NHKの「いじめ対策」議論は”選挙運動”か? | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

いじめの問題で特に重要と私が思うことはふたつである。

 

 

ひとつは、喫煙は指導するのに、刑法犯を指導していないことである。

 

生徒が刑法に触れる行為をやっているのに「いじめ」ということばで誤魔化している。

 

 

むかしから、いじめくらいはあるし、それを跳ねのける過程で子どもたちも鍛えられていったものだ。

 

だが、自殺にまで結びつくような場合は、必ず刑法に触れる犯罪行為があるのである。

 

これを「いじめ」と誤魔化さず、「これは、犯罪だよ。改めないなら別のところへ行ってもらうよ」と指導すべきものなのだ。

 

それを文科省はなぜしない?

 

そもそも”やる気”がないのだろう。

 

 

ふたつめは、教師の”対話能力”の不足である。

 

教育現場では、どうしても言うことをきかせなければならないときがある。

 

そのときに、毒親同様の過ちをやりがちな教師がいる。

 

「生徒を支配しよう」としてしまうことだ。

 

あるいは、納得させよう、説得しようとしてしまうことだ。

 

これをやると、しばしば対話関係が決裂する。そこで力に訴えることになって”体罰”になってしまう。

 

感情的になってしまうのは、さらに悪い。

 

 

また、対話ではなく、説教になってしまうのもよくない。

 

相手に聞く態度があるときにしか説教は有効ではない。

 

 

”対話”というのは、「指導」の関係ではない。

 

相手の主張とこちらの主張をそれぞれ明らかにして、お互いが共有することだ。

 

結論を急がずに、「相手がこうするなら、こちらはこうすることになるよ」と事実(気持ちではない)を伝えることだ。

 

気持は、事実を伝えたうえで、必要に応じて上乗せするのだ。

 

 

”対話”というのは、異なる主張の敵対関係を、

 

主張が異なることで生じている問題を、ともに解決していくという協力関係に変えていくプロセスなのだ。

 

 

「いやあ、困ったね…。君はこうしたい…でも、そうすると私は、こうしなければいけなくなる。何かいい方法はないかね?」

 

みたいな感じの話の持って生き方をしなくては…

 

 

 

それはそうと、気分が悪くなるのはNHKのいじめ対策討論番組である。

 

実践者でもない尾木ママが討論にでているだけで、NHKのやる気なさが伝わってくる。

 

 

尾木ママは、いじめのガイドラインが細かく作られてきているのに現場で生かされていないのがもどかしいとかなんとか述べていた。

 

それがなぜなのかは、わからないというクチぶりであった。

 

現場を取材して、なぜかを突き止めてテレビで解説するのが仕事ではないのか?

 

 

もっとも、現場で実践していない口先だけのいい加減なオトコ(?)に、理由なぞわかるわけがあるまい。

 

この程度の奴に教育を語らせている時点で、NHKのやる気のなさ、無責任さがひしひしと伝わってくる。

 

 

いつぞや、民放だったかNHKだったか忘れたが、もうかなり前になるが教室にカメラが入ったことがあった。

 

ほとんど最初で最後の”学校の生の現実”がお茶の間に届いた瞬間だった。

 

そのとき、国民は教師がなぜ体罰に走る(?)のかを理解し、「もっと厳しく指導しろ」みたいな話になった。

 

いまの虐待やらレイプやらの話に対するのと同じ、無責任で感情的な”厳罰主義”の声である。

 

もちろん、そんなポピュリズムに現場のプロがしたがうわけにはいかないのだが、国民が初めて現実を知ったこと自体には意味があったと思う。

 

それから何年も経つが、問題解決がどれだけ進んでいるのか、いないのか、さっぱりわからない。

 

 

 

マスコミなどが報じるのは、ほんの障りでしかなく、たとえれば映画の予告シーンのようなものでしかない。

 

本作品や原作に当たるような詳しい情報はないままに、つまり、問題の核心が明らかにされないままにテレビで「識者」を気取る連中が「いじめは人権侵害です」とかなんとか言ってやっているのである。

 

こういうくだらない討論番組で、頭に来ない教師がいたとするならば、それは実践を怠けているのだ。

 

そういう意味では、間違いなく現場教師に大きな問題がある。

 

マスコミが適当なことを報じていても、ものわかりのよさげなことしか言わないやつばかりだった。

 

まあ、給料もらえて、身分が安定してりゃいいってことか?

 

もっとも熱血教師がいたとしても、わたしは「ほどほどにしておけ」とアドバイスするだろう。

 

自分の身を挺してまでやるほど、どいつもこいつも、生徒も親も教師も行政も”本気”ではないからだ。

 

熱心にやるだけバカをみる。

 

 

マウンドに立つ投手もいっしょだ。

 

自分ひとり剛速球を投げることができたとしても、受け止めてくれる捕手がいなければ投げられないし、バックが信用できなければ作戦も立てようがない。

 

実績を上げるには、強力な教師集団とそれをバックアップする行政や地域の力、生徒自身の自覚、それらすべてが必要だ。

 

 

NHKの討論では、そうした現場での実践に絡んだ経験だの教訓だのが語られることもなく、したがって、現場で悩んでいる教師や、あるいは親や生徒が聞いてヒントをもらったり、勇気をもらったりするものでは、まったくなかった。

 

実践している者たちが口を開けば、キレイゴトなんて出てこない。

 

もっと具体的で、もっと切実で、人々に気づきを与えることばが出てくるはずだ。

 

キレイゴトと無償化の話くらいしか出てこないNHKの番組は、あべ政権の選挙運動をやったにすぎない。

 

尾木ママが出ている時点で、国民をバカにしているのだ。