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壊れたニューロン ~脳の加速度運動~

一昨日の夜から、ずっと仕事してたんですよ。

27時間。

一時間半だけ仮眠したけど。


途中、18時間ブッ通し、休憩一切なしでずっとパソコンに向かってたんです。


普通に考えたら、これ、ちょっと尋常じゃないでしょ。


だって、ディズニーランドで「一時間待ち」とか言われても、「めんどくさ、じゃあいいよ乗らね」ってなるじゃん。

アレに率先して並ぶのって、子供にとってディズニーアトラクションが至高の体験だと信じてやまない平和ボケした三十代の中流階級ファミリーパパママと、キャラクターものに対する変態的な執着心を持つことが女子としてのステータスという意味不明な持論持ってるパラノイアばばあくらいのもんでしょ。


なのにこっちは、18時間ぶっ通して仕事するわけ。

同じ場所で三十分も待ってられない奴が、同じ場所でお地蔵さんみたいに18時間ぶっ通しとか、これ完全に「足に根っこ生えちゃったの?」と疑われてもしょーがないレベル。


僕も改めてこうやって数字だけを見てみると「すげーな」って思うけど、でも、仕事している最中は全然「長い」という感覚がなくて、むしろ時間が足りないんですよ。


本当に足りない!


一時間があっと言う間に過ぎて軽くひくレベルなんですよ。

「10分くらい経ったか?」と思って時計見てみると、一時間くらい経ってるんです。

「この調子でいったら、五年後あたりに寿命尽きるんじゃね?」っていうレベル。

おかしいよね?


そこでちょっと思ったんですよね。


歳とった人間って、「三十超えるとすぐに時間がたつぞ~」みたいな事を昔から言ってるけど、確かにそういう実感は少なからずあるんだけど、仕事中のこれに限っては「そういうレベルじゃねぇぞ」と思うんです。


これ、感覚的な問題なんだろうけど、感覚的な問題としてかたつけていいレベルじゃねーぞと。


明らかに時間の経過が早過ぎる。


あるいは相対的に俺の仕事が遅いのか。


「幽霊見た」

「気のせいでしょ」

なら、まだわかるよ。


「幽霊に犯されたあげく妊娠した」

つったらコレ、もう気のせいで済ませられるレベルじゃねぇべ。

非科学を科学で証明する好機到来でしょ。

そういう気持ちなんだよ!


これはもうおかしいと。


何かあると。


そう思うわけ。


で、ちょっと考えてみる。





そういえば、時間って意外と頼りない奴らしいんですよ。


あのね、俺けっこーマジで思ったんだけどさ、相対性理論ってあるじゃないですか。

あれって、俺が関心持った部分だけかいつまんで話すと、「運動によって時間の長さが変わる」ということを証明できる理論らしいんですよ。


まぁ、今、この理論が学者さん達の間でどれだけ正しいものとして認識されているのかは知らねぇけど。


要するに「速くなればなるほど、時間がどんどん遅くなる」という話ね。


「訳わかんね」っていう人のためにもう少しわかりやすく簡単に説明しとくよ。



俺、時速5kmで歩いてる。

車、時速20kmで走ってる。

俺から見ると、車が時速15kmで進んでいるように見える。

車から見ると、俺が時速15kmで後ろに過ぎ去っているように見える。


新幹線、時速200kmで走ってる。

時速5kmで歩いている俺から見ると、新幹線が時速195kmで進んでいるように見える。

新幹線から見ると(ry


ところが、光が仮に時速300kmで進んでいるとすると、

俺から見ると、光が時速300kmに見える。

車から見ると、光が時速300kmに見える。

新幹線から見ると、光が時速300(ry


と、意味わかんねぇことになるわけ。


つまり、誰から見ても光の速度は一緒に見える。

となると、もう速さ×時間とか、距離÷速さとか全然意味ない。

「円周率は四捨五入で3にするか。あ、でも整数も四捨五入ってことで1でいいよもう」って言ってるようなもん。


誰から見ても光の速さが一緒に見えるってことは、これ、速さ×時間の公式が通用しないでしょ。「光の速さが絶対変わんねーなら、じゃあもうこれ、時間を“変わるもの”にしなきゃ算数できないじゃん」っつーのが、相対性理論の概要な。


まだわかんねぇ?


つまり、売れっ子漫画家よりも、毎朝ウォーキングしてる美容マニアのばばあの方が長生きする理由を証明する理論ってことよ。






でね、ちょっと思ったんです。


精神相対性理論だっけ?

まさに今、俺が経験している「心理的に時間が早くなったように感じる」というこの現象が実際にあるんじゃないかって話もあるらしいけど、人の心って結局、脳みそで電気信号なり細胞なりで合理的に管理されてるわけでしょ。


ってことは、科学でいずれは解明できるかもしんないよね。

今は脳科学が発展途上だから無理だとしても、脳のメカニズムが完全に解明されたら、これまで「錯覚」と呼ばれていたものが、一つの物理現象として観測されるかもしれない。


今はそういう実証がないから「時間が早く過ぎたように感じるよ」なんて言ってるけど、「実際に時間が早くなっている」という可能性もないわけじゃないでしょ。


俺これ、あると思うんだよなー!



あ、疲れたわ。


続きはWEBで!




無題

世の中には色々な考えを持った人がいるね。



人間は感覚的な生き物だから、特に音楽とかアートとか、そういう類の話に関して考え方はまさに十人十色。表現に対する姿勢や動機って本当に人それぞれ。



金のためにアートやる人間もいるだろうし、

一人で黙々と表現し続ける人間もいるでしょう。

利益に興味がない奴とか、

豊かな暮らしと引きかえに自分らしさを犠牲にする奴とか。

どれが正しくてどれが間違っているってことはないんだろう。

本人がその現実に納得して満足しているのなら、

それでいいんだと思います。

アートに正解という形がないという以前に、

人の生き方そのものに正解なんてないんでしょうから、

好きなように生きればいいと思うんですよ。



ただ、


「自己表現」ってのは、常に「自己顕示欲」と隣り合わせです。

この「自己顕示欲」ってのが、おそらく最大の敵。


自己顕示欲に溺れることを恥としない人間にとっては、そうじゃないんでしょうね。でも、俺はそういう表現者は素直にかっこ悪いと思うし、なんだろ。「かっこいいと思われたい」と思ってる男ほどかっこ悪いもんないでしょ。「私いい女なのよ」臭をプンプン臭わせるオマタ太平洋女ほど低俗に見えるってのと同じ原理。



たとえば、

「人から評価されたい」

「褒められたい」

「かっこいいと言われたい」

「あこがれてもらいたい」

「羨ましがられたい」

「モテたい」

「すごいと言われたい」

「一儲けしたい」

「有名人になりたい」



このすべての欲求に反する行動ってのは、すなわち「商業的に成功したくない」ということとほとんど同じことだと思うんですが、自分らしさを極めるためにはそれが正解だと思っています。



曲を作ろうという時にね、他人の評価を期待するような気持ちがどこかにあると、それ、すっげー邪魔になるんですよ。「受け入れてもらえるように」「認めてもらえるように」という気持ちは、自分が持っている感覚を表現する上ではまったく必要ない。



ただこれ因果なもんで、


社会とか世間とか人の気持ちとかが何となくわかってくるにつれて、自分らしさを出すのがどんどん難しくなっていく。だから、歳をとるにつれて表現への敷居がどんどん上がっていく。その「自己顕示欲」という壁を乗り越えることが、もうかれこれ十数年前からずっと課題でした。



僕はもともと自己顕示欲が強い人間ですから、そういう人間こそこういう課題を持たなければならないという意識がもう若い頃からずっとあります。



一方、自分を殺せば殺すほど、人からの評価が高まるというジンクスもあります。



商業音楽を手掛ける際、僕は一切の自分を殺して、先方が求めるイメージとか曲調とか音質とか構成を曲に反映させます。そうして完成した曲は、今聴いても「いい曲だなあ」と思います。



でも、自分らしくねぇ!



確かにね、求められる音を形にすることで得られる充実感とか達成感とかありますし、喜んでもらえる分だけ評価は高くなります。実際、それはすごく心地良いことだし自分も嬉しい。


まして、世の中には音のイメージはあってもそれを形にできない人はたくさんいますから、それを形にする人間が必要になるのも当然の話。音楽が商業として成り立つ根本的な理由ですよね。だから、商業音楽を批判する気にはなれないわけ。



実際、そういう音楽っていい曲ばっかよ。

よくて当たり前なんだ。


ここに「商業」と「自己表現」の明確な分岐点があるんですよ。




「お前の、正直な動機は何なんだ」という分岐点。





俺も多分同じ穴のムジナだから愛を持って言わせてもらうけど、

「俺にはこれしかねぇから」みたいなバンドマンに限って、しょーもない!


音楽でてっぺん目指す前に、まず人生経験積もうぜ!

色々なことを知って、色々なことを体験して、色々なことを考えて、色々なことをやってみようぜ!


人を作るのは、おそらく洗練された想像力か経験しかねぇ。


そうやって、人って魅力的な人間になってくんだろ。

人として魅力的じゃねぇ人間が、魅力的な作品を作れるわけがねぇんだ。




だから俺も、魅力的なものを作れるように、他人の評価を期待する前に自分を研ぎ澄ませていきたい。



できるだけ。



じゃ。


理解とは何か

なんか実生活だけじゃ飽き足らず、

ブログでまで軽口叩いちゃってるけど、

あんまりこういうのよくないんと思うんだ。

だって、世の中には僕の知らないことなんてたくさんあるし、

僕の知らない生き方をしている人もいっぱいいる。

僕のかいた文章が、

もしかするとたくさんの人の心を傷つけてしまうかもしれない。

そういう望まない結果を想定していると、



何も書けねぇんだよドアホ!



きっと、こんなだから誤解されるんだろう。

れいによって「不快です!」とか言われんだ。

いいんですよ、別に。

なんと言われようとも、慣れてるから。

ね、そういう生き方を多分自分で選んでしまったんだ。

えーと、、つまりだ、、

ちょっと待て、何が言いたいのかと言うとだな、

やっぱね、世の中色々な人がいるじゃないですか。

んんこ食べる人とか、ありえない格好でおなぬに─する人とか。

トンデモ──とは言わないけど、僕にはちょっと理解できないわけ。

せんと君の容姿くらい理解できないわけ。

つってもね、理解できないからって忌み嫌うわけでもない。

クソだべ、そんな排他的な考え方。

すぐには無理でも、やっぱり人ってお互いにさ、