世にも奇妙な話 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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母が他界して早三年。

 

僕も弟も忙しいので

今も遺品の整理は続いており、

庭の手入れや

訃報を知らない業者からの郵便を

処分する必要もあって

僕は月に一回は

実家に戻っている。

 

そんなある日、

僕は、

信じられない光景を目撃する。

 

実家から自宅に帰る途中

運転中に

生前、

母の口座に振り込んでいた銀行から

10mも北上しない場所に

知らない銀行を発見したからだ。

 

え、

それがどうしたの?

と思われても仕方ない。

 

見知らぬ銀行との出会いは、

別に驚く事ではないだろう。

 

しかし、

僕にとって

その発見は

特別な意味を持つのだった。

 

実は僕は、

会社設立時の役員に名を連ね、

経理業務や振込を頼んでいた母に

毎月、報酬を支払っていた。

 

実家に帰る度に

「あんたに遺す為に

あんたから貰ったお金には

一円も手を付けてないからね」

と母は僕に告げていた。

 

僕がその度に

「好きな事に使ってもいいからね」

と言っていたのに、だ。

 

役員報酬を

毎月、銀行から引き出して

別の銀行に預けていると

母から聞いていた。

総額で2000万を超えていた筈だ。

 

母が亡くなる週の頭に、

僕は母に尋ねた。

 

「万が一の事があると困るから

お金の事を話しておかないとね。

僕が送り続けた役員報酬、

引き出して、

どこの銀行に預けているの?」

と。

 

その年の頭から急速に衰弱し、

訪問介護を

利用するようになっていた母は

困惑した表情で

僕にこう答えた。

 

「えーっと・・・

何とか銀行・・・」

 

僕は、

呆れてモノが言えなかった。

 

2000万を超えるお金を

預けた銀行の名前を

母が思い出せないのだ!

 

「お母さん、

それは大変な事になるよ。

来週の月曜にまた来るから

一緒に銀行を回って

預貯金を確認しようね」

 

僕は

怒りを堪えて

出来るだけ優しい口調で母に

伝えた。

 

そして、

母はその週末に急死した・・・。

次の月曜が来る前に。

 

母の住む街の全ての銀行と

郵便局で残高を確認した。

 

結局、

母が毎月決まって

引き出して(その記録はあった)

別の銀行に

預け入れていたお金は

見つからなかった。

 

2000万を超える役員報酬は

行方不明のまま

遺産相続は終了。

 

僕が必死に働いて稼いで

母に支払っていた大金は

自分の給料から捻出し

母が生活の為に使ったと

自分に言い聞かせ

諦めた。

 

実際に、

仕送りのつもりの

役員報酬だったからだ。

 

時は流れ、

三年後、

今まで僕が全く気付かなかった

銀行を見つけた時の驚きをあなたは

想像出来るだろうか?

 

しかも

名前が!

 

 

南都銀行なのだ!!

 

なんと銀行。

何とか銀行?

 

ひょっとして、

母は

南都銀行の事を

何とか銀行

と言っていたのではないか?

 

ハンドルを持つ手が震えた。

 

その日は既に午後三時を回っていた。

二月の中旬に別の銀行に

弟と二人で行く用事があったので

その時に一緒に

南都銀行に行く事にした。

 

「こんな所に銀行があったなんて!」

 

僕は車内で、

一人、

大きな歓声を上げた。

 

(つづく)