毎度、ご覧いただいてありがとうございます。
改めて申しますが、私は”文化財”というものに興味があります。日本の歴史の流れで生まれた様々な芸術・文化、自然の造形を特徴的に見られる点がおもしろくて、小学生の時からずっと、国指定文化財を追いかけています。
埼玉県を拠点に(住所ですから、まあ当然ですが)、現在は仕事もあるので日帰りで行ける範囲のものから、重要文化財(国宝含む)、民俗文化財、伝統的建造物群保存地区、史跡、名勝、天然記念物、最近は文化的景観も含めて訪ね歩いています。
死ぬまでにすべての国指定文化財を見るのが目標ですが、新指定のものは増えていくし、遠くのものはなかなか訪ねることができないこともあって達成は難しそうです。
そんな私が「ここには文化財が集まっているからマメに押さえておかなくては!」と、毎月のように通うようになった場所が東京は上野にあります、東京国立博物館。
なんせ、日本の国宝指定の文化財のうちの8%ほどに当たる89件の美術品がここにあるのです。東京国立博物館があるから、東京都は全47都道府県でも国宝の所在件数が全国一なのです。国宝だけに限らず、重要文化財指定の所蔵品数もおそらく日本一なのではないでしょうか。
だから文化財マニアなら押さえるべき場所なのです。
ここの所蔵品は以前にも紹介しているのですが、それも既に4年も前になります。その後見た、いくつかの文化財をまた紹介します。現在、展示しているわけではありませんので、悪しからず。
また前置きが長くなるのですが、東京国立博物館では今、特別展「法然と極楽浄土」が開催されています。その冒頭の展示に恵心僧都源信が著した「往生要集」の原本(国宝、京都・青蓮院蔵)がありました。
で、法然も影響を受けたというこの往生要集、どんな内容なのかな?と思って現代語訳の本を買って読んでみました。まだ冒頭だけなんですけどね。
その流れで、今回は国宝の「地獄草子」と「餓鬼草子」を紹介します。
で、往生要集の話なんですが、この本は今風に言うと、「地獄や極楽のガイドブック」なんですかね?延々と「ある経典によれば、こんな悪さするとこんな地獄に落ちるよ。」とか、「極楽はこんなところらしい。」と書かれているのですね。で、「だから極楽に行くためには仏の名を唱えて品行方正にしていなきゃいけないんだよ。」的なことが書かれているようです。この部分が思想として発展し、「仏の名を唱える ⇒ 声明念仏を唱える」となって法然による「浄土宗」の開宗に繋がるんですね。
(まあ、この部分を強烈に批判して日蓮が「日蓮宗」を立ち上げるわけで、その批判をして日蓮が執筆したのが「立正安国論」という流れなんですね。なぜここでこんなことを書くかというと、最近訪ねた特別展「本阿弥光悦の宇宙」で光悦が日蓮宗に帰依して立正安国論を書写していた、ということや静岡県の日蓮正宗 大石寺を訪ねた関係で「立正安国論」も読んでみたからで、日本史をきちんと勉強すると面白いですね。)
それで、この往生要集を基に、地獄や餓鬼道といわれる、いわゆる「六道」を絵解きしたものが今回紹介する「地獄草子」や「餓鬼草子」といった「六道絵」といわれるものなんですね。
日本史って、あちこちで繋がっているんですね。価値ある美術品といわれるものを見られたってだけで喜んでいてはいけないですね。
前置きがだいぶ長くなりましたが、まずは地獄草子から見てみましょう。
平安時代も末期、往生要集の影響を受けて六道絵というものが作られるようになったのですね。地獄草子と餓鬼草子はいずれも、後白河法皇周辺で製作され、京都の蓮華王院(三十三間堂)に納められたものと考えられているものです。
往生要集によれば地獄は六道の最下層にあります。地獄は8種類あり、各地獄には4つの門があってその先に4ヶ所ずつ特別な地獄(これを別所としている)がある、すなわち16ヶ所の別所があるのです。悪罪を重ねた人は死ぬと生前の罪業によって各地獄に送られるんです。
大体は強欲や窃盗、邪淫に耽った人が地獄に落ち、その中でも特に酒におぼれたとか、他人に酒を飲ませてその様子を嘲ったやつは別所に落ちる、ということです。
それで今回展示されていたのは、… ハッキリ言ってどの地獄かわかりません。展示解説にも詳しく書かれていませんでした。詞書きに地獄の説明がされているのですが、古文は読めませんし。
往生要集と照らし合わせ、やっとどんな地獄なのかわかりました。まずはコチラの地獄。
これは叫喚地獄の別所「髪火流(はっかる)」という地獄の様子でした。
そもそも叫喚地獄は強盗や窃盗、邪淫に耽った人が落ちる地獄で、その中で五戒を守って生活している人に酒を飲ませた人は髪火流へ送られるのです。
罪人はここへ落ちると、熱く焼けた鉄の歯を持った犬に足を噛み切られ、脳髄を飲もうとする鉄のくちばしを持った鷲に襲われ頭蓋骨に穴を開けられてついばまれる地獄です。その様子が絵で紹介されているんですね。
うわーっ、描写が意外とリアルで、博物館で見た時はちょっと滑稽な絵で笑っちゃったくらいでしたが、いろいろ調べてみると壮絶な地獄ですね。自分が落ちたところを想像したらとても恐ろしいですね。
そうやってこの絵を見るとなかなか壮絶な状況じゃありませんか。地獄が本気で怖く感じられました。
その次の絵はコチラ。
同じく叫喚地獄の別所、火末虫の様子です。叫喚地獄に落ちた罪人の中で、特に酒を水増しして売りつけていた人が落ちる地獄だとか。
初見では「なんか血だらけで、壮絶な地獄だな~。」とは思っていましたが、往生要集では、この地獄はこの世のあらゆる病気(当時の病気の認識は風・火・水・土病にそれぞれ101種類の病気があるとされ、全部で404病となる。それらすべてということ)にかかる地獄で、そのうちの一つは一昼夜で全世界に猛威を振るい、多くの者を死に至らしめるし、また別の病気は体から虫が這い出し、皮膚といわず肉といわず、骨や髄まで喰い破る、とまで書かれていました。
詞書では虫が皮膚を喰い破ることがさらっと書かれているだけのようです。とはいえ壮絶な場面ですよねぇ。実際に寄生虫では皮膚を喰い破って外へ出てくるやつもいるわけで、それを考えたらこの絵は恐怖ですねぇ…
続いては…
叫喚地獄の「雲火霧」という別所です。叫喚地獄に落ちた罪人で、他人に酒を勧めて泥酔させ、その様子を嘲笑った人が落ちる地獄で、罪人は獄卒によって空まで届くばかりの業火の中に追い込まれ、爪先から一気に燃え溶かされるけれど体は甦らされて再び業火に追い込まれ、これが数十万年もの長い期間にわたり繰り返される地獄だそうです。
紙幅いっぱいに描かれることで天まで届きそうな様子が伝わってくる炎が凄まじいです。その隅に獄卒に追い込まれる罪人が申しわけ程度に描かれている様子はなんか可愛らしく思えて滑稽でしたが、内容を理解するとこれは恐ろしい。やっぱり地獄がリアルに感じられました。
今回の最後の場面はコチラ。
これは「雨炎火石」という地獄です。叫喚地獄の16の別所のひとつですね。ここは叫喚地獄に落ちた罪人のうち、旅人に酒を飲ませ酔わせて財産を奪った者や、象に酒を飲ませて暴れさせ、多くの人々を殺した者などが落ちる地獄ですね。
…そんな人いるのでしょうか。まあ、仏教がインド発祥なので象に酒を飲ませるヤツくらいいたのかもしれません。
ここでは、赤く焼けて炎を発する石が雨となって降り注ぎ罪人たちを撃ち殺します。また、熱沸河という河が流れていて、この河は熱せられた赤銅と白錫(ハンダ)と血が混ざって流れており、罪人はこの河で身を焼かれます。
…ああ、なるほど。焼けた石に打たれて血を吐く人と、熱沸河で身を焼かれる人が描かれているのですね。罪人の描写はコミカルで可愛らしく感じてしまいますが、焼け石の雨と溶けた銅の川… ゾッとします。
地獄草子を見た後は、餓鬼草子を見てみましょう。
こちらは六道の一つ、餓鬼道について描かれた絵巻物でした。国立博物館にあるものは岡山県にある河本家に伝わった「河本家本」といわれるものだそうです。
詞書が失われているのが残念です。なのでどのような場面なのか照らし合わせるのは結構大変ですが、やはり往生要集から調べてみました。
まずは展示されている巻の冒頭です。
描かれている人々は、服装から貴族のようです。手に楽器を取っていたり、盛りつけられた料理を楽しんでいる様子から宴席の場面のようです。
さらに場面が変わり、女性が着替えている部屋の前で僧侶が座っています。この僧侶、ニタニタとスケベそうに笑っていますが、女性の着替えを覗いているわけではなさそうです。
もっと場面を先に進んでみると、うずくまった女性の周りを数人の女性が囲んで、うずくまった女性を介抱しているように見えます。
あ、これは出産の場面なんですね。もしかして、出産のお祝いの宴席と出産の無事を祈祷している僧侶なんですね。覗きをしているんじゃないか、なんて言ってごめんなさい、お坊さん。
うずくまった女性の傍らに助産師のような老婆も描かれていますものね。
ただ、この餓鬼草子は詞書が失われて巻子が切り詰められている場面もあるそうなので、宴席と出産の場面は別々なのかもしれません。
で、その出産のシーンで、恐ろしく痩せ細った鬼のようなものが描かれていますね。これが「餓鬼」なんですね。
生まれる赤ん坊を狙っているのでしょうか。
伺嬰児便(しえいじべん)という餓鬼は、生まれたばかりの赤ん坊しか食べられないのだそうです。生前に自分が生んだ赤ん坊を殺された女が、来世で夜叉となって他人の子を殺し復讐しようとするとこの餓鬼に転生するとされています。
また、邪悪な呪術で病人をたぶらかした人は死後に等活地獄に落ち、その苦しみを抜けてから転生すると食小児という餓鬼になるそうです(以上はWikipediaから)。
恐ろしいことに、これらの餓鬼は生まれたばかりの赤ん坊しか食べられないのです。おそらくこれでしょう。
さらに場面は転じます。路傍に数人の人が座り込んで、その周りに餓鬼が集っていますね。
何をしているのでしょう?
ああ、写真の真ん中を見てください。尼さんのような恰好をした人がう○こしていませんか?
よく見ると、真っ裸の男や口元を隠した女もお尻から何か出ています。
昔の絵ですから、今みたいに「表現の倫理」みたいな規制はありませんからね。リアルですね。ほほえましいですよ。
これでわかりました。餓鬼には、人の排泄物しか食べられないやつがいるそうです。その場面ですね。
「死んで餓鬼道に落ちると、こうなるかもしれないの?うわ、悪いことはやめよう。」となりますね。
さらに場面は移ります。
背後に卒塔婆が立っている塚が書かれていますね。ここにもいろいろな餓鬼が描かれていそうです。
だって、死人の臓物しか食べられない餓鬼とか、ありそうじゃありませんか。
と考えながら往生要集をめくると、やっぱりありました。祭壇に立ちのぼるお香の匂いしか食べられない餓鬼や、人が死者を弔うときの供物だけしか食べられない餓鬼、墓場に来て火葬された死骸のみ食べる餓鬼、火葬の灰だけしか食べられない餓鬼などです。
いやですね~。
その続きには墓地の水溜りの水を啜る餓鬼が描かれています。墓地の水溜りの水とは限りませんが、わずかな水しか啜れない餓鬼がいるそうです。そういうシーンでしょうか。
そして、餓鬼道の獄卒に全身を打ちひしがれる餓鬼ですね。ひたすら獄卒に火のついた鉄の棒で打ちひしがれる、火に焼けた鉄棒を飲まされるなどの苦しみを受け続けさせられます。
これで展示されていた場面の紹介はすべて終了ですが、往生要集はこういった六道について書かれた経典『正法念処経』などの解説書になっているんです。
だから、往生要集も省略部分があるし、私が読んだ現代語訳本はページ数の関係からさらに省略があって、すべての場面について書かれてはいませんでした。なのでWikipediaも参考にさせてもらいました。
というわけで、地獄草子も餓鬼草子も文章で書かれた経典の内容を絵解きしているわけで、現代の漫画にも通じる表現が見受けられます。調べてみてとてもおもしろかったです。
さらに言えば、餓鬼草子は当時の人々の生活習慣や文化も描かれているんです。路傍での排泄なんて、野糞でしょ?路傍で人が見ているところで、平気で排泄していたんですかね。今では考えられません。
他にも、墓地に建つ卒塔婆の様子とかも重要な情報なんです。以前、福島県の如法寺を訪ねた際に見た石製卒塔婆と、餓鬼草子に描かれた墓地の卒塔婆の共通点についてこのブログでも紹介しました。
ほら、ここでも繋がっているでしょう?やっぱり、学生のとき真面目に歴史の授業を聞いておけばよかったと思います。
いやぁ、それにしても文化財巡りはおもしろいですね。また次回に。
参考文献:『往生要集』 全現代語訳、源信 著、川崎庸之・秋山 虔・土田直鎮 訳、講談社学術文庫(2018)
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地獄草子(昭和31年6月 国宝 東京国立博物館 蔵)
餓鬼草子(昭和27年3月 国宝 東京国立博物館 蔵)
「六道絵」は平安時代の早い時期から描かれていました。地獄道や餓鬼道の恐ろしさを視覚的に伝え、仏教への帰依を促すことが目的でした。人が死ぬと地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道を輪廻するという「六道輪廻」の考え方は平安時代中期に恵心僧都源信が著した『往生要集』によって広まりました。
東京国立博物館に所蔵されている『地獄草子』は、かつて岡山県の安住院という寺院に伝わったもので、「安住院本」と呼ばれます。絵巻に描かれているのは「正法念処経」に基づく叫喚地獄の別所4ヶ所の様子です。
また『餓鬼草子』は餓鬼道の様子を描いたものでやはり岡山県にあった河本家に伝わったもので、「河本家本」と呼ばれます。
いずれも地獄や餓鬼道の様子を迫真の筆致で描いており、平安末期に後白河法皇の周辺で製作され、蓮華王院に納められたという六道絵と同一のものと見られています。