<新潟県>~おっさん3人冬の旅・2日目①(乙宝寺) | 花咲く旅路

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2016年新春の新潟紀行、2日目は「村上」から「新潟」方面へ向かい、

 

「新潟」で夕食、Iさんの家に宿泊予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大観荘 せなみの湯」を10時過ぎにチェックアウトして出発。

 

この日はレンタカーでの移動です。

 

天気は前日よりも悪く、雨が降っていました。

 

 

 

 

 

 

 

国道7号線を往きます。            国道沿いには「JR羽越本線」が走ります。

 

 

 

朝食からお酒飲んだので、運転は先輩ですてへぺろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       いいですね~この田舎っぷり。

「荒川」を渡る。               全然車走ってへんで。

 

 

 

前日は私は別行動で村上観光してたので、実質この日から3人での観光です。

 

んー、天気が悪くて残念です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「村上市」から「胎内市」に入り、国道を逸れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルを出て1時間弱で、この日の最初の観光スポット、

乙宝寺     に到着しました。

 

 

新潟県屈指の古刹で、736年、「聖武天皇」の勅命により、

インド僧「婆羅門僧正」と「行基」が、北陸一帯の安穏を祈って建てた勅願寺です。
「婆羅門僧正」は名を「菩提僊那」と言いインドより渡来した高僧で、

その際に「釈迦」の両眼の舎利を請来しました。

右眼の舎利は日本へ渡来する前に、中国へ渡り寺を建ててそれを納め供養しました。

そして日本へ渡来し、「聖武天皇」の勅願を受けて建てたこの寺に、

左眼の舎利を納めて供養をしました。
「釈迦」の両眼の舎利を2ヵ寺、甲と乙に分けて供養したことから、中国のお寺は「甲寺」、

こちらのお寺は「乙寺」と名付けられました。

その「乙寺」が現在の「乙宝寺」になります。
1155年~1158年の「後白河天皇」の時代、「後白河院」より、

舎利を奉安する金の宝塔を賜り、併せて「宝」の一文字を与えられ、

「乙宝寺」と名前を変えて現在に至っています。
室町時代後期には、「上杉氏」が寺領300石を寄進し保護の手を加え、

近世初期には、村上城主「村上義明」の帰依を厚く受けました。

は塔頭寺院が数多くあり、明治時代以降はそれぞれの寺院が独立し、

平成になってからでも残っている元塔頭寺院には、

「地福院」、「宝常院」、「和光院」があります。

 

 

 

 

 

 

 

雨が降り続いています。            池に、    金比羅堂

 

 

 

 

 

弁天堂

 

1668年再建の、大日堂境内の池中の小島に建てられたお堂。
外観は、縦行3間、梁間2間、4柱造りで屋根は茅葺、

堂内にある厨子は、小規模ですがいずれも極彩色で施してあります。
堂内三方の壁板には、豊かな色彩で竹林が描かれた跡があり、

桃山時代の特色を失わない江戸初期の作品と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

仁王門


 

 

 

 

1745年に改修。

奈良時代創建の「金堂」の古材が使用されています。

「仁王像」は「行基」の作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大日堂(金堂)」に向かって参道を往きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大日堂(金堂)

 

「乙宝寺」の中心堂宇。

1745年に再建された「旧大日堂」は1937年(昭和12年)に焼失。

現在のお堂はその再建で、1983年(昭和58年)に竣工しました。

「大日如来」、「阿弥陀如来」、「薬師如来」の三尊が、本尊として祀られています。

 

 

 

 

「大日堂」前には、     釈迦如来座像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三重塔

 

 

 

 

村上城主「村上忠勝」により寄進されたもので、1620年に竣工、

棟梁は京都出身の「小島近江守藤原吉正」が手掛けています。

純和様式の建築で、柿葺きの線が美しい。

塔内安置仏は「普賢菩薩」です。

三間塔婆、宝形屋根、こけら葺、高さ24.2m。

国指定重要文化財です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六角堂             地蔵堂

 

 

「六角堂」

1744年~1748年の「延享年間」に造営された建物で、

木造平屋建て、銅板葺、平面六角形、外壁は朱塗り、花頭窓付。

本尊は「釈迦如来」。

「仏舎利塔(五重塔)」の跡地に建立された事から、地下には心礎が残されています。

 

「地蔵堂」

1744年と、1919年(大正8年)に改修された記録が残ります。

木造平屋建、宝形造、銅板葺、桁行3間、張間3間、木部朱塗。

内部には本尊である「地蔵菩薩(千体地蔵尊)」が安置され、

三途の川を渡れない子供の霊を地蔵菩薩が救うという信仰から、

水子の塔婆が奉納されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

観音堂

 

 

木造平屋建て、宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、

外壁は真壁造り木部朱塗、内部には本尊となる「如意輪観世音菩薩」を安置しています。

越後三十三観音霊場第二十六番札所。

 

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼              手水舎

 

 

「鐘楼」

入母屋、桟瓦葺、平入、上層部桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り木部朱塗り、高欄付き。

意匠的な組物が採用されており格式が感じられます。

 

「手水舎」

このあたりは「弘法大師」が独鈷杵で突いて湧き出したと言われる清水、

「独鈷水」が湧き出ていた場所。
 

 

 

 

 

 

 

方丈殿             オオバガシ

 

 

「方丈殿」

1893年(明治26年)に焼失した「方丈殿」の復元で、1995年(平成7年)に竣工。

本尊は「不動明王」。

古式の工法により中世の純和様式に拘って建立されました。

「大日堂」が祈願の道場であるのに対し、

「方丈殿」は滅罪或いは自分の心を見つめる真言密教専一の道場になります。

 

「オオバガシ」

樹齢推定400年。

「弘法大師」が「乙宝寺」に立ち寄り、食事をとった時に使った箸を地面に挿したところ

根付いたとの伝説があり”弘法大師お箸の木”と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本坊」に至る、   惣門

 

 

 

 

本坊              客寮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松尾芭蕉句碑          その他、いろいろな句碑が建ちます。

 

 

「松尾芭蕉句碑」

1689年7月1日、「松尾芭蕉」は「奥の細道」で「乙宝寺」を参拝しました。
当時より桜の名所となっていたようで、

”うらやまし 浮世の北の 山桜”と詠んでいます。
また、この句碑のあるところを「浮世塚」と呼んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

村上氏之墓           いろいろな石碑が建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

宝篋印塔

 

 

 

 

 

 

 

 

稲荷社             三宝荒神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大日堂」裏には、    西国三十三観音巡り     が配されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血の池

 

 

 

 

古くは子供の遺体を船に乗せてこの池で葬った場所だそうです。
その際、子供の髪を切り墓に埋めると3日間池が赤く染まったことから、

「血の池」と呼ばれるようになりました。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

八所神社

 

 

創建は807年。

当初は「砂山」に鎮座していましたが、川で流され多くの人達が集まる市場のような所に

流れ着いた事から「市川神社」と名付けられ、44カ村の産土神(総鎮守)になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の中、「乙宝寺」を40分ほど拝観しました。

 

雨でしたが、初詣らしき参拝客もおられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)