毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

 今回の兼題は「西瓜」でした。“西瓜”→“スイカ割り”→“海水浴”のような連想で、夏の季語のそれも代表のような印象が強いですが、実はそれは思い込みであって、「西瓜」は秋の季語になります。夏よりも初秋の西瓜のほうが大きく育って熟れており、美味しいそうです。季語としては夏か秋か微妙なところがありますが、季節を置いておいて、西瓜は西瓜としてそこから連想した感動を詠めればいいなと思います。

 

 スイカ切る種やや多き誕生日

(すいかきる たねややおおき たんじょうび)

 

 わたしの肉親の中にも、西瓜の頃の誕生日の人が何人かいます。わたしの誕生日は残念ながら西瓜の時期ではないのですが、もしそうであったら、一度は西瓜をケーキ代わりにして誕生日を祝ってもらうのもいいなぁと思います。小学校の頃、お誕生日会とか言って、呼んだり呼ばれたりしていましたが、その時にケーキが出て来るのは珍しく、今ほどケーキが庶民的なお菓子ではなかった、つまり誕生日やクリスマスの時の年に一回か二回食べることのできる高級品の扱いでした。出て来ても、今のケーキのような大きくて豪華なものであることは稀でした。

 西瓜も今はそれなりの値段で、手軽に食べられるとは言い難いところがありますが、昔は周りに農家があって、できた自家製のものを時々もらって食べることがあったので、当時は西瓜のほうが食べ易いおやつでした。大きな西瓜を十字に切って4分の1し、更に切り分けると、底が丸みを帯びた三角形の西瓜が丸いお盆に沢山並ぶことになります。誕生日のケーキも6分の1とか8分の1に切り分けると、一つ一つが三角形のショートケーキのようになり、この辺りの見栄えが西瓜とケーキはよく似ているんだなぁと気付きました。

 違うのは、ケーキにはイチゴや砂糖菓子とかのトッピングが乗っていますが、西瓜にはありません。その代わり、黒い種が付いています。これが多いと、ちょっと食べるのが大変です。わたしは拘る性格なので、少なくとも見えている種は全て爪楊枝で取り去った後に、がぶっと一口食べるという流儀です。種は西瓜の切りかた次第で、並んだ状態で切り口に出て来ることもあります。こうなると、種を取り除くのが楽になるので、こういう細かなところの技術を持っている人は憧れます。今度、どの様に切ればよいのか調べてみようと思います。

 種のついている〇〇は美味しいなどと聞いたことがあるのですが、種が沢山付いている西瓜はどうなのでしょう。わたしの個人的な経験からすると、美味しいと思います。食べる前、懸命に種を取り除いたので、その効果で美味しいと思い込んでいるだけなのかも知れませんが、それもよいと思っています。年に一度ぐらいは黒い種を見つつ、楽天的に人生を考えたいものです。