日時:2024年6月9日(日)14:00~
会場:流山市文化会館
指揮:佐藤雄一
演奏:流山フィルハーモニー交響楽団
曲目:
ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
シューベルト:序曲、スケルツォとフィナーレ
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調
感想:
半年前に聴いたアマオケへの再訪である。
特にここが気に入ったということでもないのだが、タイミングがあったのと、アマオケを行く楽しみを感じ始めているのですんなりと選択肢に入った。
会場は流山市文化会館の大ホールで、昭和44年完成の老舗の公共ホール。
プロセニタイプのステージと820席のワンスロープの客席を持つ空間。
音響的にどうのこうのという空間ではないが、ちょっとアクセスの良い場所ではなく駅からは少し遠い。
今回の指揮者も佐藤雄一さんで、ここのところ毎月のように遭遇している印象である。
さて一曲目はオベロン序曲。
よく耳に馴染んでいる曲だが、ライブで聴いた記憶はあまりない。
演奏が始まるとヴァイオリン群はそれほど纏まっていたわけではないが、まあ許容範囲内でしっかりと弾いている。
テンポは抑え気味で、音楽として崩れない範囲で奏者たちに無理をさせないように曲を進めていた印象で、自然とヒューマナイズされた音楽が展開される。
2曲目はシューベルトの管弦楽曲で、協奏曲にも似た3楽章構成の曲だが独奏楽器があるわけでもなく、今回初めて聴いた曲である。
シューベルトらしい印象の曲で、やはりテンポを抑えめに演奏され、音色としては細かいところに粗が無いわけではないが、音楽としてはきちんと流れが作られて演奏されていたように思う。
第2曲のスケルツォも不思議なノリがあり、現代楽曲のようでなかなか面白い。
続く第3曲もリズムがとりやすい曲調ということもあり、ブル5のフィナーレのような歩みのしっかりした音楽が展開され、なかなか楽しめた。
後半がベートーヴェンの交響曲第7番
有名な曲だけに、ガタガタな演奏されたらどうしようという不安はあったが、それは杞憂に終わる。
指揮者が構えた途端に誰かの携帯がピンポーンと鳴る。
中国では良くある光景だが、日本では珍しい。
思わぬ水を差された格好になったが指揮者は構えなおして曲をスタートさせる。
かなりゆったりとしたテンポで曲が動き出す。
全体のクオリティはそれなりだが、トランペットが安定しない印象でアクセントが綺麗にはまらない。
ホルンは良好とまでは言えないが形は崩していない。
舞踏の神化と呼ばれたこの曲ではあるが、そういった個々の奏者への配慮なのか、アップテンポにはならず、音楽が命を失わない範囲のゆったりとしたテンポで全体がドライブされる。
このあたりは流石の指揮者の力量である。
ところでこの曲でのティンパニはフェルトを頭に付けていない木が剥き出しのマレット(ばち)を使っていた。
フェルトがない分だけ、音が鋭いというか破裂音的な音になる。
そういえば、先月聴いたこの指揮者の別の団体の「田園」でも、フェルトなしのマレットを使っており、後でパンフレットを確認してみると前回と同じティンパニ奏者だった。
前半の曲でティンパニがどうだったか注意していなかったのだが、どうやらこの指揮者と奏者の好みというか、はっきりした意図があるのだろう。
そして金管の安定がないままに第1楽章を終える。
続いて永遠のアレグレットと呼ばれる第2楽章に入る。
低弦をはじめとしたストリングの落ち着いたメロディで曲全体は落ち着いた印象だが、やはり金管が馴染んでいかない。
それに対して木管群は程々に安定してしっかりメロディをこなしている。
続く第3楽章のプレストもゆったり目のテンポでスタートする。
リズミカルな曲調に乗せられてオケ全体もリズム感が向上したような印象。
オーボエやフルートの楽し気な歌いも、相対的ではあるが輝いて聴こえる
ただ金管群の苦しさは相変わらずで、何とか全体について行っている印象だった。
そして第4楽章。
前楽章から間髪いれずに続けて演奏するパターンもあるが、この日はしっかり間を取る。
そして今回は遅くないテンポで演奏がスタートする。
ややズンドンな不器用なリズムにも聴こえるが、それが却って演奏の懸命さを醸し出す結果となり、小綺麗で器用な演奏よりこちらのほうが熱さが突き刺さる。
先ほどまで浮き加減で聴こえていたトランペットまでその必死さや奏者の熱意が伝わる結果となり、意外なほどにこちらも心が反応して熱くなる。
もしかすると、ここで先ほど述べたティンパニの鋭い音が功を奏しているのかもしれない。
演奏バランス的にはもっとフルートのロングトーンの部分で攻めてもらいたかった面はあったが、全体の熱がそれをカバーする。
オケ全体から奏者たちの意志が漲ったような熱いメッセージを受取り、フィナーレを迎えた。
技術水準的には先日聴いたプロの演奏には到底及んでいない演奏ではあったが、はるかに熱さを残す演奏になった。
音楽とはかくも不思議な体験なのか、それを改めて感じた演奏会
だった。