高関健指揮富士山静岡交響楽団第123回定期演奏会 東京特別公演 | 上海鑑賞日記(主にクラシック)

上海鑑賞日記(主にクラシック)

上海生活の合間に聴いた音楽や見たスポーツなどの記録を残します。

日時:2024年02月06日(火)19:00~

会場:東京オペラシティ コンサートホール

指揮:高関健

演奏:富士山静岡交響楽団

曲目

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB108 (ハース原典版)

感想:

 大雪の翌日の雪景色が残る中での新宿・初台のTOKYOオペラシティを20年ぶりくらいに久々の訪問。

 雪の影響で苦労している方には申し訳ないが、私のスケジュールにとってはプラスに働いたこの大雪である。

 この夜のお目当てとしてはもちろん静響の初鑑賞とブル8である。

 富士山静岡交響楽団(以下静響)は1988年に設立された歴史がまだ浅めのオーケストラで、コロナ禍の2021年に浜松フィルハーモニー管弦楽団と合併して今の名称と組織になったとのこと。

 

 見た限り年齢は30代から40代の油が乗り切った世代が中心であるがベテラン奏者もちらほら混じる。

 合併からちょうど3年が経ち、ようやく組織が馴染んできた頃でのブル8への挑戦であろう。

 

 高関健さんは桐朋出身の現在68歳の日本の指揮者で、欧州へ呼ばれて何度も客演してはいるが、どちらかというと日本の地方オケの発展に尽くしている方という印象で、群響の顔のイメージが強い。

 この静響も2021年から首席指揮者を務めているので、今回は一つの集大成を示す演奏会ともいえる。

 今年はブルックナーの生誕200年ということで、いつもの年にも増してあちこちでブルックナーが聴け、それ故のこの選曲だろうが私にとってはうれしい限りである。

 冒頭、指揮者からのプレトークがあり、主にブルックナーの交響曲の版の問題が語られ、今回さらに、第1楽章のクラリネットの部分を独自に削除されたことが語られる。

 

さて演奏はほぼ一般的なテンポで、出足から非常に分厚い音が鳴る。

今回非常に前の方の席を取ってしまったのでヴァイオリンのすぐそばだったのだが 通常この距離だと、直接音ばかりで反射音が少なくなってしまい、楽器の響きというよりもヴァイオリン本来の生の音が直接聴こえてしまうのだが、今回この距離にもかかわらず非常に分厚く纏まって聴こえたというのは、このホールの響き自体が優秀なのかもしれないが、まずは弦の音が整っていたことに間違いなさそうである。

 舞台上の演奏姿を見てみると、技術的に細かいことは分からないが各奏者が同じ奏法で弾いているように感じ、ボウイングにも統一感がある。

このオケとして懸命に揃えたのか、或いは同じ門下の奏者が集まったのかは分からないが、かなり近い演奏スタイルの奏者が集まっていたように思える。

 弦以外の後方の木管だのの楽器はちょっと私の席から見えないような位置になってしまい編成自体も入場時に数えなかったのだが、通常だと3管編成のはずである。

 これらの管楽器は良い意味で悪目立ちせず、非常にオケの音の中に溶け込んでいた。

僅かにホルン(及び持替えのワグナーテューバ)やテューバが少し安定に苦労していたようにも思えるが、これはブルックナーの交響曲における宿命であり、ロングトーンを連発するので高い安定は非常に大変そうに思える。

またハープの音も僅かばかり硬質で、もう少し柔らかいと良いのかなとも感じた。

 しかしステージにこれだけ近いと音量が大きいだけでなく、聴こえる音の数も多くなり、それだけこちらも消耗し、贅沢な話ではあるが、結構ハードな鑑賞である。

ちなみに指揮者が削ったとするクラリネットは残念ながら分からなかった。

 

第2楽章のスケルツォではヴァイオリンの更なる上積みの音を期待したが、流石にそこまでではなく、普通の良い演奏にまとまっていた。

一方この楽章ではどちらかというとチェロの方が印象的だった。

指揮者のテンポは悪くなかったが、少し前掛かり過ぎる面があるのではないかという点が気になった。

これは私がスローテンポなブルックナーに慣れているせいかもしれない。

金管の鳴り方も相変わらず微妙な部分が時々見え隠れして、ハープの音も私の鑑賞位置の影響か、やはり柔らかさが不足する響きで伝わった。

 

第3楽章のアダージョはさすが弦のまとまりが功を奏し、しっかりとした存在感のある音が響く。

ピアニッシモになっても消えてしまうような弱い弱しい音ではなく、しっかりとした存在感を感じる音だ。

そこに合わせて登場するハープもこの楽章では優しく柔らかい音を添えていた。

金管のロングトーンもここではしっかりとした存在感を示し、曲を盛り立てている。

これらの楽器の音色が積み重なり、クライマックスを迎え、なかなかの熱演となる。

再び静寂が訪れ、ホルンに付き添われながら弦が存在感を持った音で楽章が締められる。

 

そして第4楽章。

 じわじわっとしたスタートでフィナーレが幕を開ける。

ここへ来ると金管の不安定さも見えなくなり、しっかりと地に足を付けた音楽が展開される。

もちろん弦のまとまりは終始崩れることはなく曲を支え、ブルックナーの世界を体現する。

 まあ欲を言えば、最後のフィナーレのところで、音がごちゃついたような部分があり、すっきりと整理しきれなかった面が少し残念ではあるが、全体としては良いブル8だったように思う。

静響としてもしっかりとした一里塚の演奏になったのではないか?

聴衆の反応も上々で何度も指揮者は呼び出され、拍手に応えていた。

こういう指揮者によって日本のクラシックの土壌は育てられてきているんだなと改めて感じた演奏会になった。