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今回は長野県大町市美麻地区にある県下最古とされる民家、旧中村家住宅を訪ねます。
なんせこの民家、中村家の「年代記」というものが残っていて、最初に建てられた時期から改造された時期やその時の当主、大工まで明らかになっているという、貴重な民家なんです。
年代記ということは、その当時の当主が残した日記というか、記録のことです。その実物は現地では展示されておらず、見ることができなかったのは大変残念です。
しかし、民家は冬季(12月1日~翌年3月31日まで)以外は有料(入場料200円)で見ることができます。月曜日(月曜が祝日のときは翌日火曜日)は休館日です。
早速訪ねてみましょう。
旧中村家住宅までの道
旧中村家住宅は「道の駅 ぽかぽかランド美麻」の、県道をはさんだ反対側にあります。だから道の駅を目標にして訪ねれば迷うことはありません。
公共交通機関を利用する場合は、JR大糸線の信濃大町駅から美麻方面への路線バス・あるいはタクシーを利用することになります。
美麻地区は、平成の大合併以前は「北安曇郡美麻村」だった場所であり、中村家はこの地で庄屋を務めた家柄でした。
旧中村家住宅の主屋 右手の板戸が通常の出入口、左手には式台がある。
指定理由は大変わかりやすく、記録によって建築年代が明らかな民家としては長野県下最古、さらに大工、普請費用や改修された時期、回数まで明らかなのは大変珍しい、ためです。
指定時期が平成9(1997)年12月と新しいですが、調査が進んで貴重さが明らかになったため、文化財に指定されたということえしょう。そんな貴重な民家が内部まで見放題とは、マニアとして上がりますね。
それでは管理棟で入場料を払い、主屋から訪ねます。
まずは平面的にどのような民家なのか見てみましょう。
庄屋の家だっただけあって、通常の出入口と来客用の玄関があるのは今までの古民家訪問で分かります。
まずは家族の出入口から中へ入ります。通常の土間のように見えますが、解説を見ると「窓下」なる板の間があります。
美麻村は江戸時代の頃、麻が主な生産品のひとつでした。中村家は麻の集荷・出荷を扱っていて、この窓下で梱包などの作業を行っていたそうです。板敷にしたことで土間の湿気を吸うこともなかったので都合がよかったようです。
そして、土間の奥にあった「馬屋」。
大きな馬屋ですが、昔は荷役を扱ったり、農耕に牛馬は大変重宝されたそうで、人の生活空間に牛馬がいました。
そして馬屋の床は掘り窪められているのですが、これは牛馬の飼育のために藁を敷くためで、牛馬に踏ませた稲藁は肥料として大変重宝されたとのこと。
それらが溜まってもいいようにあらかじめ掘り窪められていたそうです。
そして居間。
中村家のある美麻地区周辺では、茶の間と呼んでいたようです。
中村家は長野県下最古というだけあって、本来、茶の間まで土間構造だったそうです(これを土座という)。
現在の中村家は江戸時代中期の構造に復元されているので、茶の間は板敷に復元されています。それまでは筵敷きで生活していたと考えられています。
茶の間には仏壇があります。これも旧態に復元されたものだそうです。
上を見上げれば小屋組が見えました。私が大好きな小屋組の観察。もちろんここでも、じっくり見させていただきました。
例のごとく、江戸時代前期に遡る民家は材が細く、それらを多数組み合わせています。ウォウ、あがるぅ。
「最古」好きのマニアにはその古さがわかるポイントです。
茶の間の西側には「小座敷」といわれた部屋がありました。
この時は屋根の一部がなく、私はてっきり「明り取りかな?」と思ったのですが、実際は違っていました。
この年の夏の悪天候で屋根の一部が吹っ飛んでしまったんだそうです。補修でビニルシートが掛けられていたのでした。
本来は家族の寝室として使われていた部屋で薄暗いんだそうです。
そうですよね、古民家では屋根裏が見える部屋なんて普段あまり利用しない部屋であることが多いですもんね。
だから来客用のおもてなし空間は全く別にあるのです。これも古民家あるあるでして。
まずは来客用の出入口、式台。
中村家では、生活空間と来客用の空間は「入側(この地方では、ゆりかと読む)」という廊下のような空間で分けていたんです。これも江戸時代前期に遡るような古い民家ではよく見られるそうです。
私は初めて見ましたので、まだまだ実見が足りませんね。
縁側に面した空間にも、入側が。
そして接待の場へ上がるための部屋、中の間。お客にくつろいでもらう前に一息ついてもらう部屋です。
ここで帯同している刀なども外してもらいます。要は家主に敵意がないことを示して、来客が武装を解く場所でもあるんです。
そして接待の部屋、奥の間。
お客様にくつろいでもらうため、床の間が設けられ、欄間もとても上品な仕上がりになっています。
家主の生活空間とは隔離した空間なので、便所や風呂場も別にあります。もちろん、当時としてはかなり上質な造りのものです。
旧中村家は創建された当初の形状に復元されているわけではないので、現在は長野県下最古の民家の姿がそのまま見られるわけではありません。その点はご注意ください。
続いては土蔵を訪ねます。こちらも、いつ誰の普請で建てられたのかが中村家の年代記で明らかになっていて、建築年代がわかるものとしては古い点が重要なので、国指定文化財になっています。
ただし、建てられた当初の場所から曳家されて移動しているので、主屋との位置関係が現状通りではなかったことは理解しておいてください。本来は今より東側の、現在は県道が通っている位置にあったそうです。
切妻造りの屋根で、雪国に特有な置き屋根構造となっています。屋根が合掌造りなのは、やはり豪雪地帯にある建物だからなのでしょう。
雪の重みに耐えられるように、軒先より1間ほど外側に軒支柱を建てて屋根を支えているのが特徴です。
土蔵の裏側には白戸があり、土蔵を火災から守る呪いの「水」の文字が大きく書かれていました。その元の扉も土蔵内に展示されていました。
この文字、火災除けの意味から一画一画が龍を象っているようです。たしかに、ちょっとデフォルメされていますよね。
土蔵の内部は中村家に関する展示室となっていますが、内部の構造もよく観察できます。
旧中村家住宅は大町市でも旧美麻村の中心部に位置しているので、市街地からだいぶ離れたところにあって訪問しずらいです。
だからこそ、皆さんにもっと訪ねてもらいたい。その保存にはおそらく苦労していることでしょう。そもそも美麻という地区すら、訪問前に私は知りませんでした。
美麻にはこんな貴重なものがあるんです。ぜひ訪ねてみてください。
























