今回もご覧いただき、ありがとうございます。
更新が滞りがちでして…。
ブログの更新より、見に行く方が優先されてしまいまして。すいません。
ところで、…。
関東の東部には、古代から鎮座する大きな神社が三社、あります。
そのうちの一社は以前紹介した、鹿島神宮。
そして、茨城県神栖市に鎮座する、息栖神社。
それに今回紹介する、香取神宮。
香取神宮は街並みが有名な香取市佐原地区の南東部に位置しています。創建は古代に遡り、古くから信仰を集めています。
関東地方を中心に各地に点在する「香取神社」の総本社として参拝者が絶えません。
御利益も期待できそうじゃありませんか。そんなわけで訪ねてみました。
駐車場に車を停めて歩きはじめました。参道の両側には参拝者向けの茶屋や土産物屋が建ち並んでいます。さすが、古くからの大きなお社ですね。
鳥居が見えてきました。雰囲気が一変します。ここは二の鳥居にあたります。
賑やかだった参道は急に薄暗くなり、静寂に包まれます。
広大な社叢に囲まれています。
古代より神聖な土地として木の伐採が禁止されていたのでしょう、原生林のようです。
天を突くような巨木が林立しています。
しばらく社叢の中を歩いていくと、やがて参道は直角に左へ曲がり、朱塗りが眩しい楼門が見えてきました、
参道と拝殿・本殿が正対していない神社は珍しいです。
詳しいことは調べていませんが、例えば
「神様と相対するのは失礼だ!」
とかの理由で参道を直角に曲げたとか、なんか謂れがあるんでしょうね。
元禄13(1700)年、幕府の命によって本殿と共に建立されたものとのこと。桃山時代の様式と慶長期の特徴を備えているとして重要文化財に指定されました。
鹿島神宮の楼門と時代的にも近いので、とてもよく似ています。
楼門を過ぎると拝殿があります。極彩色の派手な装飾が目につきますが、こちらは昭和15(1940)年に行われた大改修時に建てられたものだそうで、細部が江戸時代のものとは大きく違っているのが目につきます。
お参りだけ済ませて、拝殿はスルーし(それでも拝殿は登録文化財になっているんだそう)、本殿へ回ってみました。
権現造の本殿はどこからが昭和の建築かわからないのですが、巧みに幣殿を介して拝殿と繋がっています。
本殿単体で見ると、屋根が建物の前後(平入の方向)に葺き降ろされた、いわゆる流造の建築になります。
妻側を見ると垂木や懸魚には金箔をあしらい、極彩色の装飾もあってとっても豪奢です。
社殿の壁だって、黒漆で壁や柱を塗って地味かと思ったら、コントラストがとても絶妙で豪華さを際立たせているじゃありませんか。
複雑な組物や虹梁などの大きな建材も目立ちます。
とはいうものの、江戸時代に入ると徳川幕府は各地の主要な神社の造営を命じていますが、神様は派手なものを好むとされたのか極彩色や金銀で彩られ、朱や黒の漆で仕上げた社殿建築を多く造営しています。鹿島神宮などでもそうでした。
その意味では、似通った建物が多いんですよねぇ。
有力な神社にはこの時期に建て替えられた社殿が多く残されていますが、そのせいでどこかで見たことがあるような印象を与えてしまうんですよねぇ。
古い建物としては保存が必要なのはわかりますが。
ところで、昭和15年の大改修で拝殿は新しく建てられたのですが、旧拝殿は取り壊してしまったんでしょうか…
と気になりませんか?
なんと、香取神宮では境内の一角に移築されて、「祈祷殿」として残っているのです。
こちらは千葉県指定の文化財に指定されています。
本殿の極彩色に比べて、朱漆での仕上げで実に質素で地味、ではありませんか?
なんか意外。バランスとして合わないような気がするんですけど、これが旧拝殿なのですねぇ…。
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香取神宮本殿(昭和52年6月 重要文化財 千葉県香取市香取)
香取神宮楼門(昭和58年12月 重要文化財 千葉県香取市香取)
香取神宮は、蔵造りの街並みで有名な佐原の街並みの南東に位置します。祭神は『古事記』における出雲の国譲り神話において武甕槌神とともに出雲に赴いた経津主神です。そのような経緯から、古代から武神として信仰を集めてきました。中世には下総国一宮となり、江戸時代には徳川幕府の庇護を得ました。
本殿は、古くには伊勢神宮などと同様の式年遷宮制度がありましたが戦国時代に廃れ、現在の本殿は、元禄13(1700)年に幕府によって造営されました。正面柱間が三間の三間社流造で、黒漆塗。屋根は檜皮葺であり巨大で重厚な構えを見せる社殿です。また、蟇股や虹梁・組み物には極彩色の装飾が施され、桃山様式の手法を取り入れています。
楼門は、本殿と同じ元禄13年の造営で3間1戸、屋根は現在でこそ入母屋造銅板葺ですがもとは栩(とち)葺でした。緑の社叢に囲まれた中で、楼門の鮮やかな朱塗りと社殿の黒は周りから浮くほどのコントラストを見せています。