Midnight Magicその1〜7(まとめ) | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

海外アーティストのオープニング・アクトとしてDJプレイする時のプレッシャー。それはただでさえ重く痺れるものなのに、僕の前日が今や海外にも招聘され一躍世界からも注目される存在となったDJ KOCO aka Shimokitaだというではないか・・・。3年振りのロイ・エアーズBlue Note公演は、3夜連続で異なるDJがブッキングされることとなった。僕の翌日はJAZZY SPORT所属、こちらも世界ランカーのDJ MITSU THE BEATS。プレ・イベントとして行われたブルックリン・パーラーでの親睦会?では、KING OF DIGGIN’ことDJ MUROとレーベルAT HOME SOUNDを立ち上げたRyuhei The Manが担当。この豪華すぎる並びに僕も名を連ねさせて頂くのは大変光栄なことだった。

 

 

本公演前のDJ。それはとても責任が重大で、観客の気分を盛り上げるだけでなく、ミュージシャン達のモチベーションにも僕のプレイの内容は大きく影響を与える。楽屋に流れる我々のMixを彼らは耳にしているのだ。その上、DJがこの並びだと否応無く比較されてしまう。実際にブルーノートで僕を抜擢してくださった小野意奥利さんは、「昨日の KOCOさんのプレイにやられたスタッフが多くて、今度彼のイベントに皆で行こうという話になってるんです・・・」と仰っていた。

 

そう、僕も自分が前座を務める前日、KOCOちゃんのDJプレイを聴いた。その繋ぎ、選曲、パフォーマンス(KOCOちゃんは元ダンサーだから動きがとてもリズミックなのだ)、どれも最高だった。いつもよりメロウだったけれど、十二分にグルーヴィーで、終演後も彼の周りにお客さんが残ってそのセレクトを堪能していた。そう、僕はある理由があって、前の日もブルーノートに顔を出したのだった。

 

ロイ・エアーズBlue Note公演のフライヤーにも寄稿したけれど、現在僕はKYOTO JAZZ MASSIVEの17年振りのアルバムを制作している。その中にロイさんに捧げた曲があるのだ。去年の秋にTOKYO JAZZ Xというイベントで全曲新曲ライブを行った際にも披露した曲なのだけれど、オーディエンスの反応も上々で、ロンドンから招聘した Vanessa Freemanの仮ボーカルもThe Roomで録音した。しかも、僕はこの曲にご本人の参加を強く願っていたので、ロイさんのマネージメントにメールで連絡も入れていた。

 

しかし、待てど暮らせど、返事が来ない。半ば諦めていたところに、小野さんから今回のオープニング・アクトのオファーがあった。そこで僕は、小野さんに思い切って自分の計画を打ち明けた。来日タイミングでレコーディングさせて貰えないかと・・・。

 

実は小野さんには以前にもお世話になったことがあるのだ。それは、Sleep Walkerとファラオ・サンダースのレコーディング。小野さんの計らいと仕切りで夢の共演が実現。録音の前日に曲が完成し、当日4時間という制限の中で僕たちはミッションを完遂した。

 

だからこそ、僕の小野さんに対する信頼は厚かったし、あの夢再び!という期待もあった。しかし・・・。

 

 

小野さんと話して発覚したのだれど、そもそも僕が連絡を取っている人を小野さんは知らないし、その名前を聞いたことすらないと・・・(苦笑)。僕は一体、誰にメールを送っていたのだろうか?そして、今回のブッキングのNYの窓口である福島ユージさん経由で、ロイさんのマネージメントに僕の希望を伝えて頂くこととなった。

 

それから1ヶ月・・・。レコーディングするには、スタジオやエンジアの確保をしなければいけない。しかしドタキャンを避けたい僕に決断が迫られていた。またも音沙汰がなく、ロイさんが来日する前日に僕は小野さんに連絡を入れた。エンジニアも機材のレンタルもバラさないといけないので、もう断念しますと・・・。但し、今後データのやりとりや僕が渡米してやれる可能性もあるので直訴したいと。

 

そして、僕が回す前日、小野さんのご厚意によりブルーノートにご招待頂いたのだ。同行者はDJ KAWASAKIとルームで最近知り合った瞳ちゃん。入り口前でばったり彼女と再会したので同じテーブルでショウを観ることにした。

 

ロイさんと言えば、僕の永遠のヒーロー。20歳で初めてロンドンに行った時は彼のアルバムを中古盤屋やレコード・フェアで買い漁った。25年前にはバンド時代のMondo Grossoが、六本木にあったクラブでロイさんの前座を務めている。その後、ロニー・ロストン・スミスとのWネームの来日公演を観に行ったりもしたし、南仏のフェスに出演した時に、彼の演奏を岸壁に作られたオープンエアーの会場で楽しんだこともある。それこそ3年前のブルーノート公演の時も僕はDJをしたのだけれど、ステージに上がったロイさんが、その場で"さっきの曲が何かを教えてくれ"と僕が質問されることもあった(ちなみにこの時楽屋でコラボしたい旨を伝えたら快諾して頂いた)。

 

KOCOちゃんのファンキーなプレイに導かれるように本公演がスタートする。惜しげも無く繰り広げられる名曲の数々。しかも、演らなかった名曲も数えられない程多い。今のメンバーへの適合、今のロイさんのモード、そして、おそらく時代の要請を考慮したライン・アップ。2部ということもあって少々お疲れの様子をお見受けしたものの、ステージを移動する度に掴むものを必要とするにも関わらず、自らを鼓舞するように演奏する(時にお座りになって休憩されてたけど)リビング・レジェンドの勇姿に心を打たれた。歌い、叩き、そして、聴衆を挑発する78歳!

僕と25歳以上年の離れた音楽家は、業界の不振を嘆くばかりの僕に喝を入れてくれたのだ。力を振り絞れと。お前は俺の年まで音楽を続ける気があるのか?と。

 

デモの入ったMacbookを携え、僕は楽屋に向かった。リングに向かうボクサーの心境。殺るか、殺られるか?いや、オファーを受けてもらえるか、断られるか?厳密には一度はコラボ自体にオッケーもらったこともあったけれど、それはサービス・トークだった可能性もある。そのデモが気に入ってもらえるかどうかも含め、運命の時がやって来た。

 

楽屋では小野さんとユージさんが僕を暖かく迎え入れてくださって、早速直訴してはどうかと勧めてくれる。何度もお会いしているのに、ロイさんは僕を全く覚えていない様子だ。笑顔で握手してくれるも、僕の秘策を知る由もなく、楽屋まで押しかけて来た厚かましいファンに快く対応してくれる寛大なアーティストの手本のようであった・・・。僕がMacbookを取り出すまでは

 

 

僕は、かつてお会いした事がある旨を伝え、彼に捧げた曲を作り、それに参加して欲しい事を下手な英語で説明した。今回無理でも、いつか!実現したいと。で、誰と話せばいいですか?と。

 

するとロイさんは、今、俺と話せと仰るではないか(やはりマネージャーから何も聞いていなかったのか?それとも・・・)。彼の表情から笑顔が消える。ビジネスに臨むシビアな業界人の顔つきだ。僕はおもむろに取り出したMacbookのiTunesを立ち上げ、デモをかけ始めた。楽屋の静寂を打ち破るブギーでエレクトリックなブロークン・ビーツ。

 

「ボーカルは誰だ?」

 

僕の企みを見透かしたようなニヒルな笑みでロイさんは尋ねて来た。

首を小刻みに歌しながらリズムに自分をシンクロさせて行く。

 

「オー、イェー、グッド・ソング!」

 

彼の視線が僕の瞳に突き刺さる。

 

「何なら明日機材を持ち込んで開演前にでもここで録音できます!」

 

思わず僕は無茶な提案を口走った。

エンジニアも機材も何の手配も出来ていない。約束を取りつけたらきっと誰かを捕まえられる筈だと思ったから。

 

するとロイさんが何かを言い始めた。ただでさえ、英語が苦手な上に、ロイさんの舌が舞うような話し方だと更に難易度が上がる。眉間にシワを寄せ、投げやりなポーズで僕を振り払うような仕草を見せた。そして、ここからは急に言葉が耳に入って来た。

 

「俺は遠くから来ててとても疲れているんだ。もう、ホテルに帰りたいんだよ。おい、みんな!撤収するそ、撤収だ」

 

楽屋に沈黙が襲いかかる。ユージさんも小野さんも伏し目がちだ。楽屋まで同行してくれたDJ KAWASAKIと瞳ちゃんも僕にかける言葉がないと見えて突っ立っている。永遠のヒーローに拒絶された悲しさと、僕を憐れむ関係者に気を使わせて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ユージさんに帰りの車で説得してみると声をかけて頂いたけれど、僕は衝撃が強すぎてその言葉に何の望みも抱けなかった。正直、スタジオやエンジニアをばらして、一旦は諦めたから、そもそも今回のレコーディングには期待してはいなかった。ただ、デモを聴いた時の反応に舞い上がってしまったのは確か。そこから一転しての断絶に、自分の曲はおろか、自分の存在までが否定されたような気がして僕の心は真っ二つに折れてしまったのだ。

 

タクシーの中で差し障りのない会話をDJ KAWASAKIと交わした。上司の無様な姿を見せて悪かったなーと思いつつ、敗れ去ったものの果敢にトライする姿から何かを感じ取ってくれたらなーとも。池尻大橋で僕は先に降りたので、彼に5千円札を渡した。それは上司のプライドか・・・。雨は既に止んでいたにも関わらず、僕は傘をさして帰路に着いた。

 

 

僕は嫌なことがあると眠くなる特異体質で(現実逃避)、8時間もふて寝をした。そして、目覚めた時、自分がやらなければいけない事とやりたくなく事の狭間で困惑する自分を見つけ、すっぽりとのその輪郭に同化した。

 

僕はレコードを選ばないといけなかったのだ。ところがやる気が全く出ない。仮病を使って休みたい子供の心境?一体どの面を下げてロイさんと顔を合わせればいいのだ?BLUE NOTEに行きたくない病の発症・・・。

 

勿論、僕はプロだから、気を取り直して、そう、まさに気を取り直してってのはこういう時のことを言うんだなーと自分を客観視することで、その輪郭とやらを眠気と一緒に脱ぎ捨てた。逃げちゃいけない。そう自分に言い聞かせて、腹を括り、レコード棚に向き合うことにした。

 

ライブを待つお客さんに最高の"前菜"を楽しんで欲しい。そして、そんなお客様に最高のパフォーマスを引き出す"触媒"になりたい・・・。僕はロイさんの過去作品、プロデュース作品、アルバムに参加したミュージシャンのソロ、同時代の名作を次々に棚から抜き出して行く。テンポはどんな感じだったかなとか、あの曲はこの曲に繋げられるなとか、記憶を反芻し、状況を想定し、必要なアルバムをふるいにかけて行った。

 

ロイ・エアーズBlue Note公演第二夜。スタートする前にステージで雑誌の撮影に応じるロイさんをお見かけする。声もかけなかったし、彼も僕のことなど眼中になかった。でも、もう気にしないことにした。済んだことだ・・・。

スタッフがKOCOちゃんと僕を比較するのも受け入れた。そして、今一度、永遠のヒーローの為に、そしてお客さんの為にベストを尽くそう。そんな思いでブースに立った。

 

今回の公演はかつて彼が率いたバンド、UBIQUITY名義での来日でもあった。僕は初期メンバーのハリー・ウィティカーの曲で会場の幕を開けた。そして、ハリーが参加したユージン・マクダニエルズ、中村照夫をはじめ、Roy Ayers諸作のボーカルだったこともあるディー・ディー・ブリッジウォーター、そして、Roy Ayersからのバックバンドから別グループとして自立したUbiquityの楽曲(メンバーのフィリップ・ウーさんもBlue Noteにお越しになっていた)、ロイさんのレーベルUno Melodic作品までを自分のプレイに織り交ぜた。その前後に、ミュージシャン繋がり、楽器繋がり、プロデューサー繋がり等様々な関連性をかすがいにして曲を結びつける。時折同時代のヒット曲を差し込むことでサプライズの演出も考慮した。つまり、僕はあらゆる自分の知識とスキルを駆使して自分の役割を全うしようとしたのだった。

 

自分の集中力がマックスに達した時だ。ユージさんがDJブースに駆け寄って来た・・・。

 

 

「沖野さん、ロイがレコーディング・セッションやってもイイって言い出しまして」

 

ユージさんの一言に僕は耳を疑った。昨日、僕の直訴の途中で共演を拒否した筈(厳密には来日前に諦めたので二度目)。折れた心を繋ぎ合わせて、Blue Noteに辿り着き、夢中で曲を選んでいた最中に、まさに青天の霹靂とでも言うべき朗報が届いた。しかし、一体、どうしたんだろう?

 

ロイさんがプロデュースしたボビー・ハンフリーで、バンドにバトンを渡した。キーボーディストが、握った拳から親指を立てている。僕の選曲が気に入ってくれたのだろうか?それとも、単なる準備OKのサインなのか・・・。

 

ロイさん抜きで1曲目が始まった。客席の間を通り抜け、楽屋に向かう。2曲目から登場するロイさんが、受付横のワインセラーの前で待機しておられた。ロいさんと目が合った。そして、手招きしている。近づく僕の両腕を掴むと、僕を更に引き寄せ、満面の笑みで彼はこう言ったのだ。

 

「お前のDJ、完璧じゃったぞ」

 

え、か、完璧???

ロイさんの後ろでユージさんも嬉しそうな顔をしている。レコーディングしてもいいという知らせだけでも舞い上がっていたのに、永遠のヒーローからまさかの”完璧”発言。ハーヴィー・メイソンに”お前天才か”と言われた時も驚いたけど(勿論、天才は僕じゃなくて貴方ですと強く切り返した)、共演の実現に加えての、彼からの絶賛に気絶しそうになった。

 

2曲目でステージに向かったロイさんを見送った後、僕は楽屋でユージさんと、緊急ミーティングを行った。ロイさんがやる気になってくれたのはいいけれど、僕にはクリアしなければいけない課題がいくつもあったからだ。まず、レコーディングの機材も持って来ていないし、スタジオの手配も楽器のレンタルも何も出来ていない。僕は、2部に来る予定になっていたROOT SOULの池田憲一に連絡を取った。彼はKYOTO JAZZ MASSIVEのレコーディングも担当しているので、彼が録音機材を持って来れれば、Blue Noteでロイさんの演奏を録れなくもない。しかし、ユージさんの懸念は前の日同様、2部の後だと疲れ果てて帰りたくなるかもしれないと。壁に貼り出されていた翌日のロイさんの予定を見ると、3時に会場入りして開演までびっしり取材が入っている。少し早く入ってもらって、ステージの機材を使って録音するしかないか・・・。ようやく、池田と連絡が取れるも、既にBlue Noteに向かっているので当然機材は持っていないし、家に取りに帰るのも難しいということだった。そして、僕は大事なことを思い出し、ユージさんにこう伝えなければいけなかった。

 

「実は明日、僕、4時に京都なんです」

 

万事休す。折角、ロイさんがやる気になってくれたのに、八方塞がりで僕は途方に暮れてしまった・・・。

 

 

おそらく、前日の帰りタクシーの中で、あるいは、来日公演2日目のBlue Noteに向かうタクシーの中で、ユウジさんに辛抱強く交渉して頂いたに違いない。ユウジさんが遂にロイさんを口説いたからこそ、彼はやる気になったんだと思う。僕は、折角決まりかけたレコーディングを諦め(厳密には来日前、前日を含めると3度目)、ユウジさんに新たな提案をしてみた。

 

「やってもいいってとこまで来たので、僕がNYに行って録音するのでもいいかなと・・・」

 

しかし、ユージさんはこの案には否定的だった。僕のオファーをマネージメントにずっと伝え続けて来て、ロイさん本人とも交渉を成功させただけに彼の言い分に説得力があった。NYで捕まえるのは難しいだろうし、気が変わってしまうかもしれない。チャンスは今しかない。日本にいる間にレコーディングを敢行するしかないとユージさんは断言した。

 

翌日、僕抜きでレコーディングする選択肢がなかった訳ではないが、取材の前に早く来てもらうことが可能かどうかも判らないし、それこそ一晩明けたら彼の気が変わっているかもしれない。つまり、今夜2部公演の後にやるしかない。選択肢はそれしかないのだ。僕は楽屋のアテンドの方に、Blue Noteサイドの窓口である小野さんに電話をかけてもらって、僕の決意を打ち明けた。

 

「小野さん、今夜、ライブの後にステージで録音にトライしようかと・・・」

 

ロイさんの鉄琴(ヴィブラフォン)は、電子タイプで、ケーブルがミキサー卓に直結している。つまり、Blue Noteのエンジニアの方が、鉄琴のチャンネルに送られて来る音を録音出来れば、理論的にはロイさんのプレイを確保できる。音のデータを後でコンピューターに取り込み、デモ・トラックに貼り付ければ、この先生音に差し替えるキーボード、ドラム、ベースとの擬似セッションは完成する。行ける。これでなんとかなる。僕は、自分の計画の成功を確信した。

 

2部の演奏も終盤に近づくと、僕はDJブースに再度向かう。2部の終演後も僕はレコードをかける役だったから。鳴り止まぬ拍手。誰もがメンバーが再びステージに戻ってくることを期待している。しかし、僕はアンコールがないことを知っていた。僕がロイさんの曲をかけ始めると会場内の照度がゆっこりと上がっていった。

 

おそらく僕が回している間に、友人や関係者が楽屋を訪れロイさんと歓談するだろう。そして、僕が仕事を終えた時、ステージで遂に録音が始まるのだ。

 

僕は、ロイさんの曲をかけ続けていたが、自然な流れでCro-Magnon ft.Roy Ayersの’Midnight Magic’を選択することになった。僕に先駆け行われた日本人バンドとロイさんのコラボ。たまたまUSBに入れていることを思い出し、ロイさんの’Sanctified Feeling’からカット・インで移行した。実にグルーヴィーで、曲の後半に向かうに連れてダイナミズムが増し、聴く者を高揚させる名曲だ。僕は自分で選んでおきながら、その曲が自分に与えるプレッシャーを予測していなかった。果たして、この曲に拮抗するクォリティーを僕は獲得できるのだろうか?

 

その時だ!またもユージさんがブースにやって来た。

 

「まだDJ終わらないんですか?そろそろ持たなくなって来て、これ以上ロイさんを引き止めるのが・・・」

 

一難去ってまた一難。彼が帰ってしまえば一巻の終わりだ。

 

 

 

まな板の上の鯉。そう喩えるしかなかった。僕の仕事はロイさんと共演することではない。オープニング・アクトとして、そして、終演後も時間までDJをするのが契約だ。余韻を楽しむお客さんの為に僕はロイさんの楽曲をかけつづけた。ライブで演奏しなかった名曲の数々を、僕は持ち込んだ二箱分のレコードの中から選び続けていた。

 

僕が仕事を終えるまでユージさんがロイさんを引き止められなかったらそれまでだ。ロイさんだって僕のレコーディングの為に来日した訳じゃない。僕は、選曲を彼が言ってくれたように”完璧”に仕上げることを目指した。どちらが僕にとって大事なことかは明白だった。

 

スタッフの方が終了時間を告げに来た。まだ10分もある。それは僕の人生で最も長い10分だったかもしれない。

 

ユージさんが三度びブースにやって来て僕に尋ねた。

 

「ロイがステージにあがったらすぐに始められますか?」

 

ブースの脇で池田憲一がデモを鳴らす為のMacbookで曲を再生し、イヤフォンで小節数を確認している。小野さんもブースにやって来た。

 

「まだ結構お客さんが残ってますが、何も言わずに録音始めちゃいますか?それともこれがレコーディングだってことを告げますか?」

 

エンジニアのスタンバイは小野さんが確認してくれた。準備は万端。僕は、そこに居合わせた人に包み隠さず、これから起こることを知らせることにした。僕に訪れた幸運を皆とシェアしたかったからだ。ユージさんと、小野さんのお陰で実現するであろうミラクルを、一緒に目撃して欲しかった。ロイさんが姿を現せばという条件付きだけれど・・・。

 

Roy Ayers Ubiquityの「Life Line」で、第二夜の幕を閉じた。果たしてロイさんはまだBlue Noteにいるのだろうか?池田がピン・ジャックをDJミキサーに差し込む。そして、デモ音源が鳴るか確認をする。

 

その時だ!最前列のテーブルに残っていたグループが歓声を上げた。ステージにロイさんがやって来たではないか。僕はロイさんに近づいて握手を交わす。そして、マイクでそこに居合わせた全ての人に事情を説明した。

 

「今からここでKYOTO JAZZ MASSIVEの新曲の公開レコーディングを行います!」

 

ロイさんがデモを聴きながら、鉄琴を叩き始めた。僕は、ブースに戻り、池田に曲の頭から再生する指示を出した。

 

ソロの小節数もコード進行もロイさんに説明することなく、レコーディングが始まった。ロイさんから多大な影響を受けた旋律。ヴァネッサ・フリーマンが歌うメロディーも彼がプロデュースしたEighties Ladiesに触発されて僕が書いたものだ。池田が弾いたスラッピーでブギーなベース・ラインが会場内に鳴り響く。音を拾いながら、身体全体でリズムを取るロイさんが、徐々に音数を増やして行く。お客さんが固唾を飲んでその様子を見守っていた。

 

打ち込みのビートの上で、ジャズマンが演奏することに対して僕はどちらかと言うと懐疑的なタイプだ。ジャズというものは本来コミュニケーション。決め事なしで、ミュージシャン同士が瞬時に反応するものだ。僕のデモは確かに打ち込みだったけれど、この二日間、ある意味僕はロイさんとのコミュニケーションを繰り返していた。初日のライブの観覧からの直訴。僕の前座のプレイを彼が聴き、おそらくロイさんをいい状態でステージに送り込んだ筈。更には2部のステージを受けての僕のDJプレイ。そして、今、彼は僕のデモに反応して即興演奏を続けている。

 

 

ロイさんが舞うように叩き、時にリズムから解き放たれ、再びグルーヴに合流する。僕はまだそこで起こっていることが信じれらなかった。明るい星が瞬くように、ロイさんが鉄琴を叩き続けている。ヴァネッサのエモーショナルなボーカルが姿を消し、アウトロに突入。ロイさんが徐々にスピードを下げ、着地点を探している。ファンキーなドラム・パターンが鳴り止んだ。一瞬の空白の後、お客さんが拍手喝采する。

 

オーディエンスとロイさんにお礼をした。ワン・テイク、1回のみのレコーディング。その間約6分。僕が人生で経験した最も短いセッションだった。ユウジさんが僕を労ってくれた。少しおどけた表情で僕に別れを告げるロイさん。完全に舞い上がっていた僕は、言いたいことを何も言えずにロイさんを見送った。2NDステージの後と同じようにロイさんが客席の間を通って楽屋に向かう。その様子をただ目で追うだけで、僕はステージに立ち尽くしていた。

 

Macbookを2階にいたエンジニアの所まで持って行って、録音データを回収する。小野さんと一連の綱渡りを振り返ってみた。安堵と笑いが二人を取り持っている。ファラオ・サンダースとの共演に次ぐ、二度目の小野さんのアシストに心から感謝した。

 

その夜、僕はBlue Noteの後にもDJをする予定があった。The Roomでフランスからやって来たDJと一緒に回すのだ。時計は23:40分を指していた。彼は22時から始めていたから何とか0時までには着きたかった。

 

ちなみに僕はエンジニアから受け取ったデータを確認していない。音はちゃんと録れていたそうだけれど、音量は十分だったか、ノイズは入っていないか、ロイさんのソロが本当にOKだったかを僕は一切チェックしなかった・・・。普通のレコーディングならその場でプレイ・バックして、聴き直し、僕かロイさんが満足しなかった場合にはやり直していただろう。でも僕は敢えてそれをしなかった。一発勝負。勿論、音は欲しかった。でも、僕にとってもっと大切だったのは、このミッションをやり遂げたことだった。いくつもの危機を乗り越え実現したコラボレーション。この一連の顛末を体験できたこと自体が大きな収穫だった。彼のソロが曲を仕上げる過程でフィットするかどうか全く予想もつかない。ただ一つ言えるのは、仮に僕が彼のソロを使わなかったとしても、僕は決して後悔しないと知っていたということだ。

 

タクシーは骨董通りを右折せずに、六本木通りを曲がって渋谷に向かった。見慣れた景色が、見知らぬ街のように見えた。何もかもが、光り輝いている。その時、僕の頭の中でなっていたサントラは僕のデモではなかった。それはCro-Magnon ft.Roy Ayersの「Midnight Magic」。湾岸線で撮ったと思われるミュージック・ビデオが、今の僕の視界にシンクロしていたからだろうか?車のテール・ランプが何処までも続いている。相変わらず渋谷警察横の夜間工事で道路が渋滞しているのだ。ふと目にしたタクシーの時計が、0時を回ろうとしていた。(おわり)