上野千鶴子が入学式で挨拶をしたそうだが、女権カルトの教祖さまらしいご発言であった。
偏差値教育で歴史を学ぶようになって、大学を出てもマトモな学力が身につかなくなった今日、人類がどうやって生きてきたのかなんてことは、人々はもうまったく理解できなくなってしまっているのだろう。
アフリカでは、貧困と性暴力で男が稼いでも呑んで使ってしまって貧困がなくならないからと、「女性に稼がせる」方針にしているのだが、エリート気取りの連中の点数稼ぎのためか、それを日本でやろうとしているのだから恐れ入る。
「男女平等」なる似非正義のもと、現在のような政策を進めていけば、階級固定が進み、日本民族は皆、奴隷階級になってしまう。
日本が家父長制家族だったのは、なぜなのか?直系重視で兄弟不平等の家組織は、どういう性質のものだったのか?
ひとことでいえば、下層階級から、上層階級へ一族で成り上がるためのシステムだった。
奴隷階級のままでは、いつまでたっても日の目を見ることはないからであった。
それで「家業」というものをもち、あるいは、土地などの財産をもって、先祖代々にわたって継承していったのである。
日本の伝統芸能も、その家父長制のシステムとともに保存されてきたが、愚かにも侵略勢力の手先となって、そこへ「男女平等」なるものをこじ入れようとする似非民主主義者が、大きな顔でのさばる時代になってしまった。
富と権力は集中してこそ価値を生む。
だから、一族で頭領を盛り立てるために、ほかは犠牲になった。
残酷といえば、残酷。
だが、それをしなければ、いつまでも非人階級かなにかで、孫子の代の先の先まで希望がなかったのだ。
現代は、「個人の能力」で一代で財と地位が築かれるような幻想がふりまかれているが、現実は時代を経ても変わってなどいない。
成り上がるためには一族の力の結集が必要なのだ。
それが「男女平等」「兄弟平等」で、三代目を待たずに身上が潰れる仕組みになっている。
ところが、支配階級とヤクザはそうではない。
家父長制とは限らないが、必ず富と権力を集中し、二代目、三代目に引き継がせていく仕組みができているのである。
もちろん、それも生易しいことではない。平民階級の気楽な暮らしの方がずっとよいとも言える。
だが、社会全体を俯瞰したときに国家の権力と経済の中枢を握るのは、どの人たちかというのはハッキリしていると言えよう。
グローバリズムで、日本の中産階級は実質滅ぼされ、下流へと押し流された。
支配層に留まった者たちは、格差を固定し、下流、中流から成り上がってきて自分たちを出しぬく輩の登場を許さない。
よって、奴隷階級、畜民階級には「平等」と「快楽」を与え、自分たち支配階級は家父長制などのピラミッドシステムを維持して、富と権力を握り続けるのである。
それでも、いまさら気づいても遅いであろう。
自らを賤民階級へ固定する絶望の未来を「男女平等」を唱えて選択するがよい。
愚民には愚民にふさわしい「将来」しか保証されないのだ。