阪神大震災のころの議論と現在の議論…
ほとんど進歩していないどころか、むしろ、劣化さえしている。
つまり、「起こるべくして起こった」のであり、
「人災」であり、
「政治の害」なのである。
そして、「民主主義国」において「政治の害」とは「国民の害」である。
つまり、空港の事故も含めて、これらは「自業自得」の類いに他ならない。
これらの「災害」は「神の啓示」でもある。
結局、その「読み解き」をしないから「黄泉とき」になるのだ。
わすれないうちに、動画紹介を先にしておこう。
⇒ 【ぼくらの国会・第657回】「能登半島 備えも初動も間違った」
これは、ついで…でも、重要…
⇒ 【介護福祉士の本音】高齢者の皆さん介護施設入居は地獄です
(教育などでも同じようなことがありますね~)
(介護の水準が上がっていかない仕組みがある)
(みんなが「みたくない」ので語られない。向き合わない。)
さて、「政治がわるい」「制度がわるい」…昔から、そう言われるが…
で?…国民は、それに対して何をしてきた?
何もしないどころか、世直しの邪魔をする…
「事実の共有」をマスコミも国民も邪魔をする。
頑張っている人を攻撃して、潰してしまう。
「3・11」でも津波についての警告はあったのに無視された。
今回の能登大地震とおなじである。
さらに、阪神のときは、村山富市が何もやっていなかったと非難されたし、
地方自治体の首長が、部下から連絡が来るまで自宅にいたと非難された。
それも、今回、繰り返されている。
「都市伝説」で「江戸の大火」が実は陰謀だったという説があるとされ、
当時、ごちゃごちゃだった江戸の町が大火で一気に「区画整理」された。
焼死者10万人を出したその後に、江戸は世界一栄える都市となった…
(--) 戦争も大災害も、こういうことで、
わざとやられている可能性が大なのだ。
阪神大震災当時の議論のなかで、こんなやりとりがあった…
小林よしのり オウムの村井秀夫とか青山吉伸とか、
ちゃんと知識のあるひとたちのはずなのに、ハルマゲドンが来るとか、
毒ガス攻撃を受けているとか容易に信じてしまっている。
信仰とか宗教にかかると、知識がまったく意味をなさなくなるのでしょうか?
橋爪大三郎 それは「宗教の問題」ではないと、わたしは思うのです。
ここ十年か二十年の傾向だと思いますが、
人間の知っていることが全部、情報に置き換わっているんです。
知識とは、自分が調べてそうだとわかったということですが、
それが非常に少ない。
…
情報の本質とは伝言ゲームですから、出所がハッキリしないし、ガセも多い。
情報以外に
自分が知識を生み出しているとか、確かめる方法を持っているとか
そういうものがあれば、惑わされないのです。
…
情報だけだったら、自分に何の反応ももたらさない。
自分でからだを動かすことがないと、人生を支配できないでしょう?
…
…
小林よしのり 阪神大震災からサリン事件、今回のオウムの事件にかけて、
日本国民全員の意識みたいなものが、どこかでバラバラに変貌しつつある、
そんな不安を非常に覚えるんですよ。
『ゴーマニズム宣言』には、以前からよく手紙がきていたんだけれども、
去年までのいろいろな話題に対してはだいたいふたつかみっつの系統の意見が、
バラバラにやってきて、論争を始めるみたいなことが多かったのですが、
オウム以降は、そういう方面にものすごく興味にある人たちが入ってきた。
それをみると、どいつもこいつもくるってる、という感じで…。
橋爪大三郎 私の子どものころは、日本は貧しかったから、
子どもの数が多く、「こどもべや」という個室が与えられなかった。
だから、メディアは家族向けのものだった。
それが個室向けとなって、モラルの水準が下がった。
個人が、家族のモラルから離れているのです。
そうして、「売れればいい」という環境が出来上がって、
スキャンダルに走っていくようになる。
また、一方、ヘアヌードだとかの極端になるほど「商品価値」が出る。
それで、「商品としては売れる」から、現実離れしたイメージが拡大していく。
そこで起きるのが、現実と情報の取り違えです。
情報の中では、非現実的なものほど大きく扱われるので、
メディアの情報空間そのものが非現実化していく。
すると、ついに
メディアの常識に合わせて現実を生きようとする逆転が生じる。
対人関係もそうなる。
メディアの伝えるものはフィクションなのに、それが現実生活を逆に規定する。
実際の生活は、それとは別だとは簡単には言えなくなっていく。
そうして、人のモラルは守れなくなる。
(--)b LGBTだの同性婚だのジェンダーだのが、まさにこれだ。
小林よしのり 「常識人」などと評されるのは、ギャグ漫画化としては本来、不本意。
でも、ぶっ壊すはずの常識が、すでにぶっ壊れているがゆえに、
まずその「常識」を再構築しないと、ギャグもできない。
それで、その「常識の建て直し」をしたら「過激な常識人」と評される。
なんと倒錯した世の中の状況なのか!
橋爪大三郎 私も似たようなもので、学生のころは「反体制」だった。
ところが、その「体制」自体が、じつはかなりいい加減なもので、
そんなモノがかつて、いちども成立したことなんかなかったのです。
むしろ、体制をもっとマトモにしないと「反体制」もできないじゃないか!
それですっかり「反体制」が「体制」化してしまっているのです。
(--)b そもそもGHQ憲法が「反体制」を「体制」に組み込んでいた!!
日本の先行きについて、まず悲観的なことを言いますと…
モーゼに率いられてシナイ半島まで逃れてきたユダヤ人たちは、
そこで40年間、うろちょろしてから、ようやくパレスチナへ向かったのです。
これは、エジプトで長らく続いた奴隷生活で、まっすぎ歩けなくなっていたからだと。
精神がねじ曲がってしまっていて、世代交代を待つ必要があった。
教育に失敗すると、社会は30年は空転するということです。
でも、日本人はまだ、その教育の失敗に気づいていない。
下手すれば80年空転しますね。シナイ半島なら飢え死にです。
そうならないためには…
まず、うまく情報を遮断する。
うまくはずして「自分の時間」(自分の思考)をつくる。
自分の世界に没頭するだけだと「オタッキー」になるので、
そこも、すこし外して、自分の凡庸さに、もうすこし「耐える」ようにする。
公共良識というものに、もっと関わり、
メディアが扱わないような人にこそアクセスしていく。
映像というのは、概念やストーリーは、わりと伝えられるけれども、
人間を描くことは不得手なのです。
(--)b だから、「ことば」が必要。
また、映像で人物を判断するのも間違いのもとだ。
そして、所詮、映像の中には、真実などない。
映像とは、解釈であり、ある意味、ウソそのものである。
その「ウソ」は、現実を乗り越え、超越していくためのものであるから、
現実や真実を押さえないままでは、
まったく何の役にも立たないどころか、有害でしかない。
【今日の結論】ユーチューブをみているだけでは、何も変わらない。
【補足の議論】
このところ、チャットAIがらみで、「ルール」を新聞が語っているが、
所詮、「著作権」だの「肖像権」だのである。
結局、「カネのため」…薄汚い議論である。
そういう議論が必要であることは認めるが、もっと重要なのは…
「情報の非対称性」(=情報による他者支配)の問題であろう。
道路交通法規のような法と仕組みが必要である。
「著作権」だの「肖像権」だのは、交通事故時の責任配分をどうするかみたいな話だ。
もっと大事なのは、交通の安全と交通の円滑化、弱者の保護と対強者教育だ。
言いなおせば、情報安全・報道安全、そして、発信受信の円滑化となるだろう。