COUNT DOWN TO 2000--小笠原道大の挑戦 | 修三郎のジャイアンツ兄さんブログ

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13日に北九州市民球場で行われた東京ヤクルトとの開幕第2戦の第3打席。
先発由規が投げた3球目の直球をセンター左に2塁打。次打席でもレフト前に安打を続け、2000本まであと9本となった。

◆13日の小笠原選手のコメント
今シーズン初ヒットの心境について
-----正直、少しほっとした気分はある。昨日、今日の試合のチャンスを潰していたのでこれからは少しでもランナーを還せるようにしていかなければいけない」と前を見据えて語った


◇  ◇  ◇

 2000本安打。日本プロ野球の中で「金字塔」と評される数字の一つだ。1956年5月、川上哲治氏(元巨人)が初めて記録して以来、2008年4月に金本知憲選手(阪神)が達成するまで、長いプロ野球史で、まだ37人しかその領域に達していない。
 小笠原道大が13日、そこにあと9本と迫った。プロ15年目の節目のシーズン。小さな積み重ねでたどり着いた記録は、残り一桁に突入した。

 父親の影響で7歳から野球を始めた。今でこそ、178cm、84kgとプロ野球選手としては平均的だが、アマチュア時代は決して恵まれた体格ではなかった。千葉・暁星国際高時代は甲子園に出場することはできず、本塁打もゼロ。その後進んだNTT関東でも1996年に都市対抗の補強選手に選ばれたものの、チームは本大会に出場できなかった。 同年秋のドラフトで日本ハムに3位指名を受け、入団会見で「首位打者を取れるような選手になりたい」と語った。ただ、その時点で、2000本安打を目標にしていたわけではなかった。

 プロ入り後はコツコツと努力を重ねた。誰よりも早くグランドに来て入念な準備をした。人一倍の練習量をこなし、体の手入れも忘れなかった。そんな努力は、これまでの14年間で、3割と30本塁打をいずれも10度記録する素晴らしい成績を導き出した。
 普段から大きな目標を立てず、一日一日を大事に過ごす。そして、翌日はまた新たな気持ちで試合に臨む。これが小笠原の「野球哲学」だ。

 大記録が迫る小笠原は今年、多くのメディアの取材を受けている。その際、必ずと言っていいほど、「自分はまだ三流です」と語っている。こうした姿勢が「サムライ」「野武士」などと称される理由かもしれない。
 「ガッツ」。
 小笠原が最も親しみを持つ愛称がこれだ。1998年7月、骨折した人さし指が完治しないまま、プロ初本塁打を打ったことで、そう呼ばれるようになったという。

 そして、もう一つの代名詞が「フルスイング」だ。
 その原点は、日ハム時代に対戦した中日との試合で、速球派で知られた宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手からバットを折って打った1本のファウル。普通なら折れたバットは前に飛ぶ。だが、その時はバックネット方向に飛んだ。「全身を使って回転した結果で、理想のスイングに近づいた」と本人は振り返る。当時の打撃コーチ加藤英司さんからは「しっかりと振り切り、どんな状態でもスイングを完結しなさい」とアドバイスされた。それを実行した結果、自分の打撃スタイルを見いだした。

 大きな転機は2006年秋に訪れた。読売巨人軍へのFA移籍だ。 「優勝請負人」とされるプレッシャーの中、小笠原は翌シーズンにMVPを獲得した。セ・パ両リーグでの受賞は、野手では小笠原が初めてだった。

 巨人軍がFA交渉を始めるため、当時球団統括部員だった堤辰佳・現広報部長が作成したリポートの一部には、こんな記述がある。
 「ノックが終わり、泥だらけのユニホームのまますぐにグランド整備をする。今の巨人軍に必要な姿勢だ」
 「人気選手が外野フェンスでファンと談笑するような練習の雰囲気でも、決して私語をせず、一人黙々と練習に励む。巨人軍の若手の手本になりうる」
 「練習後はファンに誠実にサインをする」などだ。
 打撃や守備の技術的評価に関する記載はない。それは、第1回WBC日本代表チームの一員として日本の優勝に貢献するなど、過去の実績は折り込みで、むしろ、チームへの強い影響力を求めていたためだった。

 そんな姿勢は、2009年のゴールデンスピリット賞の受賞にも表れている。社会貢献活動の継続が認められた結果の受賞で、小笠原は「野球以外の面でも自分の出来る事をやっていきたい」と語る。
 そんな小笠原の姿勢は、巨人軍の若手にも少なからず影響を与えてきた。「シーズン中でも毎日欠かさずアーリーワークを続けている姿を見て、地道な練習が今につながっていると感じています。自分自身も2年前から始めました」。選手会長の内海選手は、そう話している。

◇ ◇ ◇

 3月11日の東日本大震災を機に、関東、東北地方の電力事情が悪化。4月に東京ドームが使えないという厳しい状況の中でも、小笠原はフルスイングを続ける覚悟だ。
 「理想は生涯現役。1年でも長くユニホームを着たいから」。すでに2000本の先を見据えているかのような表情を浮かべ、小笠原はこう続けた。「個人記録よりチームの日本一奪回。とにかく全身全霊で一本一本積み重ねるだけです」。(GIANTS公式HP)



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こんばんは。


いよいよガッツの2000本安打のカウントダウンが始まった。


2000本安打を達成すれば、2008年の金本知憲以来、長いプロ野球の歴史の中でも過去に37人しか達成していない金字塔。


しかし、ガッツ本人にとって「2000本」という数字は単なる通過点にしか過ぎないのかも知れない。


彼がプレーするのは常にチームの勝利のため・・だから慎之助のキャプテン代理を引き受けたのだと思う。個人の事よりもチームの事を優先するのがガッツの流儀というものだ。


上記のジャイアンツ公式HPの記事には、ガッツが愛される理由が余すところ無く書かれている・・私がガッツを応援する理由は上の記事に集約される、と言っても過言ではない。


特に、この部分

巨人軍がFA交渉を始めるため、当時球団統括部員だった堤辰佳・現広報部長が作成したリポートの一部には、こんな記述がある。
 「ノックが終わり、泥だらけのユニホームのまますぐにグランド整備をする。今の巨人軍に必要な姿勢だ」
 「人気選手が外野フェンスでファンと談笑するような練習の雰囲気でも、決して私語をせず、一人黙々と練習に励む。巨人軍の若手の手本になりうる」
 「練習後はファンに誠実にサインをする」などだ。
 打撃や守備の技術的評価に関する記載はない。それは、第1回WBC日本代表チームの一員として日本の優勝に貢献するなど、過去の実績は折り込みで、むしろ、チームへの強い影響力を求めていたためだった。


・・・ジャイアンツが小笠原の獲得に動いたのは、小久保裕紀のホークス復帰の穴埋めだけではない、沈静化・弱体化したチームを変えるための補強だったことは既にあちこちで触れられている。


当時、ジャイアンツには「背中でチームを引っ張る」選手を渇望していたという背景があってのFA補強・・それまでの「他チームの主力選手の青田買い」とは明らかに一線を画したものである。


ガッツの加入で、ジャイアンツというチームが正しい方向を向いていってくれた事がなによりそれを証明している。



そんな彼が、2000本安打を達成した暁には、もちろん心の底から祝福するが、本当の勝負はそこからだ。


その後の安打1本1本の積み重ねが、ジャイアンツのV奪回、日本一へと導いてくれる、ジャイアンツの明日を照らす道を広げてくれる、そう信じている。




・・とはいえ、ガッツがいつどこで2000本目を打つか、目が離せない日々が続きますねぇ・・


マツダ?甲子園?それとも静岡?・・ファンがソワソワしているのを横目に、ガッツ自身は今日も試合に備えてルーティンワークにいそしんでいる事だろう。だから、私たちも胸を躍らせつつも、冷静に見守る必要があるかもしれないのかな?



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