毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。 

  

 今回の兼題は「初詣」でした。新年の季語になります。NHKを見ながら年越しをすると、日本のどこかの神社仏閣が中継され、初詣の様子が映し出されます。1955年から続いているそうです。紅白歌合戦はもう何年も前から見なくなったのですが、この「ゆく年くる年」の初詣の中継だけは見てしまいます。紅白歌合戦は聞いたことのない歌がほとんどを占めてしまい、取り残されてしまいましたが、初詣をする人々の姿はいつまでも変わらないものがあります。 

  

 初詣巫女の太鼓に迎へらる  

(はつもうで みこのたいこに むかへらる) 

  

 初詣は、帰省して地元の神社に行くことにしています。若い頃に「ゆく年くる年」と同じように日が変わる前から境内に行き、日付が変わるとともに参拝したことがありましたが、寒いので続けられず一度限りで終わってしまいました。一度限りの日付変わりの初詣でしたが、日付が変わると同時に神職による太鼓が打ち鳴らされて、田舎の小さな神社ではありますが不思議と新年を迎える改まった気持ちになりました。 

 その一度以外は暖かい日中、三が日の時間が空いた時に参拝するようにしていたのですが、日付が変わった特別なタイミングでもないのに、参拝時に太鼓を鳴らしてくれたことが一度だけありました。元日ではなく、二日目か三日目だったと思います。他には参拝者の姿も見えなかったので、一人だけそっと初詣したつもりが頭を下げたとたんに奥から太鼓の音が聞こえて来て驚きました。奥の暗がりの中を覗くと、巫女さんが太鼓の前に座っていました。特別に太鼓を叩いてくれること自体も珍しいですが、それが巫女さんだったということにも驚きました。たまたま担当の神職の人が席を離れていたからでしょうか。そのお陰だったのか、その年は特に平穏に一年を過ごせたように感じました。単なる思い過ごしかも知れませんが、きっと巫女さんの太鼓のご利益だと思っています。 

  

 今年はまだ初詣に行っていません。わざわざ年末年始の混んでいる時に帰省することもないだろうということで、時期をずらして帰省して、その時に地元の神社に詣でる予定です。地元だと混雑するほど人が集まることもないので、ゆっくりと初詣しようと考えています。正月三が日の間に初詣しないとご利益がないのかも知れませんが、そもそも沢山のご利益を得たいと期待している訳でもないので少々減ったところで大した違いもないでしょう。お陰で三が日は余裕をもって過ごせましたし、人混みの中でインフルエンザに罹患するリスクも避けられました。これもご利益の一つだと考えて、今度帰省した時にはしっかりとお礼をして詣でようと思っています。 

 

  

明けましておめでとうございます 

  

 ブログを始めて迎えるお正月としては17回目になります。 

  

  

 自分でも不思議ですが、記事の本数が減ってはいてもまだ続いています。20周年を目指している訳ではありませんが、続いている理由がはっきり説明できないまま、書ける時に書いているといったところでしょうか。 

 

 昨年の正月から経った時間は一年であり、この一年は今までと比べて短くもなければ長くもないのですが、身体の状態は変わりました。目や耳が悪くなり、肩も痛くて上がりにくくなりました。歳のせいなのは分かっていますし、仕方ないことだと納得してはいるのですが、できるならゆっくりと身体の衰えが進んでほしいと思います。 

そんな訳で今年一年の目標の漢字を考えると、自然と“健康”がテーマになりました。「健」にするか「康」にするか、調べてみると 

 

・「健」:丈夫で力強いこと 

・「康」:心身が安らかで満たされていること 

 

ということでしたので、この歳になれば「康」のほうの意味が近そうです。この「康」という文字の目標達成のため、先ずは毎日の散歩を今までどおりそしてこれからも続けて行こうと思います。 

 それでは「康」の漢字とともに、今年もよろしくお願いします。 

  

 

 毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。 

  

 今回のテーマは「首」でした。これまで「水」「雲」「空」「風」といった自然を対象にして始まり、そして前回趣向が変わって「町・街」でした。今回はこの流れで人の暮らしに関係するものとして「港」町とか「寺」町、もしくは「都」とか「市」とかではないかと勝手に予想していたのですが、全く外れて「首」という人の体の一部分が取り上げられました。予想が当たるとは思っていませんでしたが、こんなに違ってしまうと、どうしたものかと首をひねり過ぎて痛くなりそうです。 

  

 鎌の手を首にあてがう枯蟷螂  

(かまのてを くびにあてがう かれとうろう) 

   

 毎年何匹ものカマキリと出会うのですが、今年の最後のカマキリはいつもとは異なる体勢をしていたので今でも覚えています。先月の事務所便りで紹介したあの枯カマキリです。手の鎌を背中から回して自分の首の辺りに引っ掛けた姿勢をしていました。玄関の敷居のところに居たので、それに気が付かずに踏んでしまったのかと焦りましたが、それであれば体のどこかが潰れているはずです。元気はなかったのですが潰れてはいなかったので、ぎりぎり踏まないで済んだようでした。ではなぜ自分の手の鎌を首に掛けるような不思議な恰好をしていたのでしょう。手の鎌を首に掛けようとしてもそれが自力でできるような仕組みの体になってはいないと思うので、それも不思議です。 

 カマキリにもカマキリなりの事情があり、必死に生きているのは人と何も変わりはありません。違うのは、カマキリは手が鎌になっており、人は五本の指になっていることです。このカマキリの姿を見て、思わず自分の首に手を当てがいましたが、手が鎌ではなく五指であったことにほっとしました。 

  

 首と言えば、若い頃から肩こりに悩まされて来ました。そもそもの始まりは学生の頃の受験勉強あたりですが、その頃は若くて元気だったので回復力のほうが勝っていたのでしょう。社会人になって働き出すと今度は深夜までの仕事が当たり前のような職種と職場だったので、肩こりには悩まされ続けていました。現在の就労環境からは想像できないことですが、回りと同じように働かないと首になるという恐れもあり、結局は「首」を酷使し続けて来ました。それがやっと仕事も一段落して、首を休めさせられるかと思っていたら、肩が痛くて腕が上がらなくなってしまいました。この調子だと次は腰、その次は足、と体を上から下へ痛みが降りて来そうです。できるだけ元気でいられるよう、毎日の散歩で下半身を鍛えておくしかないですね。