マティアス・バーメルト指揮札幌交響楽団 東京公演2024 | 上海鑑賞日記(主にクラシック)

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日時:2024年01月31日(水)19:00~

会場:サントリーホール

指揮:マティアス・バーメルト

演奏:札幌交響楽団

独奏:イアン・ポストリッジ(Tenner),

アレッシオ・アレグリーニ(Horn) 

 

曲目

ブリテン:セレナード~テノール、ホルンと弦楽のための

ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB106

 

 

感想:

 札幌交響楽団の東京公演、このオケは毎年この時期に東京公演を行うが、数年前に帰国した際に偶然聴きに訪れた記憶がある。

 私にとっても久々のサントリーホールであり、この滞在中にようやく念願を叶えた演奏会である。

 

 さて、この日はこのオケの首席指揮者であるスイスのマエストロ、マティアス・バーメルトさんが首席指揮者として指揮される最後の演奏会であり、記念となる夜である。

 マエストロは御年81歳とのことで、今回で任を退かれるようだが、来年の定期にも名前が載っているので、マエストロが元気な限り札幌には来るようだ。

 そこで取り上げるプログラムはブリテンとブルックナーであり、大谷翔平ではないがオケにとってもヒリヒリする勝負曲だろうに思われるし、そういった演奏で臨むのだろう。

 ちなみに直近の札幌での定期でも2日間同じプログラムのようであり、リハーサルもばっちりのはずである。(笑)

 

 さて、一曲目はブリテンのセレナーデ、1943年の作曲でテノール、ホルン、ストリングスのための曲となる。

テノールはイギリス人歌手のイアン・ポストリッジ氏で、様々な分野で人物を輩出してきた家系で本人もオックスフォード大を卒業した優秀な人物。

 またホルンはイタリア人奏者のアレッシオ・アレグリーニ氏で、ムーティやアバドなど名だたる歴代の名指揮者に評価され、彼らのオケに呼ばれるなど活躍してきた名手である。

 作曲された時代は第2次世界大戦の真っ只中で、ドイツのUボートや映画にも描かれたエニグマの暗号などと格闘している時代で、死の恐怖を感じる戦争が社会を支配している時期である。

 そんな時代に作曲されたこの曲は、中世の詩人の詩を多用して曲を構成して、レクイエム的な悲しみを湛えており、当時の雰囲気を窺い知ることが出来る曲となっている。

 ホルンのソロから静かに曲はスタートし、陰鬱な社会状況を示す。

 やがてテナーの歌声が入り、希望と絶望の入り混じる歌詞と曲が繰り返されていく。

 ホルンの示す音は深みがあり、テナーの歌声もとても明確である。

 歌詞の意味はほとんど追わず(追えず)、歌の持つニュアンスだけを頼りに聴いていたが、やるせなさを押し隠したような明るさの装いがとても理解できる曲だった。

 支えるオケのストリング群もその雰囲気を大事にした良い演奏だったように思う。

 

 後半はブルックナーの6番。

 遅い演奏を度々聴く私からするとやや速いテンポの入りだったが、世間からすると若干遅めといったところか。

 チェロなどの中域が思いのほかよく動いており、この曲の奥行きをしっかりと描き出していた。

 ホルン群も堂々と鳴っており、曲の大きさをしっかりと示している。

 相対的に1st ヴァイオリンがやや厚みを欠いた印象で音は綺麗に鳴っていたが、少し弱いのかなという印象。

 これらのメンバーを指揮するマエストロは丁寧な音作りを感じ、オケをキャリーしていた印象でさすが6年の在任によりマエストロの音楽が行き渡っているようである。

 

 塞2楽章のアダージョでもその丁寧な音作りは続く。

 ただ丁寧過ぎる面があるのか、やや変化に乏しくなり、聴衆としてじっくり集中するのがなかなか難しく感じる部分もないわけでもなかった。

 ただ、もちろんオケ側の集中が切れていた訳ではないので、ゆったりとした足取りで曲は奏でられ、すーっと音は消えていった。

 

 第3楽章のスケルツォでは再び確実な足取りで音楽が回っていく。

 ヴァイオリン群のボウイングがそれほど揃っていないのが気になったが、まあ音は崩れていないので大きな問題ではなく、相対的に管楽器が頑張っているなという印象だった。

 

 そして第4楽章で、いよいよもってマエストロの音楽の集大成であり、オケの演奏にも緊張感が感じられる。

 フィナーレでは噛みしめるよう(なテンポの曲ではないが)に、たっぷりとした足取りで曲が閉じられ、マエストロの背中からその瞬間を味わっているような印象を受けた。

 数秒後にゆっくりとタクトが下され、ようやく万雷の拍手。

 拍手に送られながら、最初に袖へ戻るマエストロの背中は、何だか寂しそうにも見えた。

 もちろん、その後に何度もステージに呼び戻された際には満面の笑みで聴衆に応えていた。

 

  今後、任を退かれることから札幌にでも行かない限りなかなか彼の指揮に接することは出来なくなるかもしれないが、しっかりと彼の指揮者人生の1ページに立ち会えた瞬間を得られて至福の時となった。

 

 ところで、全くの余談ではあるが、この日の私の目の前の席に、某有名女性ヴァイオリニストの父親らしき人が座っていてた。

 クラシック関係の音楽事務所を運営している方だと伺っているので、そこにいても全く不思議ではないのだが、TVで見た印象でしか記憶がなく似たような方は世の中に沢山いるので確信を持てず、もちろん知り合いでもないので結局声をかけられないまま演奏会を後にした。

 まあそんなエピソードの記憶も含めて、印象に残った演奏会だった。