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今回は茨城県桜川市にある真壁地区、「桜川市真壁伝統的建造物群保存地区」を訪ねました。
真壁地区はもともと真壁町という自治体でした。平成の大合併によって桜川市となりました。
先に紹介した名勝「桜川」と同じ市内ということになりますが、距離的には結構離れていました。
ここは現在でこそ近世、近代の建物が残る町で、それらを伝統的建造物として保存地区となっていますが、その大もとは中世の城下町の町割りなのです。
そんな町割りの上に近世、近代の町並みが形成されていて、そのせいなのか、どこか懐かしい町並みでした。
では早速行ってみましょう。
桜川市真壁伝統的建造物群保存地区
真壁町は登録文化財制度が始まったころ、古い商家が次々と登録されていく様子がたびたび報道されました。
その当時、私は「文化財登録制度を町おこしに利用するつもりかな?」くらいに漠然と考えていました。
正直、真壁の町並みが「登録有形文化財の建物が100件以上ある」といわれても、「だから?」くらいに軽く考えていました。
「なんなら伝統的建造物群保存地区に選定すればいいのに…。」
と思っていた矢先、平成22年にその「伝統的建造物群保存地区」に真壁の町並みが選定されたというニュースが流れました。
これまでの登録文化財への登録は布石だったわけです。
それ以来、ずっとどんな町並みなのか気になっていました。テレビなどでも紹介され、中世に真壁城の城下町として始まり、商家が並ぶ町並みであることはわかりました。
ずっと、「とにかく訪ねてみたい」と思っていました。念願が叶ってこのたび、真壁の町並みを初めて訪問しました。
真壁の町並みを歩く
かつては筑波鉄道という鉄道の駅があって公共交通網も整った町だったのですが、筑波鉄道は廃止されてしまい、今はJR水戸線の岩瀬駅からコミュニティバスを利用することになります。
車だと北関東自動車道の桜川筑西I.C.が最寄りです。
「真壁伝承館」という複合公共施設があります。ここに真壁の歴史資料館があるので、町並みや、このあと訪ねる真壁城などの情報をここで仕入れていきましょう。
さて、伝承館を出て最初に訪ねたのは旧真壁郵便局の建物。
旧真壁郵便局
昭和2年に建てられた、元は銀行の建物だったといい、外壁はコンクリートですが、内部はほとんど木造の近代建築です。
真壁の町では東日本震災で建物に被害が出たそうです。現在はすべて修復されて旧観が戻っていますが、それでも被害の大きさを忘れないようにと、建物によってはどのような修復を行ったかわかるようになっています。
旧真壁郵便局でも、修復した箇所がわかるように修復箇所と旧態の個所が明確になるよう、あえて色が違うようにしてあります。
見学する際はそんなところにも気を向けてみてください。
そこから北に向かう通りは御陣屋前通といい、古い商家が並んで伝統的建造物群らしい景観が良く残されています。
店蔵の商家
建材が真新しい部分がありますが、これも東日本震災で被災し、修復した箇所です。
この真壁の町は中世、真壁城の城下町として町並みが形成されたといい、近世は在郷町として発展したといいます。
まあ、在郷町として発展したといいますが、江戸時代には伝承館の位置に陣屋が置かれていたといいますから、近世も城下町のような町だったのではないでしょうか。
そんな真壁の町並みですから、実はその町割りに特徴があります。中世から変わっていないそうです。
東西に走る(北から)仲町、高上町、上宿・下宿といった3本の大きな通りは、東にある真壁城跡から真っ直ぐに伸びています。
通りからは真壁城を望めます。
下宿通り 真壁城の方向を見る(山の麓が真壁城)
そして、それらの通りと直交するように小路が通り、格子状の町並みを形成しているのですが、この小路が大通りと交差するところは必ず、喰違いになっています。
これこそが中世から変わらない、真壁の町並みの特徴だそうで。
喰い違う小路(上宿通りと見芽通りの交差点)
喰い違う小路(御陣屋前通りと下宿通りの交差点)
喰い違う小路(仲町通り、天神横丁(手前、右からの小路)、御陣屋前通り(奥、左からの通り)との交差点)
なぜ喰い違っているのか?これでは直進が難しくなってしまいますよね。実際、小路から出てきた車はそのまま直進するのに難儀しているようでした。
これは、町並みができた中世に遡って考えればその理由が理解できます。すなわち、城下町は真壁城の防御ラインなのです。
真壁城を築いた真壁氏は中世、常陸国を治めた佐竹氏の家臣となっていて、南には筑波郡に小田城を築いて本拠としていた小田氏がいました。
この小田氏は南関東に覇権を広げていた後北条氏と手を結んでいて、真壁氏と対立していました。
真壁を通る街道は城下の東側を南から北へ横切っています。
そのため、真壁城は南からの防御を意識して築城されていて、真壁の町並みを南北に通る小路は敵兵が直進できないよう、喰違いにされたそうです。
そんな町並みに、近世から近代の商家が残されているのがこの町並みの独特なところ。
家並みの間に、荷物を運搬したトロッコの跡が残っていました。
荷物運搬のトロッコ跡
商家も多く残ります。蔵造りが多いですね。
こういった町は昔、大火事に見舞われたことがある場合が多いです。
真壁の町並みも天保年間に大火に遭ったとのこと。やっぱりですね。
蔵造りの町並み(高上町通り、右手は手前から星野家と村松家)
星野家と村松家
蔵造りの町並み(下宿通り、伊勢屋旅館の前)
伊勢屋旅館
蔵造りの商家(石材業、市塚家)
蔵造りの商家(油売業、木村家)
蔵造りの商家(呉服・荒物、潮田家)
木造の町家もありました。こういった家はいわゆる地割が町家の地割になっていて、通りに面した入口は狭く、奥行きが長いのが特徴です。
木造の町家(製粉業、入江家)
木造の町家(米穀店、平井家)
真壁の町は門が多く見られます。門の奥のお宅は建て替えられてしまって伝統的建造物ではないのですが、門は家の格を表わすためかよく残されていました。
上宿通りに面した猪瀬家の築地塀と薬医門などは、その大きさから家格の高いお宅なんだろうと思われます。
上宿通り
猪瀬家 薬医門
横町の村上家にも、薬医門があります。
村上家(材木業)
上宿通りの根本家は医院を営んでいて、真壁で判明している中では最も古い、文政11(1828)年の建造となる高麗門があります。
根本家 高麗門
伝統的建造物群保存地区の北西、紺屋町の山中家には立派な長屋門が残されていました。
山中家の長屋門
紺屋町の通り
商業の街らしく、土蔵も多く見受けられました。いずれも登録文化財に登録されています。
川島洋品店 土蔵(紺屋町)
塚本茶舗 土蔵(御陣屋前通り)
そして真壁の町ではどこからともなく、お酒のいい匂いが漂ってきます。
そのお酒の香りにつられて立ち寄ったのは、「公明」の銘柄で知られる酒蔵「村井醸造」。
明治から昭和にかけて建てられた古い醸造所や蔵が残る、クラシックな工場です。
村井醸造
17代目とされる当主自ら店頭に立っておられるようです。
村井醸造の新銘柄酒
おすすめのお酒の話はもちろん、真壁の町並みを歩いている話をしたら、厳格な管理が必要な醸造エリアに入らなければ好きに見学していいと、いくつかの古い建物も案内していただきました。
いずれの建物も登録文化財です。
村井醸造 煙突(昭和初期)
村井醸造 醸造場
現在は倉庫になっている脇蔵(明治期)
今は倉庫や駐車場として利用しているという脇蔵はもともと仕込みなどに使っていたそうで、天井の梁や桁に酵母の名残が見られました。
村井醸造 脇蔵の内部
村井醸造の石蔵は店舗の敷地とは上宿通りをはさんだ向かい側に残されていました。
「御影石造」と説明している資料もありましたが、見た目にはどう見ても凝灰岩、「大谷石」に見えます。
村井醸造 石蔵(大正期)
たしかにこの地域で採掘している花崗岩は「稲田みかげ」のブランドで有名ですが、主に墓石で使われる高級石材です。
石蔵が造られた大正期は隣の栃木県宇都宮市大谷町で採れる「大谷石」が重量の軽さや加工のしやすさ、耐火性に優れた点から建材として利用されて、関東一円に普及しました。
だから大谷石でしょうね。
これで町並みを一巡しました。
真壁の町は、古い建物を残そうと登録文化財への登録から始まり、それが伝統的建造物群保存地区への選定に繋がりました。
東日本震災で各建物が大きな被害を受けたそうですが、各建物の修復や耐震補強工事は完成しているようで、今も古い街並みを見ることができます。速やかな修復作業はこういった保存運動の結果でしょう。
今も開発から免れて趣のある町並みを見ることができるのは、このような地元の苦労の上にあるのです。それを思いながら歩けば、この町並みもまた違って見えてくるものです。