毎度、ご覧いただいてありがとうございます。
先日、文化審議会の文化財指定答申がありましたね。例外を除いて毎年、春と秋に行われます。
最近は皇居・三の丸尚蔵館の所蔵品が国宝・重要文化財に次々と指定されています。これは今まで、皇室が所蔵していた美術品については宮内庁がきっちりと管理しているので指定不要とされてきた「御物」といわれる品々を、価値を明確にして広く知ってもらおうという目的で始まった措置です。
これはインバウンドを意識しての文化財の観光資源化といった思惑がありますよね。だから反対の声も結構ありますが、私は歓迎しています。
三の丸尚蔵館もリニューアルしてオープンしましたので、いずれそれらも紹介したいと思います。
で、それらとは別に、最近は近代に入ってからの建築、土木構築物の指定が進んでいます。今回も金刀比羅宮本宮など、明治・大正・昭和に入ってから建てられた、今までは指定対象ではなかった神社仏閣が指定されるようになりました。
近現代の建物や土木構築物を文化財としてどう捉えるかの議論が深まり、評価が定まってきた結果です。
今回の指定答申物件には、東京都北区にある旧岩淵水門も入っていました。大正時代に建造された洪水対策の水門ですね。
実は10年ほど前に、この旧岩淵水門を訪ねたことがあります。何か別の用事で近くに来て、古い水門が保存されていると聞いて訪ねたのですが、「これはいずれ指定されるんじゃない?」と思ってしっかり写真を撮影していました。
新水門があるので既に現役ではありませんが、建造の時期や建造された理由から「いずれ指定されるんじゃないかな」と思ったものです。
この度、思惑通り指定されました。おめでとうございます
ここもいずれ再訪したいと思います。
ところで、私が毎月のように通っている、東京国立博物館(通称:トーハク)。
今回も展示品を紹介します。展示品の写真が溜まっていまして…
コチラでは寄託品も多く、所蔵しているはずの神社・寺院に行っても見られないものが多い理由として、現物はここにあるんかい!っていうものも、たいていはここにあります。
で、今回は仏像のいくつかをご紹介します。立派な仏像が多いんですよねぇ。
たとえばコチラの仏様。
一見して、平安時代のものだな、ってわかります。こんな古い仏像は京都・奈良以外では、なかなかお目にかかれません。
阿弥陀様です。浄土思想が広がった時期に、多く造られました、
丸顔、撫で肩なところから平安時代の仏像かな?と見ました。
目が玉眼じゃありません。よく見ると、瞳が墨で描かれているのがわかります。一木造か?と思われますよね。
しかし、サイズからいって一木造とは考えにくいです。
平安時代の寄木造でしょうね。
唇が厚く、丸顔なところが平安時代ですね。定朝様の雰囲気がありますね。
解説には「目鼻立ちが大振り」とも書かれていました。よく聞く表現ですが、こういった感じをいうのか、と参考になります。
上の写真のように、こうやって横や斜めからも観賞できるのが博物館のいい所です。
寺院に安置されていると厨子の中とか正面からのみのお参りなので、立体的に見られません。
左手の先がなくなっています。残念ですね。これだけだと、薬師如来像だった可能性もないのか?と思うのですが…
右手は人差し指と親指を付けた印を結んでいます。これは阿弥陀如来の印です。下品上生の印です。
衣文はあまり凹凸がなく、彫りが浅いです。翻波式といわれる表現がなされる時期のものではないですね。平安時代も後期に近いのでしょう。
実はこの仏像、像内に銘文が残っており、久安3(1147)年の造仏であることが分かっているそうです。
もともとは京都府・京丹波町にある長楽寺に伝来したもので、地元の有力者だった源貞包(みなもとのさだかね)夫妻が息災や安産の祈願に造像したもの、現在は文化庁が所有しているそうです。
穏やかなお顔をした優しい感じの仏像です。平安時代の仏像はこういう雰囲気を持っているところが好きです。
と、私が仏像を拝むときの見方はこんな感じです。詳しいことはほとんどわかりませんが、それで大体の造像時期が合っているので良しとしています。
今回はもう一体紹介します。大日如来です。
御本尊として安置されている大日如来はあまり見た覚えがありません。だから大日如来の実物は滅多にお目にかかったことないです。
ちょっとワクワクしました。
雰囲気的にはやっぱり、定朝様が流行した平安時代後期のものでしょうね。解説には11~12世紀のもの、とありました。
丸顔で、撫で肩です。体躯に比べて頭の比率がやや大きいことも特徴的です。
台座の蓮華座も花弁を三段に巡らす様式は定朝様式に見られるものではないでしょうか?
当時からのものと見ていいでしょう。
普通、如来は悟りを開いた者・仏陀ですから、身にまとうものは質素なのです。だから体に薄い布をまとっているだけ、装飾品は見に付けていないものなのです。
ちなみに菩薩は悟りを開くために修行している仏です。だから、観音菩薩や勢至菩薩は宝冠をかぶっていたり、手に水瓶を持っていたりします。もっと言えば弥勒は如来なのか、菩薩なのかといった議論がありますね。
釈迦が仏陀として悟りを開いてから年月が経ち、その教えが行き渡らなくなり世の中が荒廃した時に弥勒は悟りを開いて再び教えを説く、それは釈迦入滅から56億7千万年後だというお話ですね。末法思想というヤツです。
悟りを開く前の修行中なのが弥勒菩薩、悟りを開いた姿が弥勒如来です。一体、今の世の中はその56億7千万年経った時代なのかどうか、経っているなら弥勒が如来となって衆生を救いに来る、だから弥勒を崇めるのでしたね。
どちらの観点に立っているかによって、作られる仏像も「弥勒菩薩」像なのか「弥勒如来」像なのか変わってきます。
もっというと、仏陀は釈迦だけなのか、それとも釈迦以前・以後にも仏陀はいたのか、なんて話もあります。長くなるのでこの辺でやめときます。
大日如来は他の仏像と違って、密教における最高神(仏)ですから、如来なのに宝冠をかぶっているとか、左肩から薄い布を掛ける服装とか、装飾品を付けているなどの特徴があります。頭上の肉髻も著しく高いです。
森羅万象をつかさどる神(仏)ですから、仏の王様です。だから王族の姿に表現されるのだそうです。
大日如来は結んでいる印で二種類あります。これは密教の思想の宇宙観から来ていて、いわゆる金剛界と胎蔵界があって、それぞれの中心には最高仏、金剛界と胎蔵界の大日如来がいるとされるわけです。
金剛界の大日如来は智拳印を、胎蔵界の大日如来は禅定印を結んでいます。この像は智拳印を結んでいるから金剛界の大日如来です。
全体的に丸みを帯びた体躯は、よく肉感的と表現されます。平安時代後期の仏像の特徴です。
先の文化庁所有の阿弥陀如来も肉感的でした。
コチラの大日如来は、丸みを帯びたとはいえ肉が薄い感じで、スリムです。腕も細い。
こんなにお痩せになって、ちょっと痛々しさすら感じてしまいます。
お顔を横から眺めると、九州は大分県の「臼杵の摩崖石仏」に似ていませんか?やっぱり時期的に同じ様式なのです。
当時、流行した表現なのですね。
今回はここまでにしたいと思います。
しかし、トーハクには他にもいっぱい仏像が所蔵されています。
私は仏像に詳しいわけではありません。上に書いた「如来と菩薩の違い」も、私の認識を書いただけでして、間違いがあったらごめんなさい。間違いはご指摘ください。
ただ、「勉強不足なりに、こんな見方をしています。」というところを紹介して、仏像を見るときはそんなに難しく考えなくていい、「ああ、仏像ってそんなふうに見ればいいんだ」と思ってもらえればいいと思います。
だから、その他の仏像もまた別途に紹介したいと思います。