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最近、新聞を読んでいると「有形文化財に登録されました」的な記事を見かけることがありませんか?
いわゆる「登録文化財」への登録が叶ったという記事です。
なかには「登録文化財へ指定された」なんて書いてある新聞もあります。
私はこれを見ると、「なんで県や市町村が文化財指定しても全国的に報道しないのに、登録文化財になると社会面に記事が載るんだ?」
とか、
「登録文化財はあくまでリストへの登録だけで、指定されたわけじゃないんだけど!」
などとその勘違いっぷりを批判的に見ています。
皆さんの中にも「登録文化財って指定文化財ほど貴重ではないけど、国が保護するほど貴重なんだよね、きっと!」と思われている方もいるのではないでしょうか。
それは違うのです。
今回は、登録文化財について指定文化財との違いをお話ししたいと思います。
決して登録文化財は別に重要なものじゃないんだよ、という意味ではなく、きちんと理解してもっと保護の機運を高めましょう、という話です。
登録文化財の制度は平成8(1996)年の文化財保護法の一部改訂によって生まれた文化財の登録制度です。
指定文化財より緩い規制で文化財の有効活用を図ろうとして始まった制度です。縛りも比較的緩く、外観を変えなければ内装などは改変が許されています。
そんなことから最近では登録有形文化財を活用したカフェやレストランが運営されて、文化財登録されていることをウリ(売り)にしているお店も多く見られます。
改訂当時は築50年以上たった建築物を、指定制度より緩やかな規制によって保護するための法制度でした。今では建築物に限らず有形民俗文化財や記念物(名勝、天然記念物)にまで対象が広がっていて、多くの文化財が登録されています。
ただ、これを「国が定めた制度だから、登録されるのはとても貴重な文化財なんだ。」とか誤解しているメディアが明らかに多過ぎます。
それが先に述べた、
「なんで県や市町村が文化財指定しても全国的に報道しないのに、登録文化財になると社会面に記事が載るんだ?」
という私の疑問に直結するのです。
登録文化財の制度はあくまで文化財を“登録”しておく制度なのです。
指定文化財は、国や地方自治体が必要と認めれば国や地方自治体から文化財指定を勧めることができます。しかし登録文化財はあくまで“登録”するのみ。関係者からの届出だけでリストに登録できます。
築50年を過ぎた不動産なら、何でも登録できるのです。
ですから、その中にはさらに国や地方自治体で指定文化財にして保護すべきものも含まれています。文化財の登録だけでは保護の端緒に掛かった、というに過ぎません。ここが問題なのです。
だから文化財リストに登録されることが最終目的であってはならないのです。ここを勘違いしているメディアは多いと思います。
改訂文化財保護法をよく読めばわかります。地方公共団体が登録文化財を指定文化財に指定したときはより高い保護を受けられるので、登録リストから外されます。
都道府県や市町村による文化財指定は、文化財の登録より重い規制が掛けられて本格的な保護制度で保護されることになります。
たしかに登録文化財制度は、指定文化財制度の重い規制のために所有者が指定を躊躇(ためら)い、失われていった文化財が多いことから設けられた制度です。登録されないよりはずっとマシでしょう。
しかし登録文化財の中には、今すぐに更なる保護が必要な文化財が多く含まれるのです。なぜ指定文化財の保護傘下に置かないのでしょうか?
たとえば栃木県真岡市にある「真岡市久保講堂」。この建物は登録文化財に登録されています。
その建物の雰囲気にはフランク・ロイド・ライトによる、いわゆるライト建築の面影があります。それもそのはず、ライトの真の弟子といわれた遠藤新の設計による建物なのです。
この建物は外観はいつでも見学できます。しかし建物の老朽化が進んでいて、早急な修理が必要なんだとか。だから内部見学はもう長いことお断りされてます。
保存には多大な修繕費用が必要なのですが登録文化財でしかないため、国は費用の約25%までしか補助してくれません。今じゃ補修が追い付かず、雨漏りがあるうえに耐震補強が行われておらず、ごくたまに行われるイベント時以外は内部見学ができません。
逆に、登録文化財のリストから指定文化財となって、より手厚い保護を受けられるようになった例もあります。
埼玉県川島町の遠山家住宅は、登録文化財から国指定重要文化財になりました。
補修の手も入って、職人による見事な装飾が残る昭和初期の高級住宅の例として保護の手が行き届くようになりました。
だから文化財の登録をありがたがっていては、本当の文化財保護には繋がりません。せめて、市町村指定による文化財指定を目指す必要があります。
既に文化財登録を抹消され消滅した物件だって何件もあるのです。私が知る範囲では石川県金沢市内の湯涌温泉にあった「白雲楼ホテル」がいい例だと思っています。
ここは湯涌温泉と呼ばれる温泉街で昭和7(1932)年に開業した高級ホテルでした。平成9(1997)年の第3回登録で有形文化財に登録されました。
まだ建物があった当時はJR金沢駅前から湯涌温泉に行く路線バスは今でこそ「湯涌温泉 元湯行き」ですが当時は「湯涌温泉行き」といえば実際には元湯より奥に位置した「湯涌温泉 白雲楼ホテル前」行きでした。そのくらい老舗のホテルだったのです。
白雲楼ホテルが倒産した後に私はここを訪ねていて、その際の写真があるはずなのですが膨大なコレクションに埋もれてしまい、ご紹介できないのが残念です。
昭和12(1937)年に建てられた本館と貴賓館は和風に洋風の意匠を取り入れた特徴的な塔屋を持つ外観をしており、玄関ロビーには東山魁夷、食堂には宮本三郎といった当代きっての有名画家が描いた壁画が飾られた建築史的にも美術史的にも重要だといわれた建物でした。
しかしホテルは文化財登録された翌年に営業停止。そのさらに翌年には倒産しました。
そして誰も立ち入ることがなくなったホテルは廃墟と化し、平成18(2006)年には「建物の管理は難しい」との理由から文化財の登録が抹消され、建物は解体されました。貴重とされた東山魁夷や宮本三郎の壁画も「あるべき場所に合わせて描かれた壁画だから、移設しても価値がない」とかいう理由で引き取り手もなく瓦礫と化したようです。
有名画家が描いた壁画なのに!?ホントに!?
…そのニュースを聞いた当時の、私の素直な感想です。
この時私は、「あれだけ建築的にも美術的にも貴重だと騒がれた建物なのに、文化財登録を抹消して解体するの!?」と大変な衝撃を受けたことを覚えています。
登録文化財制度とは、そのレベルなのです。文化財が登録されただけでは保護が及んでいるとは言い難いのです。本当に貴重なら都道府県なり、市町村なりが指定しなければ保護の手も十分に入らないのです。
だからメディアがそこを勘違いしている限り、日本の文化財保護の機運は低いままでしょう。
白雲楼ホテルの例を教訓にしなければなりません。貴重であれば「文化財の“登録”」で納得してはいけません。
もっと声を上げて「指定文化財」を目指しましょう!
参考文献:
『月刊文化財』文化庁文化財保護部監修;平成9年7月号