不思議な出来事その3 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

火曜日の朝、
悲しいメールを受け取った。
友人のお父様が亡くなったというのだ。

仕事の都合で、通夜にも葬儀にも出席できそうになかったので
メールをくれたU子に、
お花を出したいのだが連絡先を・・・
とメールを返信しようと思いつつも、
愛犬を病院に連れていかなければならない事を思い出して
家を出た。

僕の愛犬は
生まれつきの膝蓋骨脱臼とやらで、
三週間前に両膝を切開する手術を受けた。
その回復の具合を診て貰わなければいけなかったのだ。

ちなみに、彼の名前はチューイ。
JAZZTRONICA 2のCDジャケットに
モデル(苦笑)として起用されたので
知っている人も少なくない筈。
彼、ブログもやってるのでチェックしてみて下さい(笑)。

持ち合わせがなかったので、
まずは目黒駅の近くにあるみずほ銀行に向かう。

途中、
駅の手前で信号待ちをしていると、
丸の内のジャズ・クラブ(ジャズ・クラブだ!)、
コットン・クラブのマネージャー、
O西さんを見かける。
先週の土曜に、初めてコットン・クラブに行き、
ブルー・ノートから、コットン・クラブに移った
O西さんに声をかけて頂いたのだ。

ところが、よく見るとその人はO西さんではなく(凄く似ていた!)、
目黒雅叙園方面へ、歩いていってしまった。
危うく声をかける所だった(笑)。

そして、山手通りのGデン動物病院に
チューイを連れて行く。
手術後の経過は良好で、一生大丈夫!との診断が出る!!

普段は、目黒警察署のすぐ先を左折して元競馬場方面に
抜け道をして家に帰るのだが、
この日は、駐車違反の反則金を振り込む為に
中目黒のみずほ銀行に向かった。

待つ事3人。
10分程だったかな。

その後、中目黒駅の高架を過ぎ
一つ目の信号を左折し、
上目黒方面へ、
今年の2月まで4丁目に住んでいたので
その辺りの抜け道も得意中の得意。
再び高架に合流し、直進せずに右折し、今度は
3叉路を左折。
その時だ!

U子に会った・・・。

確か、この辺に住んでたから
会わなくもないとは思うが、
もし、中目黒のみずほ銀行に行かなければ、
しかも、10分も待たなければ、
彼女には会っていないはず。

お花を取りまとめてくれる連絡先をFAXしてくれる
というので、
止められる場所でもなかったから、
車を直ぐに発進させる。

それにしても、驚いた。
連絡を取らないと・・・と思っていただけに。

自宅兼事務所に戻り、
さっそく仕事モードに。
天気はいいし、チューイは無事だったし、
なんだかいい気分。

実は今、また新しい書籍の執筆に取りかかっている。
タイトルは、クラブ・ジャズ入門(仮題)。
クラブ・ジャズって一体何なんだろう?という疑問に
答えられるような一冊にしたいと思っている。

アシスタントに、
「電話がかかってきたら、今執筆中なので電話に出れませんと言って」
と携帯を渡すや否や、
早速、電話がかかってきた(苦笑)。

それは、NYのハウス・レーベルKING STREETのオーナー、
ヒサ・イシオカさんだった。
13周年パーティーのお誘いと、
日本に2週ほどいるので、
近々お茶でもしませんか?との事。
原稿を書かねばならないといけない身だったが、
金曜日のYELLOWでの周年には
京都に行っているから
顔を出せないというのもあったし、
僕もどうせ昼食を食べなければならなかったので
ランチ・ミーティングならと、すぐに時間を決める・・・。

1時に恵比寿のウェスティン・ホテルに到着。
地下に車を止め、
駐車券を持って(僕はよくなくすし、会計時に
サービスを受ける為に提示しなければならなかったので)
ロビーに上がった。

そして、ヒサさんを待つ。
と、その時、

あのO西さんのそっくりさんが、ホテルに入って
来たのだ!
この広い東京で、同じ人に一日2回も会うなんて・・・。

間違いなく同じ人だった。
紺のYシャツのボタンをチョイワル風(苦笑)に開け、
タックの入った太めのパンツに、
近頃ちょっと見かけない
メンズのセカンド・バッグは
O西さんのそっくりさん以外には
有り得ないファッションだったからだ
(済みません、そんな格好の人を
O西さんと見間違えるなんて、
あまりに似ていたので、つい)。

偶然が重なる日だ。

そして、ヒサさんとウェスティンのレストランではなく、
向かいの恵比寿ガーデン・プレイスにある
イタリアン・カフェで昼食をとる事に。

40分も待たされた。
それでも、天気がいいからと
ヒサさんはニコニコしていた。

そして、ヒサさんと色々な話をした。

ヒサさんが引っ越した話。
僕が何処に住んでいるかという話。
NYの近況の話。
北朝鮮の核実験の話。
日本のレコード会社の話。
僕のソロの話。

その時、突然、ヒサさんが
「沖野君AMEと友達?」
と聞いてきた。

AMEは最近にわかに脚光を集めている
クリエーターで、
友達の友達だったりする事もあって、
随分前から
彼等のエージェントに
日本に呼んで欲しいと言われていたが、
ジャズのプロモーターからは、
テクノ過ぎると言われ、
テクノのプロモーターからは、
ジャズ過ぎると言われていた・・・。

「アメリカでも、みんなかけてんだよね」
とヒサさんが言った。

日本でも、
フランソワ・ケボーキアンが
プレイし出してからというもの、
ハウス・シーンで
AMEの株って急上昇したよなーと
僕は思い出していた(11月に来日します)。

そこで、
「NYのクラブはどうなんですか?」
と尋ねると、
「やっぱり、CIELOのフランソワかルイとケビンの日かなー」
と答えてくれた。

そして、話題は期待のホープ、DJ KAWASAKIに。
彼のセールスが好調なのは、
ヒサさんもご存知のようで、
良かったねとお褒め頂いた。

本場アメリカで、
ホンモノのハウス・クリエーターを
相手に仕事をしているヒサさんに、
「彼、本当に才能あるよねー」
とも言って頂いた。

アメリカと日本のクリエーターは、
やはりグルーヴ感が全然違うらしい・・・。

更にヒサさんは、
DJ KAWASAKIの今後にエールを送った上でこう続けた。

「僕は、パラダイス・ガラージ世代だから
人を感動させる音楽を
ずっとサポートして行きたいんだよね。
歌だったり、ストリングスだったり、ピアノだったり
気分を高揚させる音楽をもっともっと多くの人に
聴いて欲しい・・・」

ヒサさんは遠くを見つめながら、
僕にそう語った。
軽薄な音楽しか売れなくなってしまったマーケットで、
ヒサさんのやっいる事は、
とても大変な事であるに違いない。
初秋の木漏れ日が、ヒサさんの瞳の中で乱反射
していた・・・。

そんな時、
見覚えのある男が、カフェの前を横切ろうとしていた。

「ディージェー・ カワサキーーーッ!!!???」
僕は思わず声を上げた。

まさに、今、彼の話をしていた所ではないか・・・。

ヒサさんもDJ KWASAKIに声をかけ、
彼が僕達のテーブルにやってきた。
「盗聴でもしてたんじゃないのー?」
とヒサさんはDJ KAWASAKIを冷やかしていたが、
本当に、ちょっと怖いくらいのタイミングだった。

もし、ウェスティンの中でランチを食べていたら、
もし、40分も待たされなければ・・・。

しかも、ヒサさんとのミーティングの後、
ウェスティンの裏に住んでいる
DJ KAWASAKIの自宅に寄っていこうと
思ってすらいたのだ。
新曲の打ち合わせの為に・・・。

そして、僕達は、
パスタを食べ、
今後のリリースや宣伝の打ち合わせをし、
お互いに連携して行こう
という非常に前向きなヴァイヴで
ランチ・ミーティングを終えた。

でも、まだ、僕の話は終わらない。

駐車券を胸ポケットから取り出し、
外で食べるなら、駐車割引の対象にならないから、
すぐ近くのコインパーキングに止めるべきだったかな
なんて事を思いながら僕はウェスティンに戻ろうとしていた。

その時だ!
ホテルの入り口付近のタクシー乗り場で、
またもや、僕は、見覚えのある顔を見つけたのだ!!

な、なんとそれは、フランソワ・ケーボキアン!!!
な、何で、フランソワがここに!!!!????

U子や、DJ KAWASAKIならともかく、
NYに住んでいるフランソワに(来日してたんだろうけど)、
恵比寿で会うかー?

しかも、今しがた話題に上ったばっかりだしー!!!!!

というような事が
「偶然の旅人」を読んだ翌日に、
起こったのだった。

それは、単なる偶然か?
それとも・・・。

一つだけ言える事は、
どうやら偶然とは、連鎖するものらしい。
これを読んだあなたにも、
それは伝染するかもしれない・・・。