DJが何故イラストレーション展なのか?(その3) | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

関西の情報誌
『ミーツ・リージョナル』の主催で、
ロンドンの
"ジャズで踊るカルチャー"が
関西に本格上陸!というふれこみの
イベントが行われる事になり、
そのPAUL BRADSHAWさんが
京都にいらっしゃったんですよね。
後にACID JAZZシーンでブレイクし、
今では20年来の友達になった
GALLIANOの
ROB GALLAGHERも一緒でした。

僕、
そのイベントに
勿論遊びに行ったんですけど、
丁度その日が木曜日で
自分のレギュラー・パーティーがあったので、
思い切って彼らに声をかけ、
良かったら遊びに来ないかと
誘ってみたんです。

友達は
お前、勇気あるなー
とびっくりしてましたけど
飛び込みの営業に比べたら
どって事ないですよ。
英語は全く話せませんでしたが。

そのイベントのお客さん達も
一緒に流れて来て
その夜のCONTAINERは
大盛況。

しかも、編集長にこう言われたんです。
「京都にJAZZシーンがあるとは思わなかった!
俺の雑誌にチャートを寄稿してくれないか?
できれば、
絵も描いてくれると嬉しいんだけど・・・」

それは、
自分の作品を持って営業しだして
丁度
半年位の事だったかなー。
フリーターが一気に海外でも知られるDJに!
そしてイラストレーターに(笑)。

KYOTO JAZZ MASSIVE名義で
日本人ジャズや
日本のクラブ・ジャズを
ロンドンの雑誌の
DJチャートで取り上げていた事で
僕の名前は東京のみならず、
世界の主要都市で
知られる事となって行きます。
その後、
MONDO GROSSOの大沢伸一君と出会い、
翌年
上京。

そして、
渋谷にThe Roomをオープンする事になります。
僕が25歳の時でした。

(つづく)