憐れむ歌』で…

 

that's all!これで全部です。

 

僕はなんとなくミニマリズム、という言葉、概念を思い出していました。

大変少ない効果でもって、最大限にお客様の感情を揺さぶる。

揺さぶるんじゃなくて、微妙な変化=揺らぎの中で、感動を見つけて貰う。

 

僕は食事に関してはアッサリ好きの本来貧乏性だけど表現に関してはコッテリゴージャス好きです。

美術だったらシュールレアリズムとか、演劇だったら唐十郎一味ですね。

 

ミニマリズムは苦手、というか、なんだか手抜きのように感じてしまった。

モンドリアンとかアッサリさっぱりで物足りない、というかどう味わっていいかわからない。

ミニマリズムの音楽も眠くなる、というか、サロンや病院の待合室みたい。

 

しかし、今回僕は、自分の趣味に関わらずミニマリズムの世界と向かい合っているような気分を味わいました。

少ない要素でいかに心地よい時間と空間を導くか。

眠くなっちゃいけないので、それでいて情動が逆巻く世界を呼び起こす。

 

つまり中瀬古健の熱演を呼び込むミニマムな世界の確立です。

 

派手に出来ないんじゃない。

派手じゃないからこそ深みがある。

そんな方向性を探る。お客様が納得できるお芝居にする。

 

そういった点で大変いい勉強になったな。

 

酷暑です。

おまけに東京都知事選もある。

しかし七夕です。

夜が来るその前に湯島で一人芝居は如何でしょう。

本日も待ってます。それじゃあ。

 

 

 

 

 

 

 

そして中日です。

七月六日

 

一人芝居『駆け込み訴え』昨日は初日、そして本日中日です。

昨日は酷暑の中、桟敷用座布団、最後の2枚を四時に運び入れ、最終最終チェックを終え、御徒町で友人と飲みました。

6時40分会場到着。

二十五名を予定していたお客様は二十八名に増え、我が家の座布団大いに役立って、感激です。

 

初日の中瀬古の出来は、まあ合格かな。

やっぱり昨日よりも、緊張が伝わってきました。

本人もそれは気がついていたようです。

しかし、お客様には驚嘆を味わっていただけた模様です。

本日から、後たった二回、上り詰めていって欲しいものです。

 

一人芝居についての考察です。

 

お芝居では、ある役者が担当する部分を、『出番』と言います。

出番が少ない、あるいは多すぎる、とか、不満も生まれる。

本書く時も、これは大いに気にかかる問題、というか課題になる。

本来、観客が面白ければいいんだろうけど、出演者にも気遣いを必要とするからだ。

 

『駆け込み訴え』は小説であって、戯曲じゃない。

主人公、ユダの告白、独白、一人語りだ。

太宰治は、当然『出番』のことなんか気にする必要はありません。

 

ユダが語るもう一人の主人公『イエス』そして彼に従う弟子たち、

そして決して言葉を発する訳じゃ無いけど大きな存在感を持つマグダラのマリアが登場する。

 

今回はそれら全てを中瀬古健が演じるのですが、お客様にとってこれはどうなんだろう。

 

本来共演者がいた方が見やすいし、役者同士のアンサンブル、化学反応のようなものも楽しめる。

料理だって、おかずはいろいろあった方が楽しいし、ワクワク心も弾む。

小説通りに演じるなら70分一幕・一場で、同じ味付けで丸呑みするのはなかなか体力がいることだろう。

仮に、美味しかったとしても、やっぱり飽きちゃう、ってことも十分考えられる。

 

その点の心配は大いに感じたから、なんとか目先をかけていこうと思いました。

これまさに、『おもてなし』の精神です。

 

しかし、物語も半分を過ぎて、いよいよクライマックスを迎えると違う心境も生まれてくる気がする。

 

長距離を走り切る時に生じる快感=ランニングハイ。

これと似たメカニズムで=脳内幸福物質的喜びが生じてくるような感じです。

 

みんなで共有する『出番』といった優しいシステムじゃなく、もっと我儘で、それこそ独善的な時間と空間が一人芝居かも知れません。

ある意味超人的な行為に、付き従い、一緒にゴールする喜びを鑑賞者は味わう。

 

その上で、演者を讃える…そんな公演が理想なんだろう。

その高みが、少しでも、もっともっと高くなる事を期待します。

 

一回目のゲネプロ終了後、僕は中瀬古にこんな感想を伝えた。

「今となったらもう必要なかったかも知れないけど、『読む』は間違ってなかったと思う」

すると健ちゃんは、読む必要性を大いに説いた。

 

「ですから、なくちゃダメです」と言われた時僕はこんな答えを返した。

「足のたたない深い海をずっと泳いでいるのは、辛いもんだよな。

時々足が立つ岩があちこちに隠れていたら気分は全く違うかもね」

 

マグダラのマリアの場面での『読み』を考えつき、その方法を中瀬古に伝えた。

いざ実践すると、演者の顔を見ることができなくなった。

『読みながら演じる』という方法もなくはなかったが

これだとどうしても『カンニング』=盗み見ている行為に映ってします。

 

だから、演者の表情を諦めて、ひたすら読む、読み倒す…この方法を選ぶことになった。

自分の心の中に潜んでいる意識を見つけて、オートマチックに声にする。

古代遺跡から、未知の文書を探し出す。

洞窟に迷い込んだようなもんですね。

 

昨日はドガドガプラス由来のお客様も多かった。

 

ドガ女一期生の浦川奈津子に松山クミコも駆けつけてくれ、終演後も大いに盛り上がりました。

二人とも、もちろん中瀬古健を絶賛。

改めて、健ちゃんのポテンシャルに惚れ直していました。

 

僕も、クミコと奈津子から『読み』について大いに褒めて貰った。

 

稽古の初めから、僕の最大の関心事は『太宰治』という存在でした。

中瀬古の発案で、挑む、というか向かい合う対象になった次第です。

 

ですから責任のようなものは感じる必要もないでしょうし、僕のような存在がそんな事を考えるのもおこがましいです。

 

ですが

「太宰が見たらどう思うんだろう」

「みっともない真似はできないな」

「出来たら喜んで貰いたい」

そんな感情はずっと持っていた。

 

それからパレスチナの現状。

民俗をめぐる歴史。

宗教の意味。

僅かながらの読書から覚えた知識ゆえに生じた、意気込み…というよりプレッシャーも感じていた。

 

初めての稽古が始まる前、僕は小一時間、そんな心境を語って中瀬古と共通の認識を持とうとしました。

その結果が今回のお芝居になったんだと思うといわゆる一つの『感無量』かな。

 

お暑い中ですが、湯島に夕涼みがてらおいで下さい。

本日もお待ちしております。

 

 

 

 

 

本日からの三公演です。

七月五日

 

酷暑の中、いよいよ初日を迎えました。

お客様に見て頂けると改めて考えると、本当楽しみだな。

遅らばせながらの連絡です。

昨日夜、中瀬古から貰ったメールをコピペします。

 

コリッチの予約フォームをお送りします。

 

こちらからご予約下さい。

https://stage.corich.jp/stage/323670/ticket_apply

 

また当日券もございますので、予約に間に合わなかった方も是非会場に直接いらしてください。

 

お客様と共有するお芝居と空間を楽しみながら、やってきたことを信じて頑張ります!

明日から3日間、どうぞよろしくお願いいたします。

 

中瀬古健

 

昨日は7時からゲネプロでした。

この日から、バイトもお休みです。

で、朝からビーフシチューを作ったり、座布団入れる袋探しに行ったり、

あれこれしているうちに、迂闊にも眠ってしまって

「もう直ぐ6時半だけど大丈夫なの?」

と妻に起こされた。

そんな状況を伝えて、速攻で出かけたが10分の遅刻でした。

で、7時15分開始。

開演のテーマ曲が流れ、

以降スリリングな、ヒリヒリする、絶望の、それでいて美しい七十分が展開し、大変贅沢な気分になれました。

 

終演後、五点ほど気がついた点を伝え、修正、確認。

落ち着いて、拡張すら感じる旨を伝えると

中瀬古自身

「自分でも、いいのかな?と思えるぐらい冷静な気分です。やり切った感が減ったように感じる」

の返事でした。

そこで僕は、こんな事を中瀬古に伝えた。

「情熱を持って演じる。

それを冷静にもう一人の自分が見守り、コントロールする。

これは良い俳優の必須条件だ。

普段の芝居なら共演者とのアンサンブルとかも重要な要素だ。

しかし今回は一人芝居、いわば独演会だ。

つまり伴奏者はお客様だけです。

今まで、観客の代わりを僕が務めて来た訳だけれど、明日からは本当のお客様がいる。

人間は物理的には水の詰まった皮袋だから、吸音性が高い。

無人に近い部屋は風呂場と一緒で響きもいいけど、本番はそうゆう訳にもいかないよ。

力を入れなきゃ、じんわり吸い取られちゃう。

人が集まれば熱気もこもる。

ひといきれ、ってやつだし、息を飲み込んだりもする。

お客さんと息を合わせることで、興奮も生まれるだろうし、バージョンアップ出来る」

 

そんな話が済んで、片付けするから待ってて欲しい、との事で、階下『道』に移動。

水・木は本来、中瀬古の担当日だ。

一昨日は佐々木健。昨日は比留間聡子が交代要因でお店勤めていた。

で、店のドアを開けるとカウンターには比留間と向かい合って S健がいた。

で、ビール。

 

やって来た中瀬古に

「あれだけやるとアドレナリンがすごいだろうから、興奮して寝れないだろう。

覚悟を決めて、飲んで、ばっと寝る方がいいかもね」

と意見すると

「毎日、適当に飲んでます」

だそうで、呑兵衛は頼もしい。

すると、S健が意外な事を白状した。

「昨日は興奮してしまって、珍しく眠剤使いました」

初日の金曜日は元々、S 健が『道』のバーテンを担当している。

ワンドリンクチケットは、上演後に使って貰う算段なので、つまり『道』はスタンディングのパブ状態になる。

「アレを見終わったお客さんが、どんな状況でやってくるか、今から楽しみです」

S健は一晩想いを馳せたせいか、この日は非常に楽しい感想を伝えてくれた。

 

1時間半限定で居酒屋に移動。

「望月さん、いつもより熱心だから」

などとS健は主張するが、それは無い。

ただ、順々に進んだから、焦りのようなものは無い。

それには、中瀬古の精進があってこそだけれど。

 

一昨日、1回目のゲネプロ後の『道』でS健を先生と呼ぶ妙齢の御婦人と会った。

S健のバレーダンスの生徒さんで、Sの厳しい指導と毒舌ぶりに魅せられ、ファンになり、

前回公演でドガドガに嵌ってくれたようです。

「公演がほんと楽しみです。主日に主人と伺います」

との事で、誠に嬉しい限りです。

 

その後、いろいろ質問を頂いて、演出家としてはどんな気分なんですか?的話になった。

 

「自分が書いた訳じゃないし、覚えてもいない。

こういう展開だ、とか、いくつか大きなセリフはしっかり記憶にあるけど、

それ以外は毎回新鮮に聞いて驚いている。

確かに、やってみせたり、動きをつけた記憶もあるけど、それももうあやふやで、

つまり、自分ではやれっこないし、中瀬古はとうに僕を飛び越えて、自分のものにしている。

だから、今日、ゲネプロを見た僕の感想は…

「とんでもなく変わった人が居るなあ。やっぱりタマムシは綺麗だなあ」

そんな感じです」

「公演がほんと楽しみです」

支離滅裂な話でしたが大いに感心してもらい大変恐縮しました。

 

話は昨日に戻ります。

 

今回のエンディングナンバーはインパクトがある。

元々それに決めていた訳じゃなく、初めて通し稽古を見た時、僕の頭の中で曲が流れ出した。

急遽ネットで調べて貰って、中瀬古に聞かせると大いに気に入って貰った。

「助かります。自分自身どんな気持ちで終わって、

お客様にはどんな気持ちで見終えて貰えばいいか悩んでたけど、これでスッキリしました」

的な感想を語った。

 

その話をS健に披露すると

「アレは、ずるい。カッコ良すぎる」

出そうだ。

 

同じ表現者だし、仲のいい飲み仲間でもあるし、羨ましくもあるんだろう。

今回の中瀬古=『駆け込み訴え』を鑑賞して、多くの俳優さんに刺激を感じて欲しいです。

 

再び一昨日に話は戻ります。

僕は中瀬古を残し、早々に『道』からの帰路についた。

山手線から総武線で新小岩到着。

目の前のエスカレターに乗り改札階を目指していると背後から若い男性から話し掛けられた。

「首のところに芋虫が付いてますよ」

僕はTシャツに枯れ草色のシャツジャケットの出立だった。

荒川を渡る頃、首の後ろがかすかにむず痒くて、二回ほど掻いたが、なんの手応えもなかった事を思い出した。

 

エスカレーターを降りたところで、

「取ってもらいますか」と頼んだ。

青年はなんとかしようと試みてくれたが

「虫、こういうの苦手なんで」

と悪戦していた。

「ありがとう。自分でやります」

僕は自分で取ろうとジャケットを脱いだ。

襟の返し部分に濃い緑で3センチほどの青虫が這っていた。

どこに行ったらいいか、大いに迷っている風情に感じました

「ここに捨てても死んじゃうから。それじゃあ」

と青年と別れた僕は、駅を出て、駅前広場を横切り、緑濃いツツジの垣根に青虫を離しました。

間も無く蛹になって、蝶として飛び立つだろうと、当たり前の想像を持って夜道を急ぎました。

 

まあ、話としてはそれだけで、実にどうでもいいんだけれど、なんだか僕はシンクロシティを感じていた。

 

いい初日を迎えたいものです。

それには皆さんのご助力が肝心です。

それじゃあ。会場でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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