DJが何故イラストレーション展なのか?(その2) | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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グループ展に使用した作品を
ポートフォリオ化し
営業の準備。
学生時代に
求人雑誌の広告営業の
バイトを経験していたので
飛び込みで店に押し入るw事に
抵抗はありませんでした。

フリーペーパーに広告を出していた
京都のちょっとセンスのいい
(一風変わった?)
お店をリスト化し、
アタックを開始しました。

1軒目はレストラン。
即NG。

2軒目は美容室。
ここも即NG。

でも
3軒目に行ったバーのオーナーが、
「今度、京都初の
本格的なナイト・クラブ作るから
そこの広告やってみない?」
と。

あっけなく、仕事をゲット!
CONTAINERというお店の
開店時の
ポスター、フライヤー、チケット等の
デザイン一式を
任せてもらったのが
僕のクラブ・デビューなんです。

当然、
入り浸りますよね?
暇だったから。

イベントのフライヤーを作りながら
毎晩足を運んで
朝まで飲んだり踊ったり。

その内、オーナーが、
「沖野君、
君、面倒見良さそうやから
店長やってみいひん?」
と。

快諾しましたよ。
給料も貰えるんで。
店長兼ブラフィック・デザイナー。
22歳の時でした。

最初は、
写真をコラージュして
デザインしてたんですけど、
流石にそれはちょっとマズいかなーと思い始め、
自分のイラストを使うようになったんです。

カメラマンの友達もいなかったし、
格好いいモデルと
知り合いでもなかったので。

オーナーも、
「沖野君の絵でええやん」
と。

この辺ですかね、イラストレーターの原点は。
クラブの壁面にも絵を描かせて(厳密には切り絵)
もらいました。

で、
ある日ふと気づいたんですが、
木曜が空いてたんで、
イベントやらせて欲しいと
オーナーに直訴したんですよ。
じゃ、
「ええやん、やってみたら」
と。

その方、西直樹さんという
今ではDJとしてサルサ界で
有名な方なんですが、
この人のなんでもかんでもOKする
広い心がなかったら
今の僕はないかもしれないですね。

こうして、
僕はDJをやるようになったんです。
CONTAINERで働く前から
レコードは集めてましたし、
遊びでDJもやってましたけど、
プロとしてお金をもらったのは
この頃からですね。

なんか
個展の話がもの凄く脱線してますけど
大丈夫ですか?

そんなある日、
京都に
ロンドンのジャズ雑誌、
『STRAIGHT NO CHASER』の編集長
PAUL BRADSHAWが
イベントでやって来る事になったんです。
その夜、
僕の人生に再び転機が訪れます・・・。

(つづく)