無題 | sick

無題

世の中には色々な考えを持った人がいるね。



人間は感覚的な生き物だから、特に音楽とかアートとか、そういう類の話に関して考え方はまさに十人十色。表現に対する姿勢や動機って本当に人それぞれ。



金のためにアートやる人間もいるだろうし、

一人で黙々と表現し続ける人間もいるでしょう。

利益に興味がない奴とか、

豊かな暮らしと引きかえに自分らしさを犠牲にする奴とか。

どれが正しくてどれが間違っているってことはないんだろう。

本人がその現実に納得して満足しているのなら、

それでいいんだと思います。

アートに正解という形がないという以前に、

人の生き方そのものに正解なんてないんでしょうから、

好きなように生きればいいと思うんですよ。



ただ、


「自己表現」ってのは、常に「自己顕示欲」と隣り合わせです。

この「自己顕示欲」ってのが、おそらく最大の敵。


自己顕示欲に溺れることを恥としない人間にとっては、そうじゃないんでしょうね。でも、俺はそういう表現者は素直にかっこ悪いと思うし、なんだろ。「かっこいいと思われたい」と思ってる男ほどかっこ悪いもんないでしょ。「私いい女なのよ」臭をプンプン臭わせるオマタ太平洋女ほど低俗に見えるってのと同じ原理。



たとえば、

「人から評価されたい」

「褒められたい」

「かっこいいと言われたい」

「あこがれてもらいたい」

「羨ましがられたい」

「モテたい」

「すごいと言われたい」

「一儲けしたい」

「有名人になりたい」



このすべての欲求に反する行動ってのは、すなわち「商業的に成功したくない」ということとほとんど同じことだと思うんですが、自分らしさを極めるためにはそれが正解だと思っています。



曲を作ろうという時にね、他人の評価を期待するような気持ちがどこかにあると、それ、すっげー邪魔になるんですよ。「受け入れてもらえるように」「認めてもらえるように」という気持ちは、自分が持っている感覚を表現する上ではまったく必要ない。



ただこれ因果なもんで、


社会とか世間とか人の気持ちとかが何となくわかってくるにつれて、自分らしさを出すのがどんどん難しくなっていく。だから、歳をとるにつれて表現への敷居がどんどん上がっていく。その「自己顕示欲」という壁を乗り越えることが、もうかれこれ十数年前からずっと課題でした。



僕はもともと自己顕示欲が強い人間ですから、そういう人間こそこういう課題を持たなければならないという意識がもう若い頃からずっとあります。



一方、自分を殺せば殺すほど、人からの評価が高まるというジンクスもあります。



商業音楽を手掛ける際、僕は一切の自分を殺して、先方が求めるイメージとか曲調とか音質とか構成を曲に反映させます。そうして完成した曲は、今聴いても「いい曲だなあ」と思います。



でも、自分らしくねぇ!



確かにね、求められる音を形にすることで得られる充実感とか達成感とかありますし、喜んでもらえる分だけ評価は高くなります。実際、それはすごく心地良いことだし自分も嬉しい。


まして、世の中には音のイメージはあってもそれを形にできない人はたくさんいますから、それを形にする人間が必要になるのも当然の話。音楽が商業として成り立つ根本的な理由ですよね。だから、商業音楽を批判する気にはなれないわけ。



実際、そういう音楽っていい曲ばっかよ。

よくて当たり前なんだ。


ここに「商業」と「自己表現」の明確な分岐点があるんですよ。




「お前の、正直な動機は何なんだ」という分岐点。





俺も多分同じ穴のムジナだから愛を持って言わせてもらうけど、

「俺にはこれしかねぇから」みたいなバンドマンに限って、しょーもない!


音楽でてっぺん目指す前に、まず人生経験積もうぜ!

色々なことを知って、色々なことを体験して、色々なことを考えて、色々なことをやってみようぜ!


人を作るのは、おそらく洗練された想像力か経験しかねぇ。


そうやって、人って魅力的な人間になってくんだろ。

人として魅力的じゃねぇ人間が、魅力的な作品を作れるわけがねぇんだ。




だから俺も、魅力的なものを作れるように、他人の評価を期待する前に自分を研ぎ澄ませていきたい。



できるだけ。



じゃ。