ウチのまわりは、ワクチンを打ったが、みなピンピンしている。
わたしは基本、「自分が見たもの体験したもの」しか信じない。
…ので…
いわゆる「反わく」のテンションにはなれないのである。
原口一博さんだって…「死のロット」を打たれて「ターボ癌」になったものの…
ちゃんと回復されているではないか?
直近の「電磁波問題」についての紹介動画にもあったように…
その「わるい作用」のあらわれかたには、個人差があり、環境差があるのだ。
だれかが「死んだ」、「不調になった」として、その原因はひとつではなく…
死因、病因の特定は、専門家でさえしばしば読み間違えるものなのである。
どうして専門家でもない一般凡俗のブロガーに真実などわかるものだろう?
マジで陰謀論を吹聴するホンマモンのデマブロガーたち…
彼らとサタニストには、共通点も存在する。
そうしたことについて、きょうは、すこしだけ「深堀」しておこう。
はじめに…
デマに踊らせられないための基本中の基本…
これは以前にも記事に書いたことだが、パヨクどもにはスルーされている…
伝聞情報は証拠にならない…
デマブロガーは、証拠にならない情報に基づいてモノを考え、書いている。
なので…
わたしなんぞは、ときどき自分の認識をリセットする…
「自分はこのように考えてきたが、ほんとうにそうなのか?」と自問自答する。
そのときに徹底的に伝聞情報をカットするのである。
そうやって、どうしても残ってくるものが確度の高いものであり…
すると、たくさん(証拠不足で)「不確定なもの」も残ってくるのである。
つまり…
「確度の高いものを選び抜く」作業は同時に…
「なにがよくわかっていないのか」の領域をかぎりなく広げる作業になる。
だから、すぐに「(わかりやすい)答え」を欲しがる一般ポン俗には「届きにくい」
しかし、メルマガとかやっていると…
これは、カルトの教祖とおなじような状況に陥っていきやすい。
読者や信者を繋ぎとめるために彼らはなにをするのか?
① 最初に「踏み絵」を踏ませる
② 演繹法ですべての思考を展開する
③ 「敵」をつくり、その打倒へと信者を誘導する。
だから、たとえばだね…
最初に「信じるか、信じないか」を問うてきて「選ばせる」…
「あなたは、神様を信じるのか、信じないのか」…のように…
もちろん、直後には…
「信じる者は救われ、信じない者は救われない」と…繋いでいくのである。
いや…そもそも…
「神様とは、なんぞや?」とか、「信じるとは、。どういうことか?」は問わない。
そこを議論させないのが、彼らカルトの手口なのである。
カルトでなくても似たようなことは、よく行われる…
「てめえ、どこの組のモンでえ?」…と「所属」を尋問してくる…
「おまえ、日本人か、日本人ではないのか」みたいな方式もある。
いずれも個々人の自律した思考を封印する呪文であり呪詛なのである。
そして、とくにカルト宗教の場合は、選挙戦に熱心になる。
わけもわからず、惰性とお付き合いで「信仰」している一般ポン俗は…
盲目的に設定された「敵」相手に「戦って」、そして、「勝利」する。
そして、「勝った勝った」とわけもわからず喜び、「よかったよかった」となる。
これは「3S政策にハマル人」の典型例で…
スポーツにすぐ感情移入して「同一化」してしまう人たちばかり…
こんなオーウェルの『1984年』型の組織運営をしているエセ宗教が…
栄えれば栄えるほど、国も地域も滅んでいくのは道理というものなのである。
そして、見渡せば、実際に多くの日本人が、このポン俗なのである。
これで「世のなかがよくなる」わきゃ、ないだろーっての。
さて、遅くなったが
本題の「伝聞情報は証拠にならない」についてである。
とある「事件」が起こり、あなたは「当事者」であったとする。
その場合、「加害者側」「被害者側」「目撃者」「関係者」が存在する…
この場合、みな「真実」を直接体験しているはずだが、往々にして陳述は食い違う。
交通問題でもそうで…
「信号が赤だったか、青だったか」とかでも一致せず…
前の車がズルズルとバックして来て、ついにぶつかった…
ドライバーが下りてきて、謝るのかと思いきや…
「追突したよな!」とすごまれた…(どうも勘違いらしい)
このように…
実体験している者たちの間でさえ、「事実認識」は食い違ってくる。
さらに、ここであなたが警察官だったら、どうすればよいだろう?
自分自身の目の前での事故や違反なら「現行犯」で立件できるが通常はそうではない。
しかし、「衝突事故」があったのは、事実のようである。
そこについては、関係者の認識にも深刻な不一致はない…
ここから、「調書」を作っていくことになる。
警察官にとって、明らかな物証以外は、すべて「伝聞情報」である。
それらは、そのままでは「証拠」とはならず、
裁判での「事実の争い」に勝つことはできない。
それ以前に、「逮捕」「起訴」するには
「客観的事実」「統一的事実認識見解」が理路整然と組まれていなければならない。
(ーー) パヨクやデマブロガー(モノホンの陰謀論者)は、この手続きをやらない
もちろん、現在の戦争を正当化しているカルト勢力もやらない。
こういうところに着目していけば、ダマされることは圧倒的にすくなくなる。
都市伝説では…
「信じるか、信じないかはあなた次第です」
…といわれるが…
そもそも…
「信じるか、信じないか」と問うてる時点で、ダメなのである。
それでは、「真実」「客観的事実」ではなく、「信仰」になってしまう。
…ってか…
エセ宗教やカルトの「信仰」が、そういう性質のものである。
これに「現世利益」や「嘘も方便」が入ってくると「悪魔教」にしかならない。
いまの地球は、悪魔教信者に乗っ取られている状態だと言ってよいだろう。
では、「正しい信仰」とは、どういうものか…
ここで有名なのが親鸞の信仰である。
「われ、この教えを信じたがために地獄に落ちようとも悔いはなし」
結局、自分が何を信じるか、信じられるかしか残らない。
「信じようとすればするほど信じられないでいる自分」と向き合うなか…
その矛盾のなかから「真実の信仰」が生まれてくる。
つまりは、「信仰」ですら「混沌」から生ずるのである。
パヨクや一般ポン俗を卒業したいのであれば…
まずは、自分の信じているものを徹底的に疑い…
自分が信じていないことも徹底的に疑って…
「それでも、これだけはいえる」
「ここまでは(争いのない)事実である」
…というところをやっていく。
これ、裁判でいう「事実の確定」である。
つまりは、けっきょくは「全体像はぼんやり」しているが…
「(争いのない)事実は、こうである」の部分を確定するのである。
しかし、デマ・メディアは、ここでも「大嘘」を大々的に吹聴する。
「裁判で、真実が明らかになる」とか…
「裁判で、却ってわからないことが増えた(何してる!)」とかの報道だ。
まあ、新聞記者とかテレビ局の連中の知能というのは、そもそも「この程度」。
それを「信じてる」だの「信じていない」だの…
そこからして、すでに「陰謀論」脳になっているのである。
⇒
現代のナポレオン、トランプはさっそく「上訴」しているという…
















