最近特に命についてやどんな老い方があるのか、とか

死について考える機会があります。

 

以前、娘さんを亡くされた患者さんが

お寺で講話を聴くことで気持ちが前向きになった

というお話を聞いたがあります。

「愛する人の最後を看取ることができたことは幸せなんですよ」

という言葉で救われたそうです。

 

 

「死」について学ぶ機会も、考える機会が少なく、

もしかしたら日本人の多くは

いつか必ず訪れる「死」を自分のこととして

受け止めることがないまま年を重ねているような気がします。

 

安倍さんの事件でさらに明るみにでた

宗教との関わり方の問題はまた別の次元になりますが

正しく宗教と向き合うことで

心の在り方を学ぶ機会になることもありそうです。

 

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以下記事より添付

 

結婚式を教会で挙げ、年末にはクリスマスを祝い、年が明けると今度は神社に参拝をして、盆には寺で先祖の霊に手を合わせ、死者を弔う際は経を読み線香を立てる。日本人ならば誰しもが経験し、生活の一部として根付いてきた文化ですが、キリスト教、神道、仏教がない交ぜになり、思えばとても奇妙な風習です。
 

あらゆるものに神が宿る神道の考え

 現在、日本の宗教人口は平成26年の文化庁の調査によると、神道が約49%、仏教が約46%となっており、ほとんどの人が神道か仏教のいずれかを信仰していると答えています。古来より、日本人が信仰してきた宗教は「神道」でした。山や海、川や植物など、あらゆるものに神が宿ると考え、畏れ敬い、自然のすべてが神そのもの捉えていたのです。

「無宗教」だけれど、「無神論」ではない日本人

 神道と仏教の割合が多いとされる日本ですが、ロイターの記事によると、アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが2012年に発表した統計では、日本人の約6割が「無宗教」という結果が出ているそうです。これは、神道や仏教には入会儀式が存在せず基準が曖昧なため、現状と報告上の数値で差が出るためと考えられます。実際に「信仰している宗教は?」と聞かれて、すんなり「仏教」もしくは「神道」と答えられる日本人は少ないのではないでしょうか?

フラットな目線で宗教を見つめる

 無宗教という反面、常にフラットでいられる日本人は、宗教に寛容な民族性を持っているとも言えます。だからこそ、年末にはクリスマスでイエス生誕を祝い、年が明けたら初詣で氏神様にご挨拶、という文化がすっかり定着しているのです

 

科学や医学がどんなに進歩しても分からないこと


「本当の幸福」「人生の目的」「死」の3つの問題

すべての人が直面する人生最大の問題が、死です。
死は、どんな人も、避けることのできない100%確実な未来です。

ところが、不治の病にかかって余命を宣告されるなど、
死に直面すると、普段死を忘れて生きているときと、
人生観がガラリと変わってしまうのです。

今まで問題だった、
どうしたらお金が儲かるだろうかとか、
人からほめられるか、
ばかにされないか、
愛情に包まれるかということは、
一切が光を失い、もはや関係がなくなります。

お金や財産、地位、名誉、妻子、才能といったものは、
死んだら何もなりませんから、
線香花火のような儚い幸せだったことが
知らされます。

そんなものを必死でかき集めてきた自分の人生は
一体何だったのだろうと疑問が起きて、
目前に迫る死んだらどうなるかだけが大問題となります。

しかし、科学や医学で、死ななくなることもできませんし、
死の問題に対しては、何の力にもならないのです。

これらの「本当の幸福」「人生の目的」「死」の3つの問題は、
科学や医学では解決しようがありませんから、
解決できるとすれば、宗教によるしかありません。
これらのために、人類の存続する限り
宗教が必要とされるのです。

 

 

これらの3つは、実は、それぞれ別々の問題ではなく、実は、根っこは一つです。
それは、人生最悪の問題である、死の大問題です。

幸せについては、必ず死ぬのに、心からの安心も満足もありません。
生きる意味については、必ず死ぬのになぜ生きるのか、
最後は 100%死んで行くのにそれに意味があるのかが問題になります。

どんな人も死は避けられないので、全人類が必ず直面するのが死です。
死ぬときに、一番問題なのは死んだらどうなるかです。

いつ死ぬかは分かりませんから、心は真っ暗です。
死んだらどうなるかハッキリしていないと
今が安心できませんし満足もできません。

実際今晩死ぬとなったら、どういう心になるでしょうか。

仏教を聞くと、その死んだらどうなるかが、ハッキリします。

これは、仏教以外の世界宗教であるキリスト教やイスラム教のように、
人間の考えた、世界を創造したというや、死後の世界を信じるのではありませんから、
信じ方が深まるにつれてだんだんとハッキリするのではありません。
あっという瞬間に、水際だってハッキリします。

そのとき「人間に生まれてよかった」
という生命の歓喜が起きて、
死ぬまで変わらない幸福になります。
これは信じるのではなく、体験できることです。

人間に生まれて来たのも
今日まで苦しみながら生きてきたのも、
これ一つだったと
人生の目的も、ハッキリします。

それ以外は何も変わりません。
身体も変わりませんし、趣味生きがいも変わりません。
怒りねたみそねみ煩悩も、
減りもしなければなくなりもしません。
一切変わらないとハッキリします。

このように、仏教の教えによって、
本当の幸せも、
人生の目的も、
死の大問題も、
これら3つが同時に解決するのです。 

 

 

今週のお花